ダイ・バード
カウンターしかない奏さんの店の床に、僕は隼人を横たえた。
「隼人、隼人っ!」
いくら呼んでもびくとも動かない。
奏さんが帰ってきて、事も無げに言う。
「伸びてるだけだ。ほれ、スズメが窓ガラスに打ち当たって伸びてるのと一緒だ」
「ホントに? 息してないし、心臓動いてない」
「そりゃ、おまえ、標準だろうが。呼吸も心拍も、いつも、してるフリしてるだけなんだから」
「だって! いつも隼人、死んだらどうするって言ってる」
「言いたいだけだ。死ねないから」
……でも。
「それじゃ、隼人の家族は? 家族を探してるって、言ってた。ひょっとしたら、もう死んでるとかじゃなくって?」
「神の家族は神。神は人々から忘れ去られたとき、消える。自分の存在は不要と考えた時、自ら消える、それが神だ」
「……それじゃ、僕が隼人を必要としていれば、隼人は消えない?」
カウンター越しに、氷を浮かべた水を奏さんが僕にくれる。
「まぁ、そうなるな……」
「なんか、歯切れが悪いね」
水を飲み干す僕を奏さんが見つめる。
「家族を探しているって、隼人が言ったのか?」
「うん、諦めなければ希望はあるって。よくそう言ってる」
「そうか……なら、そうなんだろうな」
「どういう意味?」
「いや……俺は、隼人には悪いが、アイツの家族はとうに滅んだと思ってる。隼人はエジプト神の最後のプライドを背負って存在しているって、俺は思ってるんだ。主神格だからな、ホルスは。まぁ、俺がそんなこと言ったなんて、隼人には言うなよ」
奏さんに口止めされなくたって、僕が隼人にそんな事、言えるわけがない。
「さて、どうせ隼人はラーメンだろ? 塩とか味噌とか言い出さないよな?」
そんなの僕には判らないよ、なぁんて話してると店の出入り口の向こうでバタバタと音がした。街灯の光でうっすら見える影は足元のほうだけで、鳥の形だ。
「奥羽さん?」
恐る恐る引き戸を開けると、カラスがヒョイヒョイと店内に入った。すぐに僕は引き戸を閉める。カラスが入店するところ、誰にも見られていないよね? さっき隼人が見かけたのは、やっぱり奥羽さんか。
「奏! 儲かってるんだから、自動ドアにしたらどうなんだ」
「ふん、勝手に開いちまうドアなんかごめんだ。どうせカラスじゃ自動ドアも開けらりゃしないだろう」
「これは無知な。カラスも自動ドアを開けて出入り自由、ってワイドショーで見たぞ」
「そうかい、そうかい、世の中には賢いカラスもいるだろうさ。それよりなんの用だ? カラス姿のまま、人の声で人の言葉を話されるのは気持ち悪い。さっさと用事を済ませて帰れ」
「用事は済んでいないが帰ろうか? 隼人を起こしてやろうと思ったが、帰っていいのか?」
「奥羽さん! そんな事、言わないで、隼人を起こしてよ。どうやって起こせばいい?」
奏さんを遮って僕は叫んだ。ここは鳥同士、奥羽さんが頼りになりそうだ。
ふふん、と奥羽さんが我が意を得たりとニンマリする。
「バン、耳、塞げ」
そう言ったのは奏さんだ。ハッとして、慌てて僕は耳を塞ぐ。
「カアカアカア! カッカッカ!」
「ピーーーーーーーーーッ!」
うはっ! 狭い店内に、カラスの伝達鳴きとハヤブサの遠鳴が木霊する!
「誰だ、誰だっ!? ボクの縄張りに入り込んだカラスは! 食うぞ! 食ってやるっ!」
ピョン、と飛び起きた隼人、きょろきょろと周囲を見回す。いつも通りの隼人に僕がホッとする。
「隼人ぉ……」
思わず涙ぐみ、隼人に抱き付いた僕を抱き止めながら
「誰だ! ボクのバンちゃんを泣かせたカラスは!? 食っちまうぞっ!」
隼人が息を巻く。
奏さんが笑いながら、店の奥のドアを開けた。僕の陰で、隼人からは見えない位置だ。
「奥羽、店から出るのは二階の窓からにしろ。今の大音響、人を呼んでるぞ」
「そうだな、それじゃあ、失礼するよ」
ヒョンヒョンと両足揃えて奥羽さんが奥に進む。ドアの先はすぐ階段だ。二階は奏さんの住処になっている。
奥羽さんの後姿に僕は言った。
「奥羽さん、ありがとう」
「奥羽ちゃん? どこだ、どこさ?」
隼人がきょろきょろするけれど、とっくに奥羽さんは二階に消えてる。一緒に行った奏さんが窓を開けたんだろう、ガラガラという音が微かに聞こえ、すぐに閉まる音がした。
「なんだ、ここ、奏ちゃんの店じゃん。ボクの縄張りじゃないや。カラス、見逃すしかないね。てーか、バンちゃんウザい、ボクに勝手に抱き付くな」
隼人が僕を突き飛ばすように引きはがし、カウンター席にちょこんと座る。
「んで、奏ちゃんは?」
「おう、隼人、今すぐラーメン、作ろうな」
降りてきた奏さんが隼人に笑いかける。
「うん、チャーシューいっぱいね」
「判っているさ、隼人」
今日は奏さん、僕には聞かないようだ。黙って隼人と同じものを僕に出すつもりなのだ。まったく、僕の太陽神は面倒くさい。
今日のラーメンは味噌ラーメンだった。見るなり、隼人が
「ボク、ラーメン。奏ちゃん、なに、これ?」
「隼人、これは味噌ラーメンだ。文句言わずに食え」
「えーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
いつもより長い『えー』を聞かされる。文句を言ったくせに空腹だったのか、隼人が味噌ラーメンを食べ始めた。そしてやっぱり『ピヨッ!』と鳴く。
「なに、これ。これもラーメン? いつものラーメンと違うけど、これはこれで美味しい」
「なんで今まで隠してた、なんて言うなよ」
「奏ちゃん、狡い、今、そう言おうと思ってた。先に言っちゃうなんて狡いっ!」
「おまえはいつも『ラーメン』としか言わないからだ。味噌にするか塩にするか聞くと、『ボクに味噌や塩しかくれないつもり?』って怒りだすじゃないか。人の話は良く聞け」
奏さんの説教は隼人に無視された。と言うか、食べるのに夢中になった隼人に、なにを言っても無駄だと思う。ピヨピヨと食べるのを楽しんでいる。
あれ? 隼人のサングラスがない。車に弾き飛ばされた衝撃で、どこかに吹っ飛んだのか。さっき救急車のピーポー音や、パトカーのサイレンも聞こえてた。店の外、少し離れたところで大勢がざわざわしている気配がする。
騒ぎの元凶の隼人がここでラーメンに舌鼓を打ってるなんて、誰かが気付くはずもない。怪我人が消えた現場から中継です、みたいな感じで、明日のワイドショーで騒がれるかも? サングラスが見つかっていれば『残されたサングラスの謎』なんて、ミステリアスな話になるかもしれない。
いつもは食べ終わるとすぐ帰ろうとする隼人が珍しく、今日はちゃんとメヅヌに聞いた話をし始めた。車に轢かれた衝撃で少しはネジが締まったか?
「月光の魔力不足、ねぇ……」
奏さんが考え込む。
「確かに月光は、もちろん陽光も、魔力って言うか、生体に力を齎すものだ。陽光のほうが、かなりその作用は強い。陽光や月光の力を魔力って呼ぶのも判らくなくもない」
「奏ちゃんっ! 自分一人で判っちゃわないでよっ!」
「そう言えばバン、おまえ、吸血鬼なのに陽光に影響されないな」
「うん。隼人が言うには、西洋の吸血鬼じゃないからだって」
「そうか。でも、隼人の言う事は当てにできない――そうそう、バン、おまえ、太陽神の血を飲んでたな。それでか?」
「だからっ! バンちゃんは特別なのっ!」
「日輪と月輪は裏表……表裏一体?」
「月光は、太陽の光を反射してるだけってのは常識だよね」
「なんで二人でボクを無視するんだよっ!」
「うるさいな……隼人、蜜豆食うか?」
「うん、ミツマメ大好き。あの、ゼリーみたいの、もともと海藻だなんて凄いよね。どこが海藻?」
隼人の前に奏さんがミツマメの小鉢を置く。これで暫く隼人は静かになるだろう。
「で、どちらが表か裏か、か」
「月は太陽を反射してるってことを考えると、太陽が表に思えるけど?」
「だよなぁ……でも、『付き止めろ』って言われたんだろう?」
「うん……」
「ほかには何も言ってなかったか? 一見、関係なさそうなことでもいいぞ」
「そうだね……ストローくれた」
「ストロー?」
「うん、メヅヌが褒美にくれたんだよ。スモモ四つとストロー一本。で、邪魔なものの始末ができたって」
「スモモ、ストロー、邪魔な物。三題噺かよ? でも、そうか、邪魔なものね……バン、なんか見えてきたような気がする」
「奏さん、ホント?」
「うん、ちょっと探ってみる。判ったら連絡するよ」
「うん、奏さん、やっぱり頼りになるね」
「うん、奏ちゃん、やっぱり頼りになるよねっ!」
ミツマメを食べ終わった隼人が僕の真似をする。
「どうせボクは頼りにならないよねっ!」
「隼人、ミツマメ、美味かったか?」
「うん、奏ちゃん、この次は豆、増量してね」
「おいさ、気を付けて帰れ。車に轢かれるなよ。バンから離れるな」
「バンちゃんがボクから離れなきゃいいんだよっ!」
隼人がひょいっとカウンター席から立ち上がる。
「帰るよ、バンちゃん。奏ちゃん、ご馳走さま」
そう言うと、僕を置いてトットと店を出る。
「バン、苦労するな。ま、隼人の面倒見れるのはおまえだけだ」
「うん、奏さん、ご馳走さま」
早くしないと隼人がまた車に轢かれるぞ、と奏さんの笑い声を後ろに聞いて、僕は慌てて隼人を追った。




