誰がために歩きまわる
お汁粉を堪能し、満足顔で帰ろうとする隼人を奏さんが引き止める。どうせなら早いほうがいい、今から頬撫ぜに会いに行こう……
高尾山の南側の麓、頬撫ぜが潜んでいる祠に通じる山道の入り口で奏さんが車を停める。
「んじゃ、行ってくるね」
車を降りて機嫌よく山道に入っていく隼人を見送りながら、奏さんが僕に懐中電灯を渡してくる。
「隼人には不要だが、バンには必要だ。この先、街灯がないからな。隼人のペースに巻き込まれるなよ」
奏さんは車に残って待つつもりだ。
「バンちゃん! ボクをひとりにしていいと思ってるのっ!?」
隼人の怒鳴り声に、僕は慌てて隼人を追った。
僕が追いつくと隼人は、すかさず腕にしがみ付いてくる。ま、いつもの事だ。僕の腕にしがみ付くと安心するんだそうだ。そして僕はいつも、止まり木になった気分がする。
奏さんが言う通り、山道に街灯なんかあるはずもなく真っ暗だ。道端から野生動物が飛び出してきそうだ。懐中電灯を借りてよかった。
両側に御幣を立てた、さらに細い道の入り口に辿り着くと、例によって『バンちゃんが先ね』と隼人は後ろに回り、両手で僕の背中に捕まりながらそろそろとついてくる。
すぐに祠のある開かれた場所に到着し、僕は頬撫ぜに撫でられ始めた。今日は一層ヒンヤリした感触だ。隼人は祠を見ると、僕のことなど忘れて駆け寄った。
「頬撫ぜちゃん、元気ぃ? 隼人が来たよん」
膝を曲げて、高さ一メートル程度の祠に向かって話かける。
「そうなんだ? まぁ、ここじゃ人通りなんかないよね……お腹空いてる? バンちゃんの事、撫でまくるといいよ……あぁ、舐めると効率がいいんだ? 舐めちゃっていいよ、思い切り舐めちゃって」
おぃ! 隼人! 途端に頬を舐めまくられる感触が……うぎゃっ!
「ところでさぁ、うちの子たち……そそ、人狼の双子ちゃんがね……」
あれ? 隼人、ちゃんと朔たちの事、覚えてたんだ?
隼人がそこから声を潜めたから、話の内容が僕には判らなくなった。頬撫での声は元から僕には聞こえない。
頬撫ぜは隼人と熱心に話し込んでいるようだったけど、僕を撫でたり舐めたりをやめようとしない。時どき、口元を舐められそうになる。僕は顔を背けるのに必死だった。
「うん、判った」
暫くして隼人が立ち上がった。
「あ、そうだ、うちのバンちゃんの顔、舐めるのやめてよね! バンちゃんの顔、舐めていいのはボクだけだから!」
おいおい、さっき言ったこと、すっかり忘れているよね?……祠が微かにガタガタ揺れている。きっと頬撫ぜが抗議してるんだ。それにしても、隼人、いったいいつ僕の顔、舐めた?
「さって、帰ろう。奏さんに言って、蕎麦屋に寄ろう。とろろ、苦手だからバンちゃん食べてね」
――いや、とろろが名物なんだが? いや、それ以前に、こんな深夜に蕎麦屋が開いていると思えない。待て、さっきラーメン食べたばかりだぞ、隼人!
ガタガタ音を立て続ける祠を無視し、隼人は僕の背を押して小道を戻る。名残り惜しそうに頬撫ぜの指先が僕から離れていく。
「去って、帰ろう、だって……むふふ」
僕の後ろではダジャレ大好き隼人がコソッと呟いて、ご満悦のご様子だ。
車に戻ると例によって奏さんが、方向転換を済ませて待っていた。
「隼人、ファミレドの新作スイーツ、好評らしいぞ。帰りに寄るか?」
スマホを眺めながら奏さんが言う。
「やった! 奏ちゃん、ファミレドに行こう!」
大喜びで隼人が答える。隼人の頭の中から蕎麦が瞬時に消えた。でも、コンビニスイーツが売り切れてるって、よくあるよね?
しかも目的のコンビニに着いたら、珍しく『ボクも行く。この目で確認する』と言い出した。これで、もし欠品してたらコンビニの中だろうがきっと怒りまくる。
「バンちゃん、行くよっ!」
車で待っていようと思ったのに、隼人は許してくれそうもない。
「隼人、これだな」
と、目的のスイーツを奏さんが見つける。残ってて良かった。
「うん、美味しそうだね。バンちゃん、買って」
買うのは僕なんだね……隼人は僕が会計をしている間、コンビニの中を物珍しそうにうろうろしている。
あれ? なんだか他のお客さんの近くを意識して歩いてないか? それに隼人が通り過ぎてから、お客さんたちが不思議そうに振り返ってないか?
隼人のリクエストのスイーツと、ホットケーキを二つ、奏さんにブラックコーヒーを買ってコンビニを出る。
車に乗る寸前に隼人が言った。
「頬撫ぜちゃん、そろそろ祠にお帰りよ」
――隼人、頬撫ぜを連れて来ていたのか? あの時、祠がガタガタ揺れたのは、頬撫ぜが隼人に憑りつくために祠から出てきた音なのか? そしてこのコンビニのお客の頬を撫でさせるため、店内を彷徨いたのか?
「ボクの記憶も百年分くらいは食べたでしょ? 食べ過ぎるとお腹壊すよ。うん、またね」
隼人が宙を追うように視線を動かす。頬撫ぜは無事、祠に帰れるだろうか? 祠に帰りつくまでに、何人の頬を撫でるんだろう?
そのあとは、真っ直ぐ住処の古家に帰る。途中、奏さんが頬撫ぜに話を聞いた成果を隼人に訊いたが、『何にも知らないって』と言われ苦笑していた。僕の我慢は頬撫ぜを喜ばせただけ……
奏さんを見送って、部屋に入るや否や、『バンちゃん、コーヒー淹れて』ときた。ま、予測してたけどね。
たっぷりの砂糖とミルクを入れたコーヒーで、さっき買ったチョコレートと生クリームとオレンジピールと砕いたチョコクッキーが乗っかったチョコレートプリンを食べて隼人はご満悦だ。そろそろ『さぁ、寝るよ』と言うかと思いきや、隼人ったら、やっぱり食べ物の事は忘れない。
「バンちゃん、ホットケーキは?」
――まだ食うか……
「あれは朝食用に買ったんだよ。茹で卵を刻んでマヨネーズで和えたのを挟んであげるから」
「ホント? んじゃ、早く寝よう。で、早く起きようっ!」
早く起きたって朝が早くくるわけじゃないけど、僕はわざわざ言わなかった。




