龍のウ▢コを求めて
それは、とある会社のオフィスでの出来事。突然耳を貫く鐘の音と共に、雷鳴が走る。激しい震音が肌を伝わり、グルグルと唸る。まるで猛獣のようだ。いや……龍の咆哮か。
いつもの禁断症状が出たのだ。発作に近いと思う。我慢して我慢して、ようやく絞り出したというのに……全て台無しになった。
龍涎に塗れた子文書をまとめ、大きく息を吐く。オフィスから覗ける開け放たれたガラス窓の先には、雲間が広がる。嵐にはならないはずだ。
足掻けるものなら楽になれる。
逆らえるのならば忘れられる。
────でも駄目だ。町をまるごと覆い尽くし、呑み込むような鼻孔を刺激する匂い。
吐き出された炎は肉を焦がし、黒煙を上げる。あたり一面脂が弾かれて広がり、立ち昇る煙が雲を生む。
そう‥‥このオフィスは現在、龍の生み出す熱気に襲われているのだ。双龍が相対し、混沌の層を成している。戦いに巻き込まれては最期、気が狂い正気を保てなくなる。
私は発作を抑えるためにスマホのロックを解除し、緊急のメッセージを送る。堪え難い腹痛に苛まされながら文字を打つ。
『龍の‥‥龍のウンコが食いたい!!』
────腹は決まった。今日の気分は『龍のウンコ』 だ。戦いの熱気と毒気に打ち克つには、『龍のウンコ』 が一番なのだ。
大事な取引先に提出する資料作りがあるというのに、龍同士の迷惑な戦いに悩まされる。私の今の身体の半分は、龍の肉を喰らい出来ていると言っても過言ではない。
◇
「はい、『龍のウロコ』お待ちどお〜さまだね」
オフィス内にやって来たのは来龍軒の店員だ。オフィスビルの階下のテナントには来龍軒が入っている。テナント特権というのだろう。お店の出前はウーバーなどなしに、無料で運んで来てくれるのだ。
熱々のスープは酸を含んだ龍の涎のように舌を溶かし、湯気が上がる。『龍のウロコ』 というだけあって、厚切りのチャーシューが綺麗に龍の鱗のように飾り立てられて、悲鳴をあげる腹を挑発した。
龍の瞳のように、黄色く濁った煮卵。口髭を描いたような鳴門。隠し味の生姜と、がっつりとニンニク効いた味噌の味。
食べ終わった今の私を放心しながら省みる。はち切れそうな脂の乗った腹。ダクトから排出される煙に燻されているため、空を駆ける龍に丸呑みされればさぞうまかろう。
来龍軒人気メニューの龍のウロコのロの部分を、私は隠語だと勘違いした。卑猥な言葉を隠すアレだ。
・龍のウロコ
・龍のウ▢コ
勘違いを笑われたが、注文のメッセージはあえてそうしましょうと決めた。辱めを受けるかわりに、値引きしてくれるのだ。変わった店主だが、腕は確かだ。
『龍のウンコ』 を堪能した私は、違う苦しみに襲われるのだが、それは話すようなものではない。
ちなみに階下のテナントはもう一つある。私が龍のウロコをウンコと読み違えた理由は、来龍軒ともう一つの店、龍飛亭のメニューにある。
来龍軒には、他にも雲呑そばがある。もう一つの龍を冠する龍飛亭には雲丹そばや雲丹丼がある。
なんで雲呑や雲丹を漢字で書いて、ウロコだけカタカナなのさ!
なんとなくご誘導させられて、間違えるのを狙っているとしか思えない。
真相はわからない。ただ一つ言えるのは、双龍が争うようにランチタイムを競う限り、このオフィスは香ばしい匂いに襲われ続けるのだ。
「はい、よろこんでーーー!」
「お持ち帰りいっちょーいただきました」
ええぃ、私の耳に幻聴ではない声が響く。元気な店員さんたちが、注文を受けて喜んでいる声だ。
お腹は満たされ幸せな午後。ドラゴンに囚われた姫のような私。龍の卵のように丸々にされる前に‥‥誰か私も注文して、救い出してはくれないだろうか。
お読みいただきありがとうございました。しいなここみ様の「麺類短編料理企画」にて提供の一皿となります。
龍飛亭は龍飛崎と調べると出てくるお店がありますが、本作とは関係ありません。来龍軒は沢山ありがちですね。