第2話:秘密の居候と異変の始まり
「みゃあ、みゃあ」
夜中の鳴き声に、わたくしは布団から這い出した。寝室の隅、特別に用意した絹のクッションの上で、灰色の子猫がじっとこちらを見つめている。
「もう、静かにしなさい。誰かに聞こえたらどうするの」
そっと指先で子猫の頭を撫でると、生意気にも手に顔をすりよせてきた。図々しい…でも愛らしい。
「名前、つけてあげないとね…」
わたくしは考えた。威厳があって、優雅で、アルトレイド家にふさわしい名前を。
「アッシュ…いいわね。その灰色の毛並みにぴったりよ」
子猫——アッシュは満足げに喉を鳴らした。まるでわたくしの考えが分かるかのように。
朝になれば、すぐにでも引き取り手を探さねばならない。父上に見つかれば大変なことになる…いや、考えたくもない。
それなのに、どうしてかアッシュを手放す気になれない自分がいた。
「クラリス様、朝食の準備が…あら?」
扉を開けたエリザベスの目が、アッシュを見て丸くなった。
「話せば長くなるわ。とにかく、これは秘密よ」
わたくしの命令に、エリザベスは深々と頷いた。彼女は忠実な従者だ。そして数少ない、わたくしの味方。
「しかし、どうするつもりですか?いつかは見つかりますよ」
「その時はその時よ。今は…」
言葉を切ったわたくしの膝に、アッシュが飛び乗った。どうやら朝食を催促しているようだ。
「はぁ…わかったわよ。エリザベス、猫用のミルクを用意して」
「はい、かしこまりました。猫様のご命令で」
からかうような口調に、わたくしは顔を赤らめた。
「猫のためじゃないわ!わたくしが…実験のために必要なだけよ」
嘘が下手になっている。これは明らかに悪い兆候だわ。
学院でも変化は始まっていた。いつものように威圧的に振る舞おうとしても、頭の中はアッシュのことでいっぱい。
「クラリス様、今日はずいぶんと優しいですね」
茶会で、第二級貴族の令嬢が驚いた様子で言った。
「何を言ってるの?わたくしはいつも通りよ」
だが、いつもなら容赦なく叱責していたはずの給仕の失敗を、今日はなぜか見逃していた。
帰り道、雨が降り始めた。急いで屋敷に戻ると、予想外の来客が待っていた。
「お嬢様、こちらの少女が猫を探しているとのことで」
執事が案内したのは、粗末な服を着た村の少女。10歳にも満たないだろうか。
「灰色の子猫を見かけませんでしたか?お願いします、アッシュは私の大切な…」
わたくしの心臓が止まりそうになった。アッシュ?この少女が飼い主?
「知らないわ。それより、どうしてそんな名前をつけたの?」
少女は恐る恐る答えた。
「その子が生まれた日、空が灰色の雲で覆われていたからです」
わたくしは何かが胸の奥で崩れていくのを感じた。この子は本当の飼い主。正当な権利がある。でも…
「帰りなさい。もう二度と来ないで」
冷たく言い放ったわたくしの背後で、どこからか小さな「みゃあ」という声が聞こえた。
運命の歯車は、さらに速く回り始めたのだった。