隣の子爵家のお嬢様とぼく
ぼくには大好きな女の子がいる。
子爵家のお嬢様で、隣のお家に住んでいる子だ。
彼女は、いつだってきらきらしていた。
朝の光みたいな金色の髪に、湖みたいな碧い瞳。
そして、笑うと世界まで明るくなっちゃう笑顔。
彼女を好きになるのに、そう時間はかからなかった。
男の子なんて、きっとみんなそうだろう?
女の子が笑ってくれた。
それだけで全部がきらきらと輝きだしてしまう。
とても、簡単な生き物なんだ。
彼女より、ほんの少しだけ早く生まれたぼくは、
小さい頃、彼女のお兄ちゃんみたいな存在だった。
今はね、こんなぼくだけど。ちゃんと本当の話だよ?
転ばないか見張って、寒くないか気にして。
眠っている間もそばにいた。
守るのは、当たり前だと思っていた。
一緒に外で遊ぶようになった日々は、宝箱みたいだった。
かけっこをして、木の実を拾って、こっそり味見して。
怒られて、それでも笑って。
彼女が振る舞ってくれたご飯は、世界でいちばんおいしかった。
それだけで、胸が弾んだ。
でもね。
楽しい毎日はそう長くは続かなかったんだ。
女の子は男の子より先に大人になる。
どうやらそれは、本当のことみたい。
「はしゃぎすぎ!」「散らかさない!」
少しでも気を抜くと叱られた。
いつの間にか、ぼくはお兄ちゃんから弟に降格していた。
それに。
彼女とぼくとの違いはそれだけじゃなかった。
彼女は、きらきらしながら、少しずつ遠くへ行ってしまったんだ。
社交界に、舞踏会に、お勉強に、お茶会。
彼女の世界はどんどん広がって、ぼくの知らない色で満ちていった。
どんどん離れて行っちゃう彼女を見ていると、ちょっぴり寂しくて。
だから、ちょっとだけ怒ってしまったこともあったよ。
そして、あの日。
こっそりついて行った舞踏会で、ぼくは見てしまったんだ。
女の子が恋に落ちる瞬間ってやつを。
窓の外から眺める舞踏会は、まるでお花畑みたいに色とりどりで。
ぼくは嬉しくて、くるくる回った。そんな時だった。
彼女、ある男の子に声を掛けられて。
それで。へんてこな顔したんだ。
頬は真っ赤、目はきらきら。ぼくの前だったらすぐに笑うくせに。
あの人の前では恥ずかしがって笑顔を隠した。
ああ、そうか。
ぼくはもう彼女の恋の相手じゃないんだなって。
初めてちゃんと気がついた。
悲しかったけど、泣かなかったよ。
泣かなかった……、つもりだった。
でも、必死に涙をこらえていたら、
彼女に見つかってしまった。
「ついてきちゃ駄目よ!」
少し震えた声で、彼女は怒った。
うん。
ぼくだってわかってたよ。
帰りの馬車で、彼女は一言も話さなかった。
家に帰って、ぼくはこっそり泣いた。
これが、ぼくの初めての失恋。
それでも、ぼくは決めたんだ。
振り向いてもらえなくてもいい。
隣にいられなくてもいい。
彼女を笑わせる存在でいようって。
笑っている彼女が、いちばん好きだったから。
それからの毎日は、穏やかで、あたたかかった。
たくさん、たくさん笑わせた。
彼女の恋が本物だってわかっても、
その男の子とも仲良くした。
──でもね。
最近、体が言うことをきかなくなってきちゃったんだ。
走れなくて、跳べなくて。
尻尾をぶんぶん振って、笑わせることも難しくなった。
今は、彼女のお家で、布団にくるまっている。
昔、ぼくがかけてあげた布団を、今度は彼女がかけてくれる。
すっかり、立場は逆転さ。
彼女が流した涙を拭ってやることだって出来やしない。
男の子は女の子を笑わせなきゃいけないのに。
情けないよね。本当。
「ベル、ご飯よ。すこしでいいから」
君が初めて作ってくれた、ぼくだけのスープ。
やさしくて、あたたかい。
「ベル、抱っこ?」
へへ。少しくらい、いいだろう?
君だって、昔はぼくを枕にしてた。
「ねえ、ベル。覚えてる?あなた、よくお茶会に乱入してきたわよね」
覚えてるよ。
君に会いに行ったんだ。
ここにいるよ、って伝えたかった。
「それに、舞踏会にまでついてきた。庭でくるくる回っちゃってさ」
なんだ。気付いてたのか。
次は、もっと格好良く回るからね。
「あとさ──」
うん。
全部、ぜんぶ忘れないよ。
言葉にできないけれど、
撫でられるたび、ぼくの心は、きらきらする。
もし、もっと長く生きられたなら。
最初から、違う運命だったなら。
それでも、きっと。
ぼくは同じ選択をした。
君のそばで、
君の笑顔を、見守ることを。
「大好きよ、ベル」
うん。
ぼくも、大好きだよ。
きらきらした君の世界が、これからも、ずっと。
朝の光みたいに続きますように。




