失われた朔
鬼の形相と化した医神メヅヌ、どこから取り出したか小刀を逆手に構える。そして人狼兄弟を滑るように見詰め、じわりじわりと近寄っていく。
「どこから切ろうぞ? どこを切ろうぞ?」
「メヅヌちゃん、狼には耳も尻尾もあるものだよ」
そう言ったのはもちろん隼人だ。
「で、切っちゃったら、もう生えない。トカゲの尻尾じゃないんだから。医神なんだから、知ってるよね」
そんな事、言っちゃっていいのかよ、隼人? この神たち、なんだかとっても怒りっぽいぞ。隼人の比じゃなさそうだぞ。それに『さま』が『ちゃん』に変わっちゃってる。いきなり態度を変えていいのかよっ?
医神メヅヌ、動きを止めて目を細め、じろりと隼人を見ると
「無礼者め! 狼の尾や耳を吾が本気で切ると思うたか」
左手に持った鞘に小刀を納める。そしてそのまま朔に近寄り、まじまじと見た。怯えて座り込んでしまった満を後ろ手に庇っているが、朔もやっぱり腰を地面につけてしまっている。
その朔に医神メヅヌが手を伸ばし、顎を持ちあげる。
「口を大きく! 早う開けるがよかろ」
「あ……?」
「その耳は聞こえぬか? 聞こえぬなら不要じゃな、切るぞ! 切り捨てるぞ!」
「き、聞こえてますっ!」
慌てて朔が口をあんぐり、大きく開ける。
するとメヅヌ、その口を覗き込む。
「口を閉じるでないぞ。閉じたら牙を引き抜くぞ。なんだったら、頭ごと抜いてもよかろ」
メヅヌ、本当にやりそうだし、出来そうなのが怖い。恐ろしい事を言っているのが童女の声なのが、よけいに恐ろしい。
「あぐっ! ぐぐぐっ!」
見る見るうちにメヅヌの頭が朔の口の中に入り込んでいく。朔は目を白黒させて呻くだけだ。あっという間にメヅヌの頭がすっぽり、朔の口に肩口まで納まった。咽喉を超えて腹の中を見渡しているようだ。メヅヌ自身が内視鏡なのか? 満が朔の後ろから恐る恐る覗きこむ。何が起きているのか、気になったのだろう。
ピヨッ! と一声あげたのは隼人だ。隼人でさえもこの展開は予測していなかったようだ。
「すごい、朔……雛鳥が親鳥から餌、貰ってるみたい」
隼人っ! そこか? 目をキラキラさせるなっ!
「朔の自我が崩壊しなきゃいいけど……」
そんなにのんびり、しかもついでに言うなよっ! 朔が失われてもいいのか?
「ぐっ! ぐっ! ぐぐっ!」
朔のうめき声が、嘔吐のような音に変わった。メヅヌの頭が口から出てきたのだ。
「フン!」
朔の頭を一叩きし、医神メヅヌが鼻を鳴らす。
「ただの月魔力の不足じゃな。まぁ、近ごろ満月が欠けておるであろ。そのせいじゃろうな」
「満月が欠けている?」
訊いたのは隼人だ。朔は顎が外れたのか、口を大きく開けたまま、頻りに自分の顎を押さえている。満は心配しているが、あたふたと朔を覗き込むばかりだ。
「前回の満月の時から、なにゆえか、月が欠けている」
「メヅヌよ、馬鹿なことを宣うな。月とは満ち欠けするものぞ」
もっともなことを言ったのは雷神デヅヌだ。
「黙れ、愚か者っ! 満月でさえも欠けておるのじゃ。光が足りぬのじゃ!」
目尻を吊り上げる医神メヅヌ、隼人が楽しそうに
「ふぅーん、それで、月の光が足りないと人狼にどう影響するの?」
と訊いた。するとメヅヌ、細めた目で隼人を睨む。
「鳥ごときが気安く問うておる。畏れ知らずな……デヅヌ、雷を落とすがよかろ」
「雷、ひとおぉつ!」
ピカッ! ガラガラガラッ!
隼人っ!?
瞬きする暇もなく、あたりが閃光に包まれる。同時に轟く雷鳴に、思わず耳を塞いだ。
「へたっピー」
僕の耳元で隼人が悪態をつく。隼人の視線、七メートル先で、メヅヌとデヅヌが振り返ってこちらを見る。雷が落ちる瞬間、僕は隼人を抱いて瞬間移動した。間一髪、僕と隼人は雷神・医神の後ろへ動き、落雷を回避した。さっきまで僕たちがいた場所は黒く焦げ、プスプスと煙が出ている。
今度はちゃんと、自分の能力を活用できた。咄嗟でもできるんだね、僕。
「ふむ……神の癖に回避しおった。どうせ神に落雷は効かぬ。わざわざ避難するとはご苦労なこと」
雷神デヅヌが悔しそうに囁いた。
……隼人、そうだったの? でも、すぐ横にいた僕は、隼人を置いて逃げるなんて、とてもできない。
医神メヅヌが前を向き、朔に向かって言った。
「満月を見れば狼に変化し、理性を失するは辛かろ。だからと言って、月の光が放つ魔力まで受け取らねば支障をきたすであろ」
そして供物のリングを手に取って、しげしげと見る。
「純金に石は苦土橄欖石……そうじゃな、褒美としてはもう一声と言ったところであろ――日輪と月輪は裏表。どちらが表でどちらが裏か。付き止められれば道も開くであろ」
手にしたリングを医神メヅヌが雷神デヅヌに渡す。するとデヅヌ、やっぱりしげしげと眺める。そしてリングを供物台に戻し、声を張り上げた。
「追加じゃ――特別あまぁ~い李、四つぅ! ついでに長細筒一本っ!」
供物台のリングをメヅヌが拾い上げ、どこから出したか巾着袋に放り込み、別の袋からスモモを四個とストローを取り出して供物台に乗せた。赤く熟れてツヤツヤと、見るからに美味しそうなスモモだ。でも、なんでストローなんだろう?
「さてと、デヅヌ。オヅヌを呼ぶがよかろ」
「オヅヌ、退屈しているであろうな」
「吾らは面白かったであろ」
「そうじゃの、こんな面白い事、滅多にあるものではない」
「ついでに、邪魔な品を処分できてよかったであろ」
デヅヌとメヅヌ、見交わし合ってニンマリと笑う。
ストローは邪魔だったのか!?
デヅヌがメヅヌの腹に触れると、メヅヌの背が僅かに伸びた。
「ったく、いつまで待たせんだよっ!」
途端に医神メヅヌの顔つきが変わり、どうやら風神オヅヌが現れたようだ。
「行くぞ、オヅヌ。旋風を呼べ」
「言われなくてもっ!」
突風が吹いてきて、オヅヌを乗せて旋回する。
「では、ハヤブサの神。次に会うことあれば食らいあおうぞ」
にんまりとした笑みを見せたかと思うと、雷神デヅヌは両足揃えてピョンと飛び上がる。するとオヅヌ、正座の姿勢になったデヅヌを風に乗せ、あっという間に消え去った。二人の袖がひらひらと舞い、遠ざかっていく。
「天女みたいだね……」
満がのんびり呟いた。朔を見ると、しかめっ面で顎を撫でているが、もうあんぐり開けてはいない。
「ま、部屋に入ってコーヒーでも飲もう。嵐は去ったみたいだし。せっかくだから、ご褒美のスモモも食べよう。ちょうど四個だ」
隼人が部屋に入っていく。
そう言えば、いつの間にか空から雲も消えていた。




