第3話:思いがけない協力者と揺れる心
「クラリス様、あの少女がまた来ています」
朝食の席で、エリザベスが小声で告げた。昨日追い返したはずなのに、またか。しつこい下民め。
「今日は会ってあげるわ。その…アッシュのことを話し合わないと」
アッシュは相変わらず寝室に隠してある。一週間が経ち、すっかりわたくしに懐いてしまった。離れたくない気持ちと、正しいことをすべきだという思いが交錯する。
応接間へ向かうと、昨日よりも疲れた様子の少女が立っていた。
「お嬢様、どうかアッシュのことを…」
「まず名前を名乗りなさい。貴族に話しかける作法も知らないの?」
わたくしの冷たい言葉に、少女は震えながらも答えた。
「エマと申します。村の製粉所の娘です」
「エマ、あなたにはなぜそんなに猫が必要なの?新しい猫を探せばいいじゃない」
意地悪な質問だと自覚しつつも、わたくしは答えを求めた。
少女の瞳に涙が浮かぶ。
「アッシュは母の形見なんです。今年の冬に病で亡くなって…最後まで看病してくれたのがアッシュでした」
エマの言葉に、心が揺さぶられた。母親の死。それは…わたくしにも覚えがある痛み。
5歳の誕生日。実はあの日、母上は重い病で床に伏していた。「完璧であれ」と言い残して父上は政務に向かい、わたくしは一人、母上の枕元で泣いていた。
助からないと知りながら、母上はわたくしに微笑みかけた最期の言葉。
「強くなりなさい、クラリス。でも、心まで氷にしてはいけませんよ」
思い出からわたくしを引き戻したのは、エリザベスの咳払いだった。
「クラリス様、お茶が入りました」
テーブルには上等な茶器とお菓子が並んでいる。いつの間に用意したのかしら。
「エマ、座りなさい。話を聞かせて」
少女の驚いた表情が、少し心地よかった。
エマの母親は村一番の料理人だったこと。製粉所は借金を抱えていること。そして、アッシュが彼女にとって唯一の家族であること。
「わかったわ。実は…アッシュはここにいるの」
エマの顔が明るくなる。その瞬間、寝室から猫の鳴き声が——。
「みゃあ!」
ドアを開けると、アッシュが飛び出してきた。嬉しそうにエマの膝に飛び乗り、顔をすりよせる様子を見て、わたくしの胸は締め付けられた。
「持っていきなさい。あなたのものなのだから」
冷静に言ったつもりが、声が震えている。エリザベスが心配そうに見つめてくる。
「でも…」エマが躊躇した。「アッシュ、お嬢様のことも気に入っているみたいです」
確かに、アッシュはエマの膝からわたくしの方へも顔を向けている。この一週間の絆は、想像以上に強かったのかもしれない。
「それなら…交代で面倒を見るのはどうでしょう?」
エリザベスが突然提案した。
「週末はエマさんが、平日はクラリス様が。アッシュも寂しくないでしょう」
「ばかな!そんなことをしたら父上に…」
言いかけて、わたくしは気づいた。すでに覚悟は決まっていた。どんな罰を受けようとも、アッシュとの絆は手放せない。
「いいわ。やってみましょう」
エマの顔に笑顔が広がった。わたくしはてれくさそうに顔を背けた。
「ただし、これは秘密よ。誰にも言わないで」
その時、応接間の扉が大きく開いた。
「クラリス、何をしている?」
厳しい声に振り向くと、そこには父上の姿があった。