風とともに きたりぬ
隼人は朔に『半紙が飛ばされないように』と注意すると、
「バンちゃん。庭に出て、ドッグランの真ん中に立って」
と、僕を追い立てる。
仕方なく僕は言われた通り庭の中央に出る。空を見上げると、雲がどんどん流れていく。上空は強い風が吹いているのだろう。
「突風が吹いたら、すかざず風神を呼ぶんだ。風が行ってしまわないうちに!」
風神の名……確か、オヅヌだ。奏さんがオヅヌは風に乗っていると言っていた。風が吹いてるときに呼べと言っていた。いつ風が吹いてきてもいいように、僕は身構えた。
遠くで建物がガタガタ揺さぶられる音がする。すぐそこの藪がザザザザーーーーッと音を立てる。でも、僕のところ、この屋敷の庭には吹いてこない。
聞き耳を立てて風を待つ。だんだん近づく気配がある。建屋を揺らすガタガタ音がこちらに向かって疾走てくる。
「来るぞっ!」
隼人の叫びに、僕は風に向かった。
疾風が僕を取り巻いた。うっかりすると吹き飛ばされそうな勢いだ。
「オヅヌ! オヅヌ、出てこいっ!」
疾風は止まらない。そのまま行ってしまうのか? 行き過ぎてしまいそうだ。
と、風が旋回した。僕を中心にグルグルと回り、思わず僕は腕で顔を庇う。
「バンちゃん、こっちへ!」
隼人の声に導かれ、やっとの事で旋回する風の中から脱出する。
「バンちゃん、なんで普通に移動してんだよ? こんな時こそ能力を使わなきゃ」
あ、それ、忘れてた……
僕は障害物があろうが通り抜け、十メートルほど瞬間移動できる。垂直でも十メートル移動できるが、こちらは障害物を無視できない。それを使っていればこくらいの風、なんて事なかった。ま、今さらだ。
隼人の隣に立ち、今まで自分がいたところを見ると旋風はだんだんと中央にまとまり、それにともない勢いも削がれていく。
「だぁれか、オイラのこと、呼んだぁ?」
うっすらと姿を現したのは、古墳の壁画で見るような服装の二人。風に乗っているのか、地上から五十センチくらいの高さに一人は立ってこちらを見ている。もう一人はツンと澄まして正座している。どちらも尼削ぎ髪だ。
隼人が庭に降り立ち、
「風神オヅヌと雷神デヅヌであらせられるか?」
と声を張り上げる。すると立っているほうが座っているほうを見て、座っているほうがチラリと隼人を見て言った。
「これは……オオアマより甘そうじゃ。なんとも麗しい男よのう」
立ちあがると両足を揃えたまま、ピョンと風から飛び降りる。地面に着く寸前、沓が現れ、瞬時にそれを履いている。
「おい、デヅヌ、食うのか? 食うなら一人で食うなよ」
立っていたほうはストンと落ちた。風が消えたようだ。こちらは最初から沓を履いている。正座していたほうがデヅヌ、立っていたのがオヅヌってことだな。うん、奏さんの情報通り、デヅヌは切れ長の目が印象的な美女だ。でもどことなく残忍そうに見えなくもない。
「フン、オヅヌ。オオアマを食ろうたのは吾ではない。オオアマが吾を食ろうたのじゃ。吾を孕ませてトオイチを産ませたのじゃ」
なんだか、隼人が好きそうな話が展開されている? 隼人を見るとニヤニヤ二人を見守っている。
「それで汝は何者ぞ。吾を食らいたいのか? 正直に申せば食わせてやらぬでもないぞ」
デヅヌがニタリと笑い舌なめずりをする。どう見ても食うほうに見える。その声がなんとも妖艶で、余計にそう感じるのか?
「デヅヌ、こんなの相手にしていないで、さっさと行こう」
「うるさい、黙れっ! 黙らぬと、稲妻を落とおぅす!」
「判った、判った、好きにしなよ」
オヅヌがドンッと地面に座り、デヅヌが隼人に向き合った。すると風がそよとも吹かなくなった。
隼人が一歩、前に出る。
「わたくしはエジプトの太陽神。我が信奉者が本日は雷神デヅヌさまにご供物を差し上げたいと申しております。お受け取りいただけるか?」
隼人、信奉者って誰だ? まさか僕か?
「ご供物ごっこか、懐かしや」
ほほほ、と口元を隠して笑うデヅヌ、オヅヌと並んで地面に座った。そしてスーッと手を伸ばし、オヅヌの腹をポチッと触った。触られたオヅヌ、不意を突かれたと言う顔を一瞬するが、すぐに真面目な顔に変わり、なんとなく縮んだ気がする。そして、
「ご供物ごっこ、するのであろ?」
と、静かに言った。
顔つきも変わったが、声音もまるきり違う。オヅヌは見た目も声も話しかたも悪戯っ子、いかにもわんぱくボウズって感じだったが、メヅヌはなんとも可愛らしい童女の風情、声も童女そのもの、温和しいというより気弱な感じ、おっとりした話しかただ。
「メヅヌ、この者がわざわざご供物しようと吾らを呼び止めたそうじゃ」
「それはそれは……なにをくれるものやら楽しみじゃの」
「ホンに楽しみじゃ」
メヅヌも座り直して正座になる。そして二人揃って真っ直ぐこちらを向いて、微動だにしなくなった。
「バンちゃん、ボケっとしない。お盆をメヅヌの前に置くんだ。敬えよ」
小声で隼人が僕に命じる。やっぱり信奉者って僕の事か。敬えって、どうすればいいんだろう?
取りあえず頭を垂れて、朔から受け取った盆を高く掲げてみる。そろそろとデヅヌの前に出、膝を立てて低い体勢を取り、盆をデヅヌの前に置いた。
「ふむ……」
チラリと盆の上に置かれたリングをデヅヌが見た。
「ふむ……」
デヅヌが、今度はじっとリングを見た。
「ふぬぬ……」
気に入ったのか、気に入らないのか、どっちだよっ? 気に入らなきゃ、張り倒される。隼人は僕が張り倒されたって、きっといいんだ。痛いのは僕だけだもんねっ!
「ふむ……褒美は何が良かろうか」
ポツリとデヅヌが言った。
「褒美に値する手持ちはないであろ」
表情を変えずにメヅヌが答えた。
「受け取らぬがよかろ」
「……受け取らぬは惜しき」
「受け取らぬがよかろ」
「メヅヌ、黙れ、雷、落とぉす!」
「落とせばよかろ」
「うぬぅ……」
どうやら内輪揉めしているようだ。ここで隼人が提案する。
「医神メヅヌさまに診ていただきたき者がおると、信奉者が申しております。褒美にされてはいかがか?」
デヅヌとメヅヌが顔を見合わせる。
「では、患者をこれに」
そう言ったのはデヅヌだった。
隼人に促されて、朔と満が庭に降り立つ。
「ふむ……」
唸ったのはメヅヌだ。
「汝ら、人狼であろ」
朔が警戒して満を後ろに庇う。
「人狼か。消え失せたと思うておったが、このようなところに隠れ住んで居ったか。それにしても……」
と言ったのはデヅヌだ。
「人形なのに、尾があり、狼の耳がついておる」
「まこと怪体な形なり。病か?」
メヅヌも困惑しているようだ。答えたのは雷神デヅヌ、
「病であろうな」
と決めつける。
「病か……」
ゆっくりと医神メヅヌが立ち上がる。
「病であれば、切るぞ、切るぞ。切り捨てるぞ。観念いたせっ!」
見る見るうちに鬼の形相へと変わっていく。さすがの朔も狼狽えて腰を抜かしかけている――




