皇都へ至る道
マリアーナは輿入れのための皇都への旅の最中だった。大公国の国境を越えるときに馬車を乗り換えたので、今は皇室の紋章がついた馬車に乗っている。今は帝国の一員になったとはいえ、最近まで戦争をしていた敵側の大公家の紋章つきの馬車で皇都に乗り込むのは差し障りがあったのだろう、マリアーナはそう推測した。
馬車だけでなく護衛も入れ替わった。大公国を旅していたときは大公の騎士団が同行していたが、国境を越えてからは帝国の騎士団が護衛についていた。マリアーナと同行が許されたのは身の回りの世話をする二人の侍女だけだった。その侍女たちは後続の別の馬車に乗っている。使用人でも皇室の紋章の馬車に平民を乗せるのはまずいらしい。
風景を眺めていたマリアーナは自分たちが通っている街道に感心していた。オリスティ王国のもっとも立派な街道よりも広くてよく整備されている。ひとしきり感心したあと、マリアーナは視線を車内の同乗者に移した。
オリスティ王国なら賓客を馬車に乗せるときは退屈させぬよう話し相手を同乗させるのだが、今の同乗者は無口だった。質実剛健を尊ぶ帝国ではそのような習慣はないらしい。あるいは自分は歓迎されていないのか。判断がつかないマリアーナはもう一度同乗者を観察した。
同乗者は軽装の革鎧をまとい、腰に細剣を帯びていた。鎧には所属の騎士団を表す紋章らしきものがあったが、マリアーナにはどの騎士団のものかは判らなかった。まだ結婚していないのでマリアーナは皇族ではなく准皇族扱いだが、普通に考えれば近衛騎士団だろう。護衛の必要性から騎士が同乗するというのは理解できる。だが同乗者を初めて見たときマリアーナは驚いた。というのも同乗者は女性だったのだ。オリスティ王国には女性の騎士などいなかったのだ。
初めて会ったとき騎士はヒルダ・ルデスターと名乗り、皇都まで自分が同行することをマリアーナに伝えた。そのときの所作は騎士の礼法に則ったもので、ヒルダが騎士であることは間違いない。間違いはないのだが、騎士は男性の職業という先入観が抜けないマリアーナは違和感が拭えなかった。
帝国にはなぜ女性の騎士がいるのか? マリアーナは当然その疑問をいだいたが、帝国については知らない部分が多いのでわからない。そこでまずオリスティ王国に女性の騎士がいなかった理由を考えてみた。
女性は体力や膂力で男性に劣るから不利だ。ここまでは誰でもすぐ思いつく。だが財務卿だった父親の影響を受けたマリアーナはその先を考えた。男女では体格や体型にかなり違いがある。武器や防具など身につける装備の共通化は無理だろう。トイレや更衣室など男女で共用できない施設もある。これらは女性を騎士として採用するデメリットとして考えられる。
それに対するメリットは、女性の要人を警護するとき男性が立ち入れない場所にも同行できることぐらいしかなさそうだ。今の状況もそれに似ている。皇族の婚約者を別の異性と馬車の中で二人きりにするというのは誤解を招きかねない。だからヒルダが同乗者に選ばれたのだろう。もっとも同乗者を男女複数にすれば誤解は回避できるので、女性騎士が必要不可欠なケースには該当はしない。
つまり女性を騎士として採用するのは極めてコストパフォーマンスが悪い。オリスティ王国に女性の騎士がいなかった理由はそれだろうとマリアーナは結論づけた。
だが帝国には女性騎士がいる。帝国にはコスパを度外視してでも女性騎士が必要な事情があることになる。ここまで考えてマリアーナはぞっとした。帝国は要人の暗殺が横行する物騒な国なのだろうか?
実はそうではなかった。かつてはそういう時期もあったが、今の帝国はそこまで物騒ではない。現在の女性騎士は伝統として残っている側面が強い。それに女性騎士の役割も変化していて、現在は賓客をもてなす接待役の役割も兼ねている。にもかかわらずヒルダが無口なのは単にやる気の問題だった。ヒルダにとってマリアーナは敗戦国から連れてこられた人質であって、賓客ではなかった。
帝国についてもっと知る必要があると思ったマリアーナはヒルダには色々と訊きたいことがあったのだが、そのヒルダはなんとも近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。さてこの難敵をどうやって攻略したものか、マリアーナは色々考えたがオーソドックスに世間話から入ることにした。
「ルデスター様……」
「私に様付けは不要です」
「……ルデスターさん……」
「さん付けも不要です。単にルデスターとお呼びください」
「……ルデスター、帝国の街道はみなこのように立派なのですか?」
「みなというわけではありません。このスラウゼン街道は国道ですので特別です」
一時はどうなることかと思ったが、聞き慣れない言葉が出てきたことでマリアーナはひと安心した。これで会話が続けられる。
「『コクドー』とはなんですか?」
「国が建設を計画・実行し、整備している街道です」
「街道の建設や整備は領主の責任で行うものではないのですか?」
「普通はそうですが、国策上、重要な街道は国が行っています」
「この街道は皇都まで続いているのですか?」
「いくつかの都市を中継しますが、そのとおりです」
「そのような大事業を皇室の予算で行ったのですか?」
父親が財務卿だったマリアーナは、どうしてもお金の話に興味がいってしまう傾向があった。
「皇室の予算ではありません。国の予算です」
マリアーナは十秒ほどフリーズした。
「帝国では、皇室の予算と国の予算は分けられているのですか!?」
「そのとおりですが、それがなにか?」
「……旧王国では王室の予算と国の予算は分けられていなかったのです」
オリスティ王国の国名を出さない言い回しは、マリアーナなりの気配りである。
「イスブルクも百年ほど前まではそうでした」
マリアーナは微妙にバカにされた気分になったが、それは一瞬だった。
(こんな手があったのか! あの頃に戻ってお父様に教えてあげたい……でも実行できるかは別問題よね)
オリスティ王国では、王族のわがままに公共事業が振り回されることが度々あったのだ。
この新事実の発覚で、マリアーナの好奇心に火が点いた。
「ルデスターは学園というものに通ったことがありますか?」
「どの学園のことでしょうか?」
「複数あるのですか! 私は皇都に着いたら学園に通うと聞かされていたのですが、どのようなものか知りたかったのです」
「それならイスブルク高等学園でしょう」
「その高等学園とは、どのようなものでしょう?」
「貴族の子弟を集めて教育を施す国営の機関です」
ヒルダの事務的な返答にもマリアーナは折れなかった。
「旧王国では子弟の教育は家の責任だったのですが、なぜ帝国では国が行うのでしょう?」
「各々の家に任せては、教育の質にバラつきができるからです。帝国では家柄だけでなく個人の能力も重視されますので、全ての貴族に質の高い教育を与えることが重要とされているのです」
「ルデスターも高等学園に通っていたのですか?」
「はい。在籍していました」
その後はマリアーナは学園について根掘り葉掘り質問した。学園の制度だけでなく、授業内容、学園生活、どのような教師がいるかなど質問内容は多岐に渡った。
最初は皇子の婚約者を無視するわけにもいかず嫌々対応していたヒルダも、学園生活を思い出して進んで質問に答えるようになっていった。
「高等学園には十三歳で入学するのですか。私は十六歳ですが、入学できるのですか?」
「中途入学ということになりますので、四年生に編入されることになると思います」
「『ヨネンセー』? それは入学して四年目の生徒ということですか」
「そのとおりです」
「私は一年目なのに?」
「学年分けは年齢で行われるのが普通です。よほど学業が遅れている場合は別ですが」
「大丈夫かしら。不安だわ」
「公女殿下なら大丈夫だと思います」
「お世辞でもうれしいわ。ありがとう」
「世辞ではありません。話してみて、公女殿下は利発な方だと思いました」
ヒルダはそう言ったが、実はお世辞である。マリアーナも気づいていたが、気づかぬふりをした。
「十二歳までは家庭で教育をするのかしら?」
「六歳から十二歳までは学舎に通います」
「皇族には高等学園や学舎に通っている方はいらっしゃるのかしら?」
「私が存じている範囲では、アードリヒ殿下、ヨルク殿下、カルラ殿下が高等学園に、クラウド殿下とヴェロッテ殿下が高等学舎に通われています」
「インハルト殿下は十七歳だとうかがいましたが、高等学園には通われていないのですか?」
インハルトは四男の皇子である。
「インハルト殿下はマルスパル王国に留学されています」
マリアーナはインハルトがマルスパル王国の王女と婚約していたことを思い出したが、留学していたことは全く知らなかった。
「それは存じませんでした。知らないままだったら恥をかくところでしたわ。教えてくれてありがとう」
「礼には及びません」
「フィリウス殿下はまだ学舎には通われていないのですね」
「はい。普段は後宮で過ごされています」
婚約者のフィリウスについてまだまだ知りたいことはあったが、マリアーナはそれ以上は質問しなかった。近衛の騎士で貴族のヒルダが、皇族についてコメントするとは思えなかったからだ。
帝国の教育制度に関する話題を話しているうちに、馬車は最初の宿泊地であり街道の名前の由来となったスラウゼンに着いた。
およそ一ヵ月の旅程で、マリアーナは帝国についてヒルダから様々な情報を聞き出した。それにマリアーナは驚かされた。
もっとも驚いたのは、国の制度がかなり違うことだった。イスブルク帝国は中央集権国家だったのだ。
オリスティ王国では領主がかなり大きな権限を持っていた。領主は領地に対する行政・立法・司法の三権を持っていた。王国を名乗っていたが、オリスティは実質的には利害が一致する小国の寄り合い所帯だったのだ。
それに対しイスブルク帝国では中央政府が大きな権限を持っている。領主は領地に対する行政権を持っているが、立法権と司法権は制限されていた。法律は領主が定める地方法より国が定める国法が優先された。裁判は二審制で、領主が管轄する地方裁判所の判決に不服がある者は、国の中央裁判所に控訴することができた。
また外交と軍事は国の専管事項とされていた。領主は勝手に外国の王族や貴族と婚姻することはできないし、勝手に隣国と戦争することもできない。あの戦争は元々はイスブルクと国境を接するオリスティ側のジェノーネ辺境伯が勝手に始めたものであったことを思い出したマリアーナは、なんともやりきれない気持ちになった。
イスブルクの軍隊は国軍に統一されていた。だがオリスティの軍隊は領主が保有する領軍の寄せ集めだった。装備も練度も指揮系統もバラバラで、戦場での連携のみならず補給でも大変な苦労があった。軍事には疎いマリアーナはその詳細は理解できなかったが、戦費の捻出に苦労していた父親の姿を思い出し、オリスティの軍隊も統一していたら父親ももっと楽ができたかもしれないと思った。
そもそもあの忌まわしいお披露目パーティーをやったのは、貴族たちが独立した領軍を保有していたせいなのだ。召喚勇者の存在を貴族たちに周知徹底する必要があるからパーティーをやったのだ。ここまで考えたマリアーナはこう結論づけるしかなかった。あの戦争は負けるべくして負けたのだと。
態度には出さなかったがマリアーナは凹んだ。オリスティと比べるとイスブルクは進んでいる。それは認めざるを得ないし、認めること自体はやぶさかではない。気になるのはこれから嫁ぐ先の人々は、自分のことをどう見ているかだ。皇族のみならず周囲からも蛮族の姫と蔑まれたりしないだろうか? ヒルダの態度から察すれば、露骨にそのような態度をとる人は少なそうだが、陰では何をされるかわかったものではない。
(これは子守りどころじゃないかも……もちろん子守りもしなきゃだけど)
皇都への道は長かったが、皇室の一員になる道はそれより長そうだった。