後ろの正面を、向いて、ご覧
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今回は、影の男の視点です。
影の男 グレッグ・インデバーside
ずっと、キグナス殿下を見てきた。小さい頃から、殿下の一挙手一投足、周りに及ぼす影響、周囲の動き。それらを把握するのが、我らインデバー子爵家の仕事。
殿下と同じ歳の私は、学園での護衛も、影の任務も兼任する事になった。尤も、そのどちらも私だけでは、ないが。私は、目立たぬ様に、誰からも印象に残らぬよう、ひっそりと殿下の側にいた。
やがて、密かに殿下に関する噂が、囁かれる様になった。
『キグナス殿下が浮気をしていて、婚約者のグレイス公爵令嬢は、婚約破棄されるらしい』
全くのデマだな
デマなのに、尤もらしく囁かれている。
唯一、殿下が話をしている女は、セリーナ子爵令嬢。
だが、その内容は、文官が業務内容の把握をしているかの様に、味気ない。
殿下にとっては。
この女にとっては、違うようだが。
セリーナ嬢は、他の人間には上っ面だけの微笑みを向けるのに、殿下に対してだけは、明らかに違う笑みを向ける。まるで、獲物に向ける笑みの様だ。
殿下と一緒にいる時は、人々が誤解する様に、そっと立ち位置を変える。むやみに、笑う。
セリーナ嬢を調べていくと、とんでもない事が判ってきた。
彼女は、他人の会話をこっそり聞いている。隠れて誰かが何かをするのを、ひっそりと見ている。
そして、秘密を見つけると、相手にその秘密を囁くのだ。そして、こう続ける。
『そう言えば、キグナス殿下は他の女にご執心なんですって。近く、婚約者とは婚約破棄されるんじゃないかしらともっぱらの噂よ。貴女も、お友達とは、そんな話をすると良いわね。
貴女の、妙な噂が出回らないようにね』
セリーナ嬢は、あたかも可愛らしい女郎蜘蛛の様だ。
そして、殿下を、知らぬ間に糸で絡めとっていく。
これは、面白い!
私は、殿下の従者に報告を上げつつ、彼女を追った。
女郎蜘蛛は、更に新たな糸を紡ぐ。
グレイス嬢の義弟サイラス。そして、その兄。
ははははは。
急いては事を仕損じるって、言葉を知っているかい?セリーナ嬢。
捕まえた。捕まえた。
サイラスと、その兄達、グレイス嬢の争いに、キグナス殿下が加わったのに焦ったセリーナ嬢は、慌てて隠れ場所から飛び出そうとした。
ああ、駄目だよ。飛び出しちゃ。
私は、彼女の目と口を塞いで背後から抱きついた。
捕まえた。捕まえた。私の女郎蜘蛛。
私は、彼女の目を塞いだ手だけを離して、彼女を自分の方に向かせる。今度は、彼女の腰をがっしと抱く。
私を、見ろ。
私を、見ろ。
怯え、戸惑い、恐怖が彼女を満たす。
ああ、愉快、愉快。
今までになく、心が踊る。自然と顔が綻ぶ。
お前は、私のものだ。
彼女を肩に担いで、誰にも悟られない様に、素早くコッソリと私は校舎の隠し部屋の一つに走り込んだ。
「次代様、何を?」
影から殿下を見守る交代要員の1人が、私に気付いて、言った。彼は、うちの子飼いの1人だ。
「嫁を、見つけた」
彼は、訝しげにセリーナ嬢を見た。こいつか、とでも言いたげだ。
「はあ!?どうして、私が嫁なのよ!」
「陰険に、陰からひっそりと弱点を調べ上げ、民衆の心を操り、敵の知らぬ間に、包囲を縮め、追い立てて刈り取る。中々に無い嫁だ」
「まあ、うちの一族には、ピッタリですね」
興奮した私を見たことの無い、子飼いの彼は、鼻白んで、私から一歩、後退った。
「何か、私に対する悪口しか、聞こえないんですが!?」
「いえいえ、どうして。確かに我が一族では、褒め言葉になっております」
子飼いの男が、そう断言した。私が床に降ろしてやったセリーナ嬢は、嫌そうに鼻に皺を寄せた。
そう言う顔も、中々どうして、可愛らしい。
「父上には、既にこの件に関しては、報告済みだ」
胸の隠しポケットから、私は、書類を出し、彼女の目の前に突きつけた。
「結婚許可証?何、これ?貴方の名前も、貴方の父親の子爵の名前も署名済みじゃない?」
「そう、ここにお前の名前を書くだけだ。お前の父親の署名は、不要。そのまま、国王陛下の元に提出して、夫婦となる。我が一族に許される特権だ」
「嫌よ!」
「その場合は、今回の、民衆を惑わさせ、殿下に関する虚偽の噂を広め、キグナス殿下の婚約者を襲わせた罪を償うと言う方向で、裁判にかけられ、一族取り潰しの上、罪を償わされる……かもしれないな」
戸惑う、セリーナ嬢に、テーブルの上に置いてあるペンとインクを示した。
「よく言うだろう?お前の答えは、『はい』か『イエス』だ」
まあ、ここで、この書類を破いても、もうどうしようもないがな。
可愛い女郎蜘蛛。お前の逃げ道は、もう、無い。
「普通が1番いいんだぞ?」
「あんたの何処が、普通なわけ?」
「中肉中背、何処にでもいる様な顔。世間に埋没して、影でこっそり活動しても、誰も見ないやつ」
「私の容姿が普通だって言いたいわけ?」
「いやいや、取り立てて美人でもないが、可愛くて、一見、大人しい女。世間の目眩ましには、丁度良い。誰も、お前が、こんな事を企むとは思うまい。うん、素晴らしい」
「本当に、誉めてるの?」
多分、誉めてるんでしょうねー。嫌味じゃなくて。
もう一話、お付き合い下さい。




