皇宮デビュー
馬車が皇都に着いたときは夕刻になっていた。茜色に染まった後宮の一角で馬車は停車した。
ヒルダに先導されて馬車を降りたマリアーナは、ヒルダに声をかけた。
「ありがとう。あなたのおかげで楽しい旅になったわ」
「お役に立てて光栄です」
使用人たちの出迎えを受けて後宮に入っていくマリアーナの姿を確認したヒルダは、皇宮の一角にある近衛騎士団の詰め所に向かった。詰め所で騎士団長に報告をすませると、更衣室で鎧を脱いで私服に着替えた。そして自宅に戻ろうとしたところで、同僚に呼び止められた。
「よう、ヒルダじゃないか。今戻ったのか」
同僚の性格を知っているヒルダは、これは偶然ではなくタイミングを計っていたのだろうと思った。
「何の用?」
「二ヵ月ぶりの再会だというのに、その挨拶か」
「あなたとは特に親しくなった覚えはないのだけど」
「そうだな。だが長期の任務を終えた同僚を労るのはおかしくないだろう」
「労るって?」
「ちょっと高い飯を一緒に食って、ちょっと高い酒を一緒に飲んで、任務の愚痴を聞く」
同僚の性格を知っているヒルダは、ここで押し問答を繰り返すより適当に飲み食いしてさっさと切り上げた方がよいと判断した。普段着姿でするのはどうかと思ったが、綺麗なカーテシーをする。
「お伴いたします。コンラート殿下」
これのどこが『ちょっと高い』のか。皇都の最高級レストランの個室でヒルダはそう思ったが、皇族の金銭感覚を自分が理解できるはずもないと思い直した。それでも言いたいことは残った。
「こんなお店でない方がよかったのに」
「俺のおごりだ。気にするな」
「そういう話ではありません。ドレスコードを無視したのが恥ずかしかったのです」
「君を出禁にしないよう、俺から店に話しておく」
「余計に恥ずかしいです。それにこんなお店には自分からは来ませんから必要ありません」
「じゃあ別の方法で埋め合わせはするよ」
「そのときは事前に相談してください」
その後は二人はしばらく無言で料理に舌鼓をうっていたが、ヒルダが一杯目のワインを飲み干したところでコンラートが切り出した。
「感想を聞かせてほしい」
わざわざ他人に話を聞かれない場所を選んだのだ。コンラートが何を話題にしたいのかはヒルダにはわかっていたが、半ば強引に連れてこられたので気を利かせるつもりにはなれなかった。
「何の感想でしょうか」
「公女殿下だよ。他に何がある」
「准皇族について私から何かを申し上げるのは不適切かと」
「皇族のお願いでもか? ここで聞いたことは誰にも話さないし、何を話しても君に不利な扱いはしない」
これ以上焦らすのは悪手だと判断したヒルダは、ぶっちゃけることにした。
「絵に描いたような田舎貴族の娘ですね」
コンラートは怒るわけでも喜ぶわけでもなく、淡々と質問を重ねた。
「そう思った理由は?」
「帝国について色々と訊かれました。その際に私の方もオリスティ王国について多少知ることができました」
「それで?」
「オリスティ王国の政治体制は、帝国に比べて百年は遅れていました」
「なるほど」
実はコンラートはそのことはすでに知っていた。聞きたかったのはそこではなかった。
「帝国について話してやったのだろう。そのときの反応はどうだった?」
「よく驚いていました。そして感心していました。傍から見ていて微笑ましかったです」
(微笑ましかったか。公女に教えることで、優越感に浸っていたようだな)
そんなことを思いつつ、コンラートは自分が注文したワインのボトルの中身を、ヒルダの空になったグラスに注ごうとした。
「いけません、殿下!」
「気にするな。この場の主賓は君なんだ」
「……恐れ入ります」
その後も二人は会話をしつつ食事をした。食事を終えて店を出たところで二人は別れた。
(思ったより使えないやつだったな。しょせんは一介の騎士だから過大な期待はできないか)
コンラートはそう思ったが、約束は守るつもりだった。近衛騎士団の中ではコンラート自身も一介の騎士に過ぎず、皇子の立場を振りかざして騎士団の秩序を乱すような真似をするつもりはなかった。
そのころマリアーナはプラベートスペースとしてあてがわれた後宮の一角で、一人で夕食を摂っていた。
(いきなり一人で食事か。あまり歓迎も期待もされていないみたいね。まあ、いきなり皇室ご一家とお食事となっても困るんだけど)
そんな思いはおくびにも出さず、黙々と出された食事を口に運ぶ。
(この味も飽きたなあ。これでやっていけるのかしら?)
大公国では主食は小麦だが、帝国では主食はジャガイモである。スラウゼンに着いたときからジャガイモばかり食べ続けて、さすがに飽きが来ていた。それに主菜は肉ばかり。肉は嫌いではないが、そればかりでは飽きが来て当然だ。大公国は半島国家で長い海岸線を有している。そのため魚介類もたくさん食べる。それに比べ帝国は海岸線が短く、基本的には内陸国家である。魚も食べるが淡水魚ばかりで量が少なく、バリエーションも乏しい。
(あー、お魚食べたい!)
内心ではそう思いつつ、無表情で食事を続ける。なんとか完食したところで営業スマイルを作って、給仕に料理人への言伝を託す。
「たいへん美味しかったと伝えてください」
空いた食器と一緒に給仕たちが退室して、大公国から連れてきた侍女たちだけになったところで、マリアーナはぶっちゃけた。
「ジャガイモ、嫌いになりそう」
侍女たちは思わずウンウンとうなずいたが、仕事は忘れなかった。
「お嬢様、明日の準備をしませんと」
侍女頭(といっても部下は一人だが)のケーレに言われて、マリアーナは気を取り直した。
「そうだった。ドレス、どうしよう」
マリアーナはドレス選びで悩んでいた。帝国領に入ってから気づいたのだが、大公国と帝国では服飾のセンスがかなり違うのだ。大公国では華やかなドレスが好まれるのだが、質実剛健を尊ぶ帝国ではシンプルなドレスが好まれる。大公国の感覚でドレスを選ぶと、帝国では下品に思われるかもしれない。
十年に及ぶ戦争で、帝国と旧王国の人の交流は途絶えていた。そのため大公国には帝国の情報が十分に入ってこなかったのだ。
だが宿泊地では一泊か二泊しかしなかったので、ドレスを現地調達することもできなかった。
明日は皇宮の謁見の間で皇帝夫妻に謁見する。マリアーナのお披露目の意味もあり、帝国内の有力貴族の参列も予想される。失敗は許されない。
「手持ちのドレスでなんとかするしかないわね。ケーレ、ケーラ、手伝って」
翌朝の朝食では、コンラートは冷や汗をかくことになった。
「昨夜は女性と二人きりで食事をしたそうだな」
父親にそう突然言われて、コンラートは思わず訊き返した。
「なぜご存知なのですか!?」
「昨夜、伝票を持った店員が皇宮の事務所に来て、おまえの署名を確認したそうだ」
帝国では皇族の署名の偽造は死罪である。写真がないこの世界では皇族の顔はほとんど知られていない。即座に確認した店の対応はさすがは高級店と褒められるべきもので、文句のつけようがない。
手持ちが心許なかったので皇室のツケ払いにした自分のうかつさをコンラートは呪った。これならヒルダのいうとおり、もっと安い店にしておけばよかったと思った。
父親がその気になれば相手が誰かはすぐバレる。コンラートは嘘はつかないことにした。
「同僚と食事をしただけです。長い任務に就いていたので労をねぎらったのです」
近衛騎士団の女性騎士の仕事といえば女性皇族の護衛である。『長い任務』とやらが誰の護衛だったのかは、その場にいた全員がすぐにわかった。
「なにか有益な話は聞けたか?」
「いいえ。長旅の愚痴ばかりでした」
父親に嘘をつかず、なおかつヒルダとの約束を守ろうとすると、全部ではなく一部だけを話すしかなかった。
「そうか。無駄だったか?」
「いいえ。うまい飯と酒を飲み食いしましたから、英気は養えたでしょう。慰労の目的は果たせたはずです」
「ならよい」
ベルノルトがそれ以上追求しないのを見て、他の家族もそれ以上詮索するのはあきらめた。
皇宮の謁見の間に声が響いた。
「レネスティ大公国が公女、マリアーナ・レネスティ殿下のご入場」
声に合わせてマリアーナは謁見の間に入った。両脇に参列者が並ぶなか、中央に敷かれたレッドカーペットの上をマリアーナは歩む。両脇から浴びせられる視線を無視するふりをしていたが、内心はヒヤヒヤしていた。
(ドレス、変じゃないかなあ)
マリアーナは手持ちのドレスの一つから、簡単に取れる飾りを省いて、おかしくならない範囲でデザインをシンプルにした。その結果、ドレスは大公国風と帝国風を折半したようなデザインになった。参列者にはちょっと異国風のドレスに見えた。
マリアーナは事前に文官から言われた位置で立ち止まった。雛壇の皇帝と皇后が座る椅子は空だった。
「皇帝陛下、皇后陛下のご入場」
その声を聞いた参列者たちは素早く反応した。男性は片膝をつき、女性はカーテシーをする。もちろんマリアーナもそれにならう。
一同が君主に捧げる礼をするなか、皇帝夫妻が雛壇の脇から姿を現した。夫妻が着席したところで皇帝が声をかけた。
「楽にしてよいぞ」
それを聞いて参列者たちは姿勢を戻した。
「そなたがマリアーナか」
文官から形式的な口上は不要と言われていたマリアーナはシンプルに答える。
「御意でございます」
「遠路はるばるよく参った。長旅で疲れたろう」
「街道がよく整備されていたので馬車もほとんど揺れず、快適な旅ができました」
「そなたの到着を知らせる大公への使者は、すでに出した」
「お心遣い、痛み入ります」
その後は無難な世間話が続いたが、皇帝は会話の中で覚えた疑問をマリアーナにぶつけてきた。
「そなたは綺麗な帝国公用語を話すな」
それを聞いた参列者ははっとした。マリアーナが完璧な帝国公用語を話すので、帝国と大公国とでは言語が違うことをほとんどの参列者が忘れていたのだ。
「恐れ入ります」
「帝国公用語を話せるとは聞いていたが、ここまでとは思わなかった。言語は本で学べても、発音はそうはいくまい。どうやって発音を身に着けたのだ」
「皇都に参る旅の間、護衛の騎士に習いました」
「そうか。その騎士には褒美を取らせた方がよいと思うか」
参列者の間に見えない緊張感が走った。皇帝は人物を見極めるために、普通に思えるが実はえげつない質問をすることがある。これもそういった質問なのだろうと多くの者が察した。
「帝国騎士の処遇は陛下がお決めになるものと存じます」
「うむ、道理だな」
この皇帝の言葉を聞いた参列者たちは感心した。「道理だな」は皇帝の褒め言葉なのだ。
「今宵はそなたのために身内でのささやかな祝宴を用意している。それまで下がって休むがよい」
今度は立場が逆転したな。職場でヒルダに捕まったコンラートはそう思った。
「ちょっとコンラート、これってどういうこと?」
ヒルダはコンラートに紙を見せた。皇帝から臨時の俸給が支給されることを伝える通知書だった。
「ありがたくもらっておけよ。断るとかえって面倒だぞ」
「もらえる理由がわからないお金なんて怖いわよ」
「なるほど……昨夜話した埋め合わせと思ってくれ」
「それって、今思いついたんでしょ」
「バレたか」
「真面目に答えてよ」
「田舎貴族の娘のおかげ、とだけ言っておこう」
ヒルダの顔から血の気が引いた。少しアルコールが入って油断したが、さすがにあの発言はまずかっただろうか?
「……公女殿下が陛下に頼んだの?」
「陛下がそんな頼みをきくと思うか?」
「……思わない。公女殿下にお礼をした方がいいのかしら?」
ヒルダは付け届けなどしたくないのだが、気づかぬうちにマリアーナの心証を悪くしていたのではないかと不安になった。マリアーナはいずれは皇族の一員になるということを遅まきながら思い出したのだ。
「その必要はない。公女は君を利用したんだからな」
「……話がぜんぜんわからないんだけど」
「受け取っても君の不利益にはならない。それは保証する。だが公女は侮らない方がいい。あれは君よりも賢くてしたたかだ」
ヒルダは自分が狼狽する姿をコンラートが楽しんでいることはわかっていた。それは不愉快だったが、コンラートが意味のない嘘をつく人物ではないことも知っていた。恋人どころか友人にもしたくないが、いざというときには頼りにしてよい人物。それがヒルダのコンラートに対する評価だった。ヒルダはコンラートの忠告を受け取ることにした。