猫 または二度ベルを鳴らす
思った通り翌日のワイドショーは『衆目の見守る中、忽然と消えた被害者! 残されたサングラスは何を物語るのか!?』で、埋め尽くされていた――世の中平和だ。
サングラスを失くしたことで隼人は暫く僕を虐めていたが、そのうち飽きて、
「バンちゃ~ん、サングラス、買ってぇ」
と、甘え始めた。予備はない。隼人に管理できるわけがない。
「黄色いの、ハヤブサの嘴や足の色みたいの」
そこまで黄色いのはないよ、きっと。
良さそうなのを選んで画像を見せると、もっと黄色いのは? と不満そうに頬を膨らませる。隼人ならどんなのでも似合うよ、と言ってやると、
「フン、バンちゃん、ボクを馬鹿にしてる?」
少し怒ったが、
「まぁ、いいや。バンちゃんがいいって言うならそれにする」
と、満更でもないらしかったので注文した。明日には配送されるらしい。
ちなみに僕たちが使っているクレジットカードは奏さん名義だ。僕たちには戸籍があるはずもなく、もちろん住民票もない。唯一、隼人が神通力を使って奏さんにだけ戸籍を作った。だから奏さんは店も車も免許も持っている。僕たちが住んでいる古家の登記上の所有者も奏さんだ。
サングラスがない今日、隼人は事務所兼住処のこの古家から出られなくはないが出ないだろう。オッドアイをじろじろ見られたくない。
「バンちゃん、何か飲みたい。甘いの飲みたい」
「んじゃ、カフェオレにしようか?」
ピヨピヨと隼人が喜びの声をあげる。
火傷しないように隼人が慎重にフーフーする横で、僕も一緒にカフェオレを飲んだ。インターホンが鳴ったのは、そんな時だった。
「無視していいよ。今日、探偵事務所はお休み。だいたい、うちの事務所にお客が来るはずない。仲間が来る時は必ず予告か予兆がある」
確かに、探偵事務所のクライアントが事務所に来たためしがない。依頼はいつも隼人がインターネットで請けている。仲間が来る時は事前に連絡があるし、なくても隼人の第六感が働いて、今日は誰々が来ると必ず言い当てる。
隼人は無視するつもりだが、インターホンを鳴らした相手は無視されるつもりがないようだ。二度目のピンポン音が鳴った。
「バンちゃん、追い返して」
僕ですか、そうだよね、僕が追い返すしかないよね、隼人が自分で追い返すわけないよね。
ところがピンポン音がやんだ途端、どんどんガタガタ、ドアを乱暴に叩く音がし始めた。
「誰だっ! ボクの神殿を脅かす狼藉者はっ!」
いきなり隼人がいきりたち、僕を押しのけ階段を駆け下りる。慌てて追いかける僕、玄関ドアはどんどんガタガタみしみしと尋常じゃない揺らされよう、力づくでドアを壊し、中に入る気か?
「留守だっ! 帰れっ!」
隼人が叫ぶ。
……隼人、それ、誰が納得するんだ?
「いるニョは判ってるんニャよっ! 出てこい、隼人っ!」
借金取りか? うちは借金なんかないはずだ。それに、あの声、あの喋り……
「なぁんだ、珠ちゃんか。久しぶり、今、開けるね」
態度を急変させた隼人が玄関の鍵を開ける。飛び込むように入ってきたのは隼人よりずっと小柄な女の子、隼人に飛び掛かって押し倒す。隼人は後ろにぶっ倒れ、尻餅を搗くが怒りもしない。
「隼人ぉ、会いたかっニャよぉ」
珠ちゃん、隼人に体を擦りつけている。マーキングだ。隼人も嫌がらず、いいコいいコと珠ちゃんの頭を撫でる。
珠ちゃんは猫まただ。猫の妖怪だ。名前の『珠』は僕らと違って隼人が付けたわけじゃない。つまり僕らの仲間じゃない。それに、人間に混じって生きてるわけじゃない。確か、山に潜んで気ままに生きているはずだ。
「ミルクあるよ、二階に行こう」
僕を置き去りに二人は二階に行ってしまった。やれやれと、僕は戸締りをして二人のあとを追うことになる。ハヤブサだって、猫を猫っ可愛がりしたいらしい。
「バンちゃん! 珠ちゃんに早くミルク! ボクには今度はココア。どっちも冷たいのにしてね!」
はいはい、はい。
「うっまーい、あっまーい、美味しぃ」
「牛臭せぇ、乳臭せぇ、脂肪分が甘あい」
「それで珠ちゃん、今日はなんのご用事?」
「それで、隼人ニャん、今日はニャして遊ぶ?」
「珠ちゃん、遊びに来たの?」
「隼人ニャん、遊ばニャいの?」
「うん、ボク、遊んでるほど暇じゃないの」
「へぇ、キミ、遊べるくニャい暇にニャろうよ」
「ボクをキミ、と呼んだなっ?」
「キミをキミと呼んニャよっ!」
「ボク、もう帰るっ!」
「……」
今日は隼人が勝ったようだ。百十五勝百四十三敗。なんで僕、わざわざカウントしてるんだ?
「もう揶揄わニャいから帰らニャいで」
珠ちゃんの声が小さくなった。でも隼人、どこに帰るというのだろう。それに珠ちゃんは、隼人がどこに帰ると思ったのだろう?
「判った。ボクは帰らないから、珠ちゃんが帰れ」
「そうはいかニャい、隼人を食って来いって言われてニャ」
「ボクを食う? そんな大それたことを言うのは誰だ?」
「言うニョはあたち、言ったニョは麺屋の入道」
麺屋の入道って三つ目入道・奏さんのことだ。
「それで、どこから食べる?」
「どこを食べて欲しいニャ?」
「猫に食べられるのは嫌だなぁ」
「贅沢言うニャよぉ」
「ホントに奏ちゃんがボクを食えって?」
「奏ニャんはラーメン食えって言うニャ」
「隼人をどうしろって?」
「隼人にこんニャくと」
「こんにゃく? ボク、あれ、苦手」
「こんにゃくは苦くニャい」
まったく、隼人の友達は、やっぱり面倒くさい。
「それ、コンタクト取れって言ったんじゃないの? コンニャクじゃなくて」
つい助け舟を出す。どうも正解だったようで、珠ちゃんがニッコリした。
「おぉ、血吸い人、その通りニャ」
「血吸い人!?」
「血吸い人っ!」
初めて聞く表現に、つい僕と隼人の声が揃う。
「バンちゃん、良かったじゃん。鬼から人に昇格した」
「良かったニャー、めでたいニャー」
なんか僕、メチャクチャ馬鹿にされてるよな? あぁ、もう、クローゼットに籠りたい……涙。
「んじゃ、帰るニャ」
「え、珠ちゃん、もう帰るの?」
「用事は済んだニョん。ニャんと伝えたって奏ニャんに言って、ご褒美にラーメン貰って山に帰るのニャ」
隼人が止める暇もなく、トットと珠ちゃん、帰っていった。
「なにしに来たんだ?」
隼人が僕に聞く。
「珠ちゃん、奏さんに、隼人とコンタクトを取れって言われて、で、来たみたい」
「何のために?」
「いや……僕に聞かれても判らない」
「バンちゃん! 判らないことをそのままにしてていいと思ってるのっ!?」
だからって、どうしろって言うんだよっ?
「奏ちゃんがコンタクトを取れって言ったんだよっ? さっさと取らなきゃダメでしょっ?」
いや、そうじゃなく、珠ちゃんが隼人とコンタクトを取ったわけで……って、あれ?
「ねぇ、隼人?」
「なぁに、バンちゃん?」
「まさか、隼人、コンタクトレンズ、使ってないよね?」
「コンタクトレンズってなんだろ?」
「目の中に入れるレンズ」
「目の中に入れるって、バンちゃん、そんな怖いことボクにできるわ……け?」
隼人、隼人、おまえ何をした? 何を忘れてる?
「あぁ……コンタクトレンズね、うん、うん」
「隼人ぉ?」
隼人がオドオドと僕を見る。随分と後ろめたそうだ。そして……よくよく見てみれば、オッドアイじゃなくなってる。薄いレモンイエローのはずの右の目が、左の灰銀色に近い色に変わってる……まったく、いつの間にカラコンなんか買ったんだよ?
「僕に黙ってネットでカードを使ったな? 今、言わないとお仕置きするぞ。いいのか、隼人?」
「えーえーえー。お仕置き、怖い、やめて」
「じゃあ、しないから、ちゃんと言え」
「ん、っとね。こないだの夜行さん、満月じゃなきゃダメだったよね?」
「そうだね、夜行さんは満月じゃなきゃ出てこないね」
「でもさ、朔たち、満月だと狂狼になっちゃうじゃん」
「まぁ、そうだね」
「でさ、朔たち、本当はそんなふうになりたくないんだよ」
「うん、僕もそう聞いてる」
「だから、ボク、カラーコンタクトで、太陽を隠しちゃおうって思ったんだ。そしたらさ、月光が減って、魔力も減って」
「太陽の目にカラコン、入れたんだ?」
「うん……で、入れたのを忘れちゃった」
「判った、それじゃ、すぐ外せ」
「えーーーーーっ?」
「なにが『えーーーーーっ?』だよっ! 朔も満も泣いてるんだぞ?」
「だって、だってバンちゃんっ!」
隼人が涙ぐむ。
「コンタクト、取るの怖いよ。ボクの目も一緒に取れちゃわない?」
言うなりポロポロ涙を零す。
僕はいつものように溜息を吐く。深い深い溜息を吐く。
「大丈夫、ちょうど今、取りやすいはずだから。やってみてごらん」
涙でウルウルで、それだけでも取れそうだ。でも、車に跳ね飛ばされても取れなかったコンタクトレンズ、本当にちゃんと取れるのか?
「あ、ホント、取れた。やった! ボクにもできた!」
気持ち、窓の外が少しだけ明るくなった気がした。
奏さんにお礼の電話をしようと僕は立ち上がった。うちの太陽神がお騒がせしました、無事に解決しましたと報告しよう。朔と満にも、もう心配ないよと連絡しよう。
奏さんは、どうして隼人のコンタクトレンズに気が付いたんだろう? カードの利用履歴でも見たのかな? まさかストローなんてことじゃないよね? まぁ、ついでにそれも訊けばいい……あ、キーワードはストローじゃなくって〝邪魔な物〟のほうか?
「バンちゃん……」
立ちあがった僕を隼人が引き留める。縋りつくような目で僕を見る。
「バンちゃん、ボクを見捨てない?」
そう言って、しがみ付いてくる。そして僕はまた騙される。
「見捨てたりするもんか」
すると隼人が嬉しそうにフワッと頬を膨らませてから、僕の耳元でそっと囁いた。僕は微笑んで隼人に答える。
「うん、判った。でもそれは、奏さんと朔たちに電話してからにしようね」
隼人がボクになんと囁いたのか、それは隼人と僕、二人だけの秘密――




