騎士と制服
早朝というより夜明けに近い時刻、皇宮にある近衛騎士団の修練場でヒルダは剣舞の練習をしていた。現代の女性騎士は接待役の役割も期待される。そのため賓客の前で剣舞を披露することがあるのだ。
まだ誰もいない時間帯を選んで練習しているのには理由がある。男性騎士の一部には女性騎士を『踊り子』と呼んで侮蔑する者がいるのだ。さすがに面と向かってそのような暴言を吐かれたことはなかったが、陰でそう言う者がいることは知っていた。(それが本心かどうかは別として)そんなことは気にしないという同性の同僚もいたが、ヒルダは気になる方だった。
踊りといっても真剣を使うこともあるので結構危険である。だからヒルダは真面目に取り組む。だが一部の異性はそれを理解しようとしない。それがヒルダには腹立たしい。
切りの良いところで休憩していたら、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。反射的に声のする方を振り返ったら騎士団長の姿が目に入った。騎士団長の執務室は詰め所の二階にあり、その窓からは修練場が見渡せるようになっているのだ。
「新しい任務だ」
ヒルダが執務室に入ったとたん団長は用件を切り出した。
「護衛任務でしょうか」
「そうだ。高等学園に通学するレネスティ公女殿下の護衛だ」
ヒルダの表情が微妙に引きつったのを見て、団長は言葉を継いだ。
「前回の護衛任務で陛下から褒美が出たので、おまえに優先的に回そうと思ったんだ。前回と違って希望者はいるから、気が進まなければそっちに回してもいい。殿下からの指名ではないからな」
大公国から皇都への護衛任務は誰もやりたがらなかった。長い間皇都を離れることになるし、護衛対象は敗戦国の人質だったからだ。女性騎士たちの間でババ抜きのような駆け引きが行われた結果、それはヒルダに押し付けられた。
しかし最近になって女性騎士の人員削減の話が持ち上がったことで状況は変わった。
ここ数年の間に第一から第三皇女が相次いで他家に嫁いだことにより、女性皇族の人数が減った。そのため女性騎士の仕事も減った。さらに戦争が終わったことで暗殺の危険も減った。コストパフォーマンスが悪い女性騎士の人数を減らしてはどうかという声が上がるのはおかしなことではない。
もちろん伝統ある女性騎士を存続させようという意見もあるのだが、全廃ではなく削減だと反対しにくい。コスパを改善するために接待役を兼任して付加価値を上げる努力をしてきたが、十分ではなかった。若干名の削減は避けられない見通しだった。
女性騎士個人がリストラを回避する確実な方法は、女性皇族に気に入られてその専属になることである。新たに登場したマリアーナにはまだ専属の騎士はいない。まさに狙い目なのだ。なんとかマリアーナに取り入ろうとする女性騎士は多い。
ヒルダのルデスター家は四代続く騎士家である。騎士爵は世襲制ではないので、四代も続いた騎士家は帝国内でも珍しい。それゆえヒルダは自分の家に誇りを持っている。ヒルダに兄弟はいない。騎士だった父親もすでに亡くなっている。現在のルデスター家の当主はヒルダだ。そのヒルダが騎士団を解雇されるのは単に職を失うだけでなく、ルデスター家が准貴族から平民に転落することを意味する。ヒルダはそれだけは避けたかった。
職場結婚して夫に婿養子になってもらうという抜け道もあるが、異性の同僚に対してよい感情を持っていないヒルダにはハードルが高かった。
つまりヒルダにとってこの話は渡りに船のはずなのだが、ヒルダは躊躇した。前回のこともあるが、父親がオリスティ王国との戦争で戦死したこともある。だが迷いは長続きしなかった。ヒルダにとって最も重要なのは、騎士家としてのルデスター家を存続させることだった。
「謹んで拝命します」
真新しい学園の制服を見て、マリアーナは軍服みたいだと思った。
制服は質実剛健を尊ぶ帝国らしいシンプルなデザインだが、大公国から来たマリアーナには軍服にしか見えなかった。軍服など着たことがないマリアーナには、これを着こなす自信がなかった。
そもそも制服を着る必要性が理解できない。勉強をするのは生徒だ、制服ではない。だが校則だと言われれば従うしかない。
マリアーナは校則を調べてみた。服装についてはかなり細かく決められている。学年によって襟に入れる線の色まで決められているところは階級章を連想させる。学園は軍隊みたいなところなのかと不安になる。
これは婚前不安ならぬ入学前不安と呼ぶべきか。いや婚約によって皇都に来たのだから、これも立派なマリッジブルーなのだろうか。だが入学しないという選択肢はない。入学したら皇子の婚約者として、大公国の公女として相応しい立ち居振る舞いが求められる。入学して早々、みっともない着こなしはできないのだ。
悩んでいたマリアーナは乱入者に驚かされた。
「マリア、なにしてるの」
マリアーナが振り返ると、いつの間にかフィリウスが部屋に入ってきていた。
「フィリウス様!」
マリアーナの驚きの声を聞きつけたのか、カーヤが飛んできた。
「坊っちゃま!」
「カーヤ、ひさしぶり。マリアのそばづかえになったんだ」
二人のやり取りを驚きながら見ていたマリアーナに、フィリウスは説明した。
「カーヤはぼくのうばだったんだ」
カーヤは母乳が出る年齢には見えないが、皇室では乳児の世話をする女性を乳母と呼ぶのだろう。それでカーヤはフィリウスを殿下ではなく坊ちゃまと呼んだのか、マリアーナはそう納得した。
「坊ちゃま、たとえ相手が婚約者でも皇族が訪問するときは先触れを出さなければなりません。いきなり訪問しては相手に迷惑がかかります」
「……ごめんなさい」
「私は気にしてませんよ。でも次からはそうしていただけると助かります」
「うん、わかった」
この年頃の男の子ならわんぱくなのは仕方ない。思ったより素直ないい子でよかった。マリアーナはそう思った。
フィリウスは制服に目を留めた。
「これ、マリアの?」
「はい、そうですよ」
「カルラねえさんのとおなじだ」
マリアーナはカルラ皇女が学園に通っていることを思い出した。確か十五歳だから一学年下になるはずだ。
「マリア、きてみせて」
マリアーナがどう断ろうかと考え始めたところで、カーヤが助け舟を出した。
「女性の着替えは簡単にできるものではありません。マリアーナ様を困らせたら嫌われますよ」
「じゃあからだのまえにあててみせて」
「……それくらいなら」
マリアーナはリクエストに応えた。
「どうでしょう?」
(似合わねえ! 顔立ちが派手なのに制服が地味すぎる。これってヘアメイクで修正できる範囲なのか? カーヤに任せておけば大丈夫だとは思うが、ただでさえいじめられる要素があるんだから不安だな。ここは正直に答えた方がいいんだろうか? 俺は三歳児だから多少は失礼な発言をしても大丈夫だと思うが)
ちょっと悩んだが、フィリウスは子供の武器を使うことにした。
「よくわかんない」
三歳児なんてそんなものだろうと、マリアーナとカーヤは納得した。
昼食のために食堂に入ったフィリウスは、いつもはいない人物がいることに気づいた。
「コンにいさん、きしだんをくびになったんですか」
フィリウスに声をかけられたコンラートは、微妙な表情でフィリウスを見た。
「おまえ、俺にだけはあたりが強くないか?」
「しごとについては、ドルフにいさんがただしいとおもいます」
「まだ馘首になってねえよ。今日は仕事でここにいるんだ」
騎士として働いているコンラートは、昼食は同僚たちと摂ることがほとんどだ。
「今日のコンは私の護衛だ」
フィリウスはコンラートの陰にもう一人いることに気づいた。
「ベルにいさん!」
ベルトマーは駆け寄ってきた弟を抱き上げた。
「ちょっと見ない間に大きくなったな」
「メリーねえさんは? いっしょじゃないの?」
メリーとはベルトマーの妻のクレメリーのことである。
「メリーは領地で留守番だ。そのことで報告があって来たんだ」
「ひょっとして、おめでた?」
ベルトマーとコンラートは驚きが表情に出た。
「よくわかったな」
「とんだマセガキだ」
「ぼく、さんさいでおじさんになるんだ」
ベルトマーは苦笑する。
「おまえが本当に三歳なのか、ときどきわからなくなるな」
「たまに三十歳みたいな発言をするからな」
フィリウスは内心焦った。
(さすがに俺のことを転生者だとは思わないだろうが、もうちょっと注意した方がいいかな)
昼食には皇帝夫妻と皇太子夫妻が加わった。マリアーナも呼ばれた。普段は皇都にいないベルトマーとの顔合わせのためだ。
昼食の席でクレメリーの懐妊が伝えられると、両夫妻は喜んだ。だがまだ懐妊しないティアンネ皇太子妃に遠慮する空気が少しあった。
「聞いてくれよ。フィルのやつ、俺を食堂で見つけたら、騎士団を馘首になったのかって言ったんだぜ」
クレメリーに関する話題が落ち着いたところで、コンラートが別の話題をふった。
「ふだんはきしのおしごとでいないから、そうおもったんです」
フィリウスも話題変更に協力する。
「うかうかしていたら本当にそうなるぞ」
ランドルフにそう言われて、コンラートが応じる。
「女騎士を減らすって聞いたけど、やはり男もそうなのか」
それを聞いたフィリウスは意外に感じた。
(えっ? 騎士って国家公務員だろ。それなのにくっころをリストラするの?)
「戦争が終わって膨大な兵力は必要なくなったからな。小領主としてはありがたい。兵役に取られていた男たちが帰ってくれば、領内の労働力不足が解消されて開墾事業が始められる」
ベルトマーは好意的だった。
(ああなるほど、戦時体制を解消するのね。でも近衛も軍縮の対象なのか)
「このえきしだんはエリートではないのですか」
フィリウスの疑問にコンラートが答える。
「それは戦前の話だ。今の近衛は儀仗兵同然さ。優秀なやつは前線に引き抜かれたからな。そいつらが戻ってくれば、今いる穴埋め要員はお払い箱だろうな。同僚の悪口は言いたくないが、騎士にふさわしくないやつは結構いる。ドルフ兄貴に言わせれば、その筆頭は俺なんだろうが」
「軍の人事権は私にはない。この中でそれを決められるのは父上だけだ」
「儂とてみだりに軍の人事に横槍は入れられぬ。戦時中は皇族の男子も従軍させた方がよいと判断してねじ込んだが、今は状況が変わった」
ベルノルトの言葉はマリアーナには意外だった。オリスティ王国では王族が従軍したという話は聞かなかった。
マリアーナは迷った。皇族が軍隊でどんな戦いをしていたのか知りたかったが、皇室一家の会話に自分がどの程度口を挟んでよいかまだ加減がわからなかった。
「マリア、なにかいいたいの?」
フィリウスにそう言われて、マリアーナは内心の葛藤が態度に出てしまったのかと反省した。だが好奇心は抑えられなかった。全員が自分に注目している状況を利用することにした。
「いえ、旧王国では王族が従軍したという話は聞かなかったので、意外に思っただけです」
「ほう、オリスティの王族は戦場には立たなかったのかね?」
質問されるとしたらランドルフかコンラートだろうと思っていたマリアーナは、ベルノルトに訊かれて少し焦った。
「はい。王領の軍隊は出しましたが、王族は指揮をとらなかったはずです」
「それで全軍の士気の維持や鼓舞ができるのかね?」
「……申し訳ありません。私もそこまでは存じません」
「ふむ、そなたに訊くのは確かに筋違いだな」
二人のやり取りを聞いていたフィリウスは考えた。
(オリスティ王国って実態は小国の連合で、貴族の合議で国を運営していたんだよな。王様に求められるのは指導力より利害調整能力だったはず。そんなのが戦場に出張ってきても周りが迷惑するだけだろう。内閣総理大臣が自衛隊を直接指揮するようなものだからな。トップダウンでやってる帝国とは違うわな)
国のあり方の違いにマリアーナも気づいたのだろう。そう察したフィリウスはマリアーナの代わりに質問した。
「にいさんたちはぐんたいでなにをやっていたの?」
「いちおう軍団の参謀をやっていた」
そう答えたのはランドルフだった。
「参謀は私一人じゃなかったから、実務をやっていたのは先任で、その補佐をしていただけだがな。最前線よりは後ろにいたから危険はほとんどなかった」
マリアーナは皇都への道中でヒルダから聞いた話を思い出した。
(『サンボー』というのは指揮官に助言をする役割だったかしら)
「私は兄さんよりもさらに安全だったな。輜重隊にいたからな」
そのベルトマーの言葉を聞いて、フィリウスが追加の質問をした。
「しちょうたいってなに?」
「後方から前線に物資を運んだり、前線で負傷した将兵を後方に運ぶ部隊だよ」
それを聞いたマリアーナは思わず訊いてしまった。
「そのためだけの部隊があるのですか?」
「そうだが、オリスティの軍隊にはなかったのかい?」
ベルトマーにそう訊き返されて、マリアーナは余計な口を出したかと焦った。
「はい。ございませんでした」
「必要な物資はどうやって運んでいたんだ?」
「領軍が出征するとき、人と一緒に物資も運んでいました」
「戦場で物資が尽きたらどうするんだ?」
「そのときは領軍は領地へ帰還していました」
「恐ろしく効率が悪いな」
ベルトマーの感想は全員の感想なのだろうとマリアーナは察した。
「国が違うと戦争のやり方も違うのか。こっちは輜重隊のために国道まで整備したのに、相手は輜重隊を持っていなかったとは」
ランドルフの言葉を聞いて、マリアーナは自分が通った街道が戦争のためのものだったと知った。戦争に対する取り組み方が抜本的に違う。これでは負けて当然だとマリアーナは改めて思った。
アスコーネ軍務卿は口癖のように戦況は互角だと言っていたが、実際は劣勢ではなかったのか。劣勢だから父親の財務卿が講和を進言しても実現しなかったのではないか。だから挙句の果てに勇者召喚という無謀な博打に走ったのではないか。マリアーナはそう推測した。
それなら勇者召喚に頼る前にイスブルク軍のやり方を模倣すべきだったが、オリスティ王国の政治状況ではそれも無理だっただろう。中央集権体制のイスブルクなら指導者の決断次第で改革ができるが、合議制のオリスティでは改革に時間がかかりすぎる。ましてや王族がアレではどうしようもない。