やんごとなき一家
イスブルク皇室では朝食はなるべく皇室の全員が一緒に摂るのが習わしになっている。全員が揃うことはまずないのだが、そうでもしないと家族間のコミュニケーションが疎かになりがちなのだ。今朝は皇帝夫妻と八男五女の子供たちのうち七人とその配偶者が長いテーブルを囲んでいた。皇宮に住んでいる全員である。
朝食が終わったところでベルノルト皇帝が連絡事項を口にした。
「今朝は皆に伝えることがある。フィルの婚約が決まった」
あらかじめこのことが伝えられていた皇后以外は驚きの表情を浮かべたが、声を上げるものは者はいなかった。家長の発言はまだ続くであろうことは容易に予想できたからだ。
「婚約者はレネスティ大公国の公女、マリアーナ・レネスティ嬢だ」
ベルノルトがそう言ったあとで一拍置いたことで、他の者たちは発言の機会が与えられた。
「父上の意図は理解できますが、フィルには早すぎませんか?」
真っ先に発言したのは長男のランドルフ皇太子だった。父の名代として地方に赴くことも多く、朝食の出席率は高くはなかったが、今朝はたまたま食卓についていた。フィルことフィリウス皇子はまだ三歳、ランドルフの意見ももっともではあった。
「いいんじゃないの。フィルだって皇室の一員なんだから」
そう言ったのは三男のコンラート皇子だった。近衛騎士団で騎士を勤めている。ランドルフが優等生タイプなのに対し、コンラートはよく言えばやんちゃなタイプだった。
「おまえが言っても説得力がない」
ランドルフはそう言い返した。というのもコンラートは十九歳ですでに成人の儀をすませているのに、結婚も婚約もしていないからだ。
「確かに」
コンラートはそう言ってこの話題を流そうとしたが、そうはいかなかった。
「まだヒスベルク嬢のことを引きずっているのか」
ランドルフの言葉でコンラートの表情が一瞬険しくなったが、すぐに元の表情に戻った。
「兄貴と違って俺は駆け出しの下級騎士だからな。嫁さんをもらうのは早すぎる」
コンラートの表情の変化を見逃さなかった一同は、それ以上の深入りを避けることにした。
「レネスティ公女とはどのような方ですの」
皇太子妃のティアンネがさり気なく話題を戻す。
「僕の聞いた話だと、稀代の悪女だそうです」
五男のアードリヒ皇子が答える。それを聞いたティアンネは口元を手で隠す。
「あらまあ」
「アル、その話はどこで聞いた?」
コンラートにそう訊かれたアードリヒは素直に答えた。
「学園で聞いた噂話です」
「そいつは当てにならないな。その噂を流しているのは反帝国勢力の旧国王派だからな。大公を貶めるためなら何でもする連中だ」
「でも『腐肉のないところに蝿は集まらない』と言いませんか」
そう疑問を呈したのは四女のカルラ皇女だった。アードリヒの腹違いの妹で、アードリヒと同じ学園の同じ学年の生徒である。カルラも噂を聞いていたのだ。
「腐っているのは旧国王派だろうさ。ま、本人に会ってみれば噂の真偽ははっきりするだろう」
そう言ったコンラートに五女のヴェロッテ皇女が別の方向から疑問を投げかけた。
「コン兄様はなぜ詳しいのですか?」
「これでも皇子だから国内外の情報は集めている。仕事で活かす機会は滅多にないがな」
「だったら別の仕事に就け。おまえさえよければ相応しいポストはいくらでも用意してやる。近衛の騎士も意義のある仕事だが、皇子がやることではないだろう」
ランドルフの言うことはもっともであった。近衛騎士団の主な任務は皇族の護衛である。その一員である騎士が護衛対象の皇子というのは、矛盾しているのだ。
「俺は粗暴な人間だと思われているからな。ペンを持つより剣を振っている方がいいのさ。それに俺の配属先を近衛に決めたのは親父だぜ」
ランドルフが兄で皇太子であっても、家長で皇帝の父親の決定だと言われれば何も言い返せない。
「でもそのような噂が学園で流れているのは好ましくありませんね」
そう言ったのはレオノーラ皇后だった。
「母上、フィルのお嫁さんになる人の悪口だからですか?」
六男のヨルク皇子の質問に、レオノーラはかすかに首を振った。
「それだけではありません。公女には学園に通ってもらうからです。我が国の歴史や習慣、礼儀作法を学んでもらう必要がありますからね」
これを聞いた皇子・皇女は疑問を覚えた。というのも学園に通うのは通常は十三歳からだからだ。三歳のフィリウスよりは年上だろうとは思っていたが、十三歳以上というのは予想外だったのだ。
「フィルのお嫁さんは何歳ですか」
一同を代表して、というわけではなく、話の流れでヨルクが質問した。
「十六歳だそうです」
軽いどよめきが食卓に起きた。
「さすがに年が離れすぎていませんか」
最年長のランドルフが代表するかのように訊いた。
「仕方あるまい。皇族の独身男性で婚約者がいないのは三人だけなのだ。フィルを選んだのは先方の希望だ」
父親の返事を聞いて、七男のクラウド皇子が新たな質問をした。
「あと一人は誰ですか」
「ルンブルク公だ」
「あの爺さん、まだ生きていたのか」
コンラートの言葉に、一同は眉をしかめた。
「コンラート、ルンブルク公は先王を支えた忠臣で、あなたの大叔父なのですよ。敬意を払いなさい」
母親に注意されても、コンラートの態度はあまり変わらなかった。
「先王を支えたと言われても、俺が生まれる前の話なので実感が湧かなくてね」
「コンラート」
父親のドスの利いた声は、一時的には効果があった。
「申し訳ありません父上。でもその二択なら、フィルを選ぶのは当然だな」
本当なら三択のはずだ、と全員が思ったが、誰も口には出さなかった。
「しかし急いで婚約を決める必要があったのでしょうか」
末の弟のフィリウスを可愛がっているランドルフは疑問を拭えなかった。
「先方の熱心な希望だ。旧国王派が気になるらしい」
「私も大公国の動向には注意していますが、旧国王派に反乱を起こす力はないと聞いています」
「僕はオリスティはベル兄さんが治めるものだと思っていました」
アードリヒが父と長兄の会話に割って入った。
ベル兄さんとは次男のベルトマー・レーベルク公爵のことである。ランドルフやコンラートとは違い天才タイプで、以前はランドルフよりベルトマーを後継者に推す声も多かった。だがベルトマーはその声を封殺するかのように、成人するとすぐに皇室を離れて臣籍に降下し、新たにレーベルク公爵家を興した。小さいながらも領地を所有し、領地にとどまって治世に励んでいる。そのため皇室の朝食に加わるのは年に数回しかなく、今朝も食卓にはいなかった。すでに結婚しているので、マリアーナのお相手候補にはならなかった。
それでもベルトマーを推す声は完全にはなくならず、今の領地で経験を積んだベルトマーが旧オリスティの統治に抜擢されるのではないかという憶測が流れたことがあった。
アードリヒの言葉を聞いたコンラートは顔の前で掌をひらひらと横に振った。
「ないない、それはない。そんなことをしたらベル兄貴が臣籍に降下した意味がなくなるし、親父がベル兄貴にそんな危険な真似をさせるわけがない」
「でもドルフ兄さんは反乱は起きないと……」
「反乱を起こすには大勢の人間が必要だが、毒矢を射るのは一人でできるんだぜ」
「……なるほど」
コンラートにそう言われて、さすがにアードリヒも納得した。
「だから大公は熱心に公女の輿入れを求めたのだ」
父親の言葉にランドルフは一瞬憮然とした表情を浮かべたが、すぐに次のアイディアが浮かんだ。
「なにも皇族に嫁がせなくても、国内の貴族に嫁がせてもよかったのではありませんか」
「発言を急ぐなんて慎重な兄貴らしくないな。戦争じゃあ大した貢献をしていないのに、新領土の権益だけは欲しがる貴族は大勢いるんだぜ。そんなところに公女の縁談なんか放り込んだら、また国内でひと悶着起きるのは必至だぜ」
コンラートの言葉で、ランドルフは再び憮然とした表情を浮かべた。さっきよりは長めに。このときのランドルフは少々頑なになっていた。
「正式な婚約者ではなく、側妃候補として……」
ランドルフの発言は妻によって遮られた。
「それでは大公閣下の面子が立ちません。旧国王派との仲が悪いとはいっても、あまりに粗末な扱いをしては何が起きるかわかりません。それにレーベルク公爵閣下は大変な愛妻家と聞いています」
ランドルフは地雷を踏んだことにようやく気づいた。さっきの発言は、聞きようによっては自分が愛人を欲しがっているようにも聞こえてしまうのだ。
「すまないティー、そんなつもりはなかったのだ」
「あら、『そんなつもり』とはどんなつもりですの?」
完全に答えに窮したランドルフに、コンラートが助け舟を出した。
「兄貴、ティー姉貴は大切にしろよ。ティー姉貴がついていれば帝国は安泰なんだからな」
このとき今朝の初めて笑いが食卓に起きた。
「兄貴がフィルを心配するのはわかるけどさ、まずはフィル本人の希望を聞いたらどうだ」
コンラートの言葉で、全員がフィリウス皇子の方を向いた。
「おとうさま、ぼくはとしはきにしません。うれしいです」
健気にそう話すフィリウスに、ランドルフは声をかけた。
「本当か? 無理しなくていいんだぞ」
「ほんとうです。はやくあいたいです」
フィリウスは嘘はついていなかった。
(リアル悪役令嬢キタ─────! ざまぁと成り上がりを完璧にやり遂げただなんて、どんな人なんだろう? やっぱり転生者? でもこんな世界観のゲームなんて知らないんだよなあ。まあ、乙ゲーは詳しくないから自分が知らないだけかもしれないけど。それに召喚した勇者ってどんな人たちだったんだろう。まさか日本人!? 早く会って話を聞きたいなあ……ついでに巨乳だといいなあ)
そう、婚約者は転生者だったのだ。
週一ペースでの更新を目指します。