豊穣の儀 父の犠牲
冬山の獣はいよいよ少なく、とうとう集落では山の女神に祈りを捧げる「豊穣の儀」を行うことになった。
ある日、里長が我が家にやって来た。父が儀式の〝男〟に選ばれたのだ。
「すまぬ」
里長が両親に頭を下げる。
「誰かがやらねばいけないことですから」
母の気丈な声が聞こえる。里長が帰った後、家では重苦しい沈黙が垂れ込めた。
その日から、両親は昼夜を分たず、狂ったようにお互いを求め合い、愛し合った。
まるで相手のありとあらゆる特徴を、体や記憶に刻み込もうとしているかのようである。
近所の者達は、食料の乏しい状況にも関わらず、次々と干し肉や乾燥させた野菜、山菜などを持って来た。
二人を邪魔しないよう、そっと戸口にもたれ掛けさせては帰って行く。
そしてついに、父が家を離れる日がやって来たのだった。
その日の朝、父は着る物全てを脱ぎ、褌も解いた。そして母は、父の体毛を全て剃り落とした。
髪も、立派な髭も、厚い胸毛も、脛毛も。
それから陰毛も。
父の太く立派な性器があらわになる。
二人とも無言である。
まっさらな褌を新しく締め、麻で出来た白衣に袖を通す。
額には、同じく白い麻で出来た布切れを巻き付ける。足には、白い足袋をはき、母が新しく編んだ草鞋を戸口で結んだ。
戸口を開けると、里長を始め、集落の男達が正装に荷を担ぎ、待っていた。
父は振り返り、母の腕の中にいるオレを愛おしげに見つめ、無言で頭を撫でた。
涙を堪える母に頷きかける。母が頷き返す。
皆一言も発さず、ひとり白衣の父を真ん中に、山へと続く雪道に踏み出した。
母とオレは戸口に立ち、遠ざかる父の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
ーーー
一行は、狩で通い慣れた山道を無言で登る。
沢が小さな滝を成している横手、古い石積みのところで、普段とは異なり右手の石段に歩みを変える。
手に持った枝で雪を払いながら、一段ずつ踏み締めて登っていく。
雪雲の隙間から太陽が男達の背中を照らしている。
風も、今日は柔らかいようだ。
ひたすら登り続けるうちに、屈強な男達の息も切れ始める。
「はあっ、はあっ」
男達の陰になった石段を、汗の滴が黒く濡らした。
それでも掟に従い、無言を貫く。
ここは山の神域だからだ。
オレは誰に気取られることもなく、父の背中を上空から見つめ、一行について行くのだった。
石段はいつしか森を抜け、辺りは灌木と枯れ草の景色に変わった。
地面にはごつごつとした溶岩が混ざり始めている。
登り切ると、草一本生えない、荒涼とした砂漠が広がった。
風化して細かくなった溶岩や、軽石などの砂礫の起伏が見晴らす限り続いている。
風が強く、吹き飛ばされてしまうためだろう、雪はほとんど積もっていなかった。
さらに半日ほど歩き続ける。
道は緩やかに登り続け、最後に急な丘を登り切ると、ふいに眺望が開け、眼下には見事な円を描く湖が広がっていた。
水は緑色に染まり、波打ち際の辺りは氷が雪を乗せている。道は湖の斜面を下っていた。
一行の末尾を行く、荷を担いだ男の一人が白い息を吐きつつ振り返り見れば、
これまで辿ってきた道のりと、その先に遥か遠くの山並みが眼下に望めた。
集落の辺りは、すでに夕闇に沈み、確認することができない。男の横顔は赤く夕陽に染まっている。
一息ついた男達の黒い影が、紅く染まった空を切り取りながら湖のほとりに立つ小さな祠に向かって下りて行く。




