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タマネギと恋に落ちたのは保存庫の中でした

作者: みなはる
掲載日:2025/08/31

終業の鐘と同時に見習い書記たちは一斉に筆を置き、事務所を飛び出していった。

「お先に失礼します」の一言もなく。

まあいい。

私も昔はそうだった。

若さってのは年上を踏み台にして回っていくのだろう、なんて卑屈すぎるだろうか。



馬車に揺られ、町の市場へ立ち寄る。

保存庫の食材を少し補充したかった。

干し肉や黒パンはもう揃っている。

でも何か一つ野菜を足して、少しだけ自炊感を出したい。


「あら、リーヴェラ。今日はタマネギが安いわよ!」


仲の良いリンスさんに声をかけられて、店前で足が止まる。

目に入ったのは、安売りされていたタマネギ。


「シチューにしようかな」


と、適当に手に取り袋に放り込む。

家に帰ると、さっそくタマネギを保存庫に片付ける。

疲れていたのでその日は食事を作らず、パンをかじって簡単に済ませた。

一人暮らしの利点はこういうときにしか実感できない。

そのままベッドに倒れ込むと、あっという間に眠り込んでしまった。



今日もまた、なんとなく生き延びただけの一日だった。

家に帰って着替えるのも億劫だ。

今日の夕食は何にしようかと保存庫を開けるが、たいしたものはない。

あるのは安売りで買ったタマネギだけだ。


「今日もパンと干し肉でいいかぁ……」


保存庫を閉めかけた、そのとき。

奥の暗がりから、低く湿った声が響いた。


「……なぜ我を見捨てる」


ぞわりと背筋に冷たいものが走る。

慌てて保存庫を閉めて、固まった。

いま、声がした? いやいや、そんなわけない。

心臓がばくばくいっている。

耳を塞いでも残響のように言葉が蘇る。


「や、やだ……疲れてるんだ、私」


そう自分に言い聞かせ、保存庫の前から離れた。

深呼吸をしても胸の奥のざわめきは消えない。

それでも、保存庫を再び開ける勇気は出なかった。


「……今日もパンと干し肉で十分」


自分に言い訳をするように呟いて、リーヴェラは夕食を済ませた。



翌日仕事から帰った私は、また保存庫の前で立ち尽くしていた。


「昨日は疲れてたのよね」


自分に言い聞かせるように扉を開ける。

中にはあの日と同じ、寂しげに転がる玉ねぎ。

そのはずなのに。


「なぜ私を見捨てる、リーヴェラ」


ぞくり、と全身の血が引いた。

まただ。

声がした。

しかも今度は、私の名前を、呼んだ?


「……っ、は、はい!? ちょ、ちょっと待って!? なんで私の名前知ってるの!?」


保存庫の奥をのぞき込むと、タマネギが静かにこちらを見ていた。

目なんてないはずなのに、見つめられている感覚がある。


「おまえが、私を拾ったのだ」


低い声が答える。

心臓がどくどくとうるさくて、息が詰まる。


「は、幻聴じゃない……よね? いやでも……タマネギでしょ? ただのタマネギ……だよね?」


手が震えて、保存庫の扉を思わず閉めた。

けれど、その向こうから確かに声が続いた。

しばらく黙り込んでから、再びゆっくりと開く。

そこには、ただ一つ転がるタマネギ。

けれど、確かにこちらを見つめている気がした。


「……あなたは、タマネギ……よね?」

「……ああ、私はタマネギ……」


一瞬の間。


「……いや、違う……そうだった気もするが、よく思い出せない。けれど、確かに――名があったはずだ。尊き響きが…」


タマネギの尊き名前とはなんだと、思わず口元がゆるむ。

タマネギとの妙な会話は、気づけば怖さよりもおかしさのほうが勝っていた。

タマネギはしばらく黙り込んでいたけれど、しばらくしてため息のような声をこぼす。


「……私は、もとはタマネギではない」

「え?」

「そうだ。呪いを受け、この姿に変えられた。そして、この呪いを解く唯一の方法は……」


言いよどんで、タマネギは苦しげに続けた。


「私を、食らうことなのだ」

「え……食べたらいいの?」


私は思わず口に出してしまった。


タマネギは、少し間を置いて、弱々しい声で答える。


「……いや、まだ、その覚悟は。……私は食べられることでしか呪いを解けない。…だが、怖い」

「……そっか。無理にとは言わないよ。今日は見てるだけでいい?」

「……すまない」


そう言うと、タマネルは保存庫の奥でころりと揺れ、少しだけ安心したようだった。



保存庫の奥に転がるその存在は、タマネギと呼ばれるのをどうにも嫌がっていた。

いくつかの候補を出した上で、仮の名として「タマネル」と呼ぶことにした。

それでようやく、彼は納得したように静かになった。



それから私とタマネルは毎日のように会話を続けた。

保存庫を開ければ、必ずと言っていいほど彼は文句を言う。


「剥く覚悟はあるのか、リーヴェラ」

「いや、まだ……」

「……いいかげん、調理してくれないか。私の賞味期限、残りわずかだ」

「今日は無理かな。疲れた」


朝、出勤前に会話することもあった。


「今日の夕食は何だ?」

「今日はシチューにしようかな」

「とうとう私の出番かっ…!」


帰宅後にやっぱり疲れたからと断れば、無念と悲壮感を漂わせていた。

別の日には、半分だけ調理してみようと提案する。


「炒めてみる?」

「炒っ!?……いや、もう少し待ってくれ」


そんなやり取りを毎日繰り返しているうちに、

タマネルのため息は少しずつ軽くなり、私も彼との会話を楽しみにしていた。



今日はいよいよ、タマネルの皮を剥いてみることにした。

保存庫の前に立ち、タマネルを手に持つ。


「……大丈夫?」

「……うむ……だが、少し緊張する」


そっと皮を剥き始めると、タマネルは小さな声で呟いた。


「……ああ思いだした。私はかつて騎士であったのだ」

「え、騎士?」

「そうだ。王国に仕え、剣を振るい。今の姿を見てからは想像もつかぬだろう」


私はつい笑ってしまう。


「うーん、なるほどね。そういう過去を聞いちゃったら、無理に食べるのも怖いかも」


タマネルは皮を一枚剥かれるたびに、不思議と自分の記憶と向き合うようだった。

そして、ちょっと照れくさそうに言う。


「恥ずかしい話ではあるが、リーヴェラとこうして会話できるのは、楽しい」

「うん、私もだよ、タマネル」


その日はそれ以上皮を剥くことなく、保存庫を閉めた。

外の夕暮れが差し込む中タマネルはころりと静かに揺れ、私はその様子を少し微笑ましく眺めていた。



あの日からタマネルは少しずつ、思い出したことを口にするようになった。

かつての騎士としての記憶、王国で剣を振るっていた日々や仲間たちとの戦い、そして誇り高かった自分の立場。

そんな話を聞くと、私はつい微笑みながら、自分の疲れた日常の愚痴もつい吐き出してしまった。

終わらない仕事の書類の山や、気を遣う後輩たちの些細な出来事。

タマネルは相槌を打つこともせず、ただじっと聞いてくれているようでその沈黙が心地よかった。

まるでどんなに小さな私の愚痴も、価値あるもののように扱ってくれるかのようだった。



日に日に、タマネルの様子に変化が出てきた。

皮の表面に、ほんのわずかだが芽のようなものが見え始めたのだ。

それはつまり呪いの時間が刻一刻と迫り、賞味期限が近づいている証でもあった。

保存庫の奥でころりと揺れるタマネルを見つめながら、私は少しだけ緊張する。 


「そろそろ……本当に覚悟を決める時が来るのかもしれない」


そんな気持ちが、自然と胸の奥に広がっていた。



タマネギとの奇妙な会話を続け一ヶ月。

タマネルは覚悟を決めた真剣な声音で私に語りかけてきた。


「…私の命もあとわずかなようだ。リーヴェラ。私の命を君に託す」

「わかった、シチューに入れてみるよ」


私は今日買ってきたばかりの肉を取り出した。

タマネルは保存庫の奥で、少し緊張した声を漏らす。


「……ついに、この時が来たのだな」

「うん、でも大丈夫だよ」


包丁を手に取り、私は迷わずタマネルを鍋に入れた。 

タマネルは小さく息をつき、少し安心したように揺れる。


「…信頼している。ありがとう、リーヴェラ」


鍋の中で温められるタマネルの姿を見つめながら、私は心の中でそっとつぶやいた。


「さあ、元に戻る時だね……」


シチューが出来上がる頃には、タマネルの反応はもうなかった。

鍋から立ち上る湯気は、玉ねぎと肉、ハーブの香りが混ざり合い、部屋中に満ちていた。

濃厚な香りに、思わず深呼吸をする。


「……ああ、いい匂い」


私は小さなスプーンでシチューをすくい、口に運んだ。

柔らかく煮えた肉と、甘くほろりとした玉ねぎの味が広がる。


「……呪いは解けたかな、タマネル」


保存庫の奥を見やる。タマネルはもういない。

けれどどこかで彼が、私のことを見ているような、そんな気配がかすかに残っていた。



いつもの日常に戻ったリーヴェラ。

保存庫の中のタマネルを見つめていた日々が嘘のように過ぎ去り、少しだけ寂しさを感じていた。


その晩珍しく後輩を誘ってお酒を飲み、笑いながら帰宅する。

酔いも手伝って気分は軽く、足取りもふわりとしたまま、自宅に帰る。


「リーヴェラ……」


その低く澄んだ声に、思わず足が止まる。

誰もいないはずの暗がりに、確かに人影があった。

鎧を纏った男性が、静かにこちらを見つめている。


「誰……?」

「リーヴェラ……やっと、会えた」


胸が跳ね、驚きと喜びが同時に込み上げる。

「タマネル?」と、思わず口にする。


「ああ。だがもうタマネルではない。本当の名は――サイネル。リーヴェラのおかげで、呪いが解けた」


サイネルは微笑みを浮かべ、ゆっくりと一歩近づく。

夜風に揺れる鎧が、彼の落ち着いた存在感をより際立たせる。

その姿を目にした瞬間、リーヴェラはこれまでのタマネルとの生活を思い出した。

タマネルとして保存庫でころりと転がっていた日々、毎日の楽しみやり取り。

居なくなってしまった寂しさも、こうしてサイネルとして目の前にいる今、すべて報われる気がした。


「こうして会えて……本当に嬉しい」


リーヴェラは一歩近づき、鎧の彼を見つめる。

サイネルの瞳にも、同じ安堵と喜びが宿っているのがわかった。


「私もだ、リーヴェラ。君と過ごした時間は本当に楽しいものだった。君のことが忘れられなかった」


リーヴェラは胸がじんと熱くなるのを感じた。

長い奇妙な日々タマネルとしてのやり取り、そして別れの寂しさを思い出していた。

サイネルは静かに一歩近づき、柔らかく笑みを浮かべた。


「これからも、ずっと一緒にいたい、リーヴェラ」


その言葉に、リーヴェラの頬は自然と紅くなる。


「うん、私も。ずっと一緒にいたい」


夜風がそよぎ、遠くの街灯が二人を優しく照らす。

長く奇妙でそして少し切なかった日々を経て、二人の新しい日常が始まったのだった。


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