誰が悪役令嬢ですって!?
「えっ、そうなの?」
またハズキ様が奇声を上げた。
「そうよ。ダニエロ王子ともさっき会ったばかりよ。結婚なんか決断できるわけないじゃない」
アオイ様の考えは私にはよくわからない。私と王子の婚約は家が決めたもので、そのときの私は王子とまだ会ったことがなかったのだ。アオイ様は平民なのだから、貴族とは考えが違うのかもしれない。
「でも玉の輿だぞ」
なぜかハズキ様が食い下がる。どうしてもアオイ様を王子と結婚させたいのでしょうか。
「どこが! こんな未開の野蛮な国の王子様なんてゴメンよ!」
今の言葉で大広間の空気の温度が一気に下がったわ。
「トイレは水洗じゃないし、エアコンはないし、ネットもテレビもない。まだ女子高生なのよ。過労死した社畜じゃないんだから、スローライフなんて興味ないわよ」
何を言っているのかさっぱりわからないけど、私の国がけなされていることだけはわかるわ。
「マリアーナさん、この国の平均寿命は何歳ですか?」
突然質問されて慌てそうになったわ。でも『ヘーキンジュミョー』てなにかしら? 『ヘーキン』と『ジュミョー』で区切るのなら後ろは『寿命』かもしれない。でも『ヘーキン』の意味がわからない。それとも『ヘーキンジュミョー』で一つの単語なのかしら。
「『ヘーキンジュミョー』とはなんでしょう?」
知ったかぶりでは切り抜けられそうにもないので、ここは素直に質問する。
「この国の人たちは、普通は何歳ぐらいまで生きられますか?」
やっぱり『ジュミョー』は『寿命』だったのね。なら『ヘーキン』は『普通』かしら。最初からそう訊いてくれればいいのに。
「……五十歳ぐらいでしょうか」
ちょっと多めに言ったけど、バレないでしょう。
「聞いた? 医療だって遅れているじゃない。五十で死にたくないわよ!」
私の返事を聞いて、ポンコツの顔色が変わったわ。私は好奇心と知識欲が抑えられなくなった。
「アオイ様、アオイ様の国のヘーキンジュミョーは何歳なのでしょう?」
「八十歳よ」
今度は大広間にどよめきが広がったわ。
「アオイ殿、アオイ殿の国では八十歳まで生きられるというのは本当ですか?」
宰相が横から質問した。確か今年で四十九歳のはず。思わず質問したくなるのも当然ね。
「ええ、そうですけど」
「あとで詳しくお話を伺ってもよろしいか?」
「……私で答えられる範囲なら」
ここでようやく国王陛下が発言した。
「アオイ殿、医療に関してはそちらの方が進んでいるようだが、先ほど我が国を野蛮と言ったのは何故かね」
そっちを気にするの? この場を取り繕うのなら、もっと他に言うべきことがあると思うのだけど。
「だってそうでしょう。私たちを拉致したのよ。やってることは北◯◯と同じじゃない」
「ら、拉致!?」
「本人の意志を無視して一方的に連れてきたのよ。あなたたちは『召喚』と言い換えて正当化してるけど、やってることは拉致そのものよ。気に入らなければ誘拐と言い換えましょうか。しかもその目的が自分たちの代わりに戦争で戦わせるためって、これが野蛮でなければ何なのよ!」
「ちょ、ちょっとアオイさん、落ち着いて」
また知らない男性が現れましたわ。たぶんこの方が最後の勇者なのでしょう。
「僕たちだけじゃ日本に帰れないから、とりあえず協力しようって話し合って決めたじゃないか」
どうやら最後の勇者様はまともみたいね……だといいのですけど。
「前提条件が変わったのよ。こんなのと結婚させられたら、私だけこっちに残ることになるじゃない!」
ああ、やはり王子がやらかしたのですね。『こんなの』呼ばわりされてますよ、殿下。私も心ではなく声に出してボンクラ呼ばわりしたいですわ。
ここでまた国王陛下が発言した。
「アオイ殿、先ほどからの貴殿の発言、無礼であろう!」
あれまあ、『子供を見れば親がわかる』ということわざがあるけど、王子の親もやっぱりそうなのね。口約束でもいいから、結婚はしなくていいし戦争が終わったら帰すと言えば収拾がつくのに。この場には国内の人間しかいないのだから、狭量なプライドにこだわる必要はないでしょう。
「すいません、すいません。彼女も悪意で発言したわけではありませんから」
最後の勇者様が必死にフォローしている。まだ若いのに陛下より大人ですわ。
「悪意でなければ何なのだ!」
陛下が吠える。事態を丸く収めなければならない人が、危機を煽ってどうするのよ!
「アオイさんはダニエロ殿下と結婚できない理由をわかりやすく説明しようとした結果、少々表現が過剰になったのです」
最後の勇者様は弁舌が巧みね。でも陛下には通じなかったみたい。
「こやつらを地下牢へ放り込め! 抵抗するなら斬り捨ててもよい!」
その後は阿鼻叫喚の地獄絵図でした。たった三人で戦局をひっくり返せるほどの加護を授かった勇者様たちに、その場に居合わせた近衛の騎士や兵士たちがかなうはずなどありません。しかも召喚されたばかりの勇者様たちは加護の力加減がうまくできず、過剰な火力による破壊と殺戮を撒き散らしてしまったのです。王宮は半壊、近衛の騎士や兵士は壊滅、出席していた貴族の半数は死傷という大惨事になりました。国王陛下と第一王子、そして軍務卿もお亡くなりになり、その場で国王代理になることを宣言した第二王子のヴァレード殿下が勇者様たちに降伏したことでようやく惨事は止まりました。
その後は勇者様たちを即座に元の世界に送り返すことが決まったのですが、すぐには実行できませんでした。勇者様たちの王室に対する信用は地に落ちていたのです。元の世界に送り返すと称して暗殺を企むのではないか、そのような疑念が勇者様たちの間にあったようです。そこで宰相閣下が自ら人質として勇者様たちに同行することを申し出て、なんとか異世界送還が実現しました。オリスティ王国には二度と戻ってこれないというのに、宰相閣下の表情が明るかったように見えたのは私の気のせいでしょうか。
このような国内の混乱を見逃してくれるほど、イスブルク王国はお人好しではありませんでした。イスブルク王国は全ての戦線で大規模な攻勢をしかけてきたのです。混乱していたオリスティ王国はそれに耐えることができませんでした。
もはや敗北が避けられない状況になったとき、父は徹底抗戦の構えを崩さない王室を見限り、自らの派閥を率いて反乱を起こしました。父が率いる反乱軍は王都を奇襲で占領し、全ての王族を捕らえたあと、イスブルク王国に講和を呼びかけました。交渉の結果、捕らえられた王族はことごとく斬首され、オリスティ王国だった土地はイスブルクから大公に叙された父が統治することになりました。オリスティ王国は滅んだものの、王国の民たちはレネスティ大公国の民として生き延びることができたのです。
統治者が変わったことを平民たちはさほど気にしませんでした。むしろ戦争が終わって負担が軽くなったことを喜んでいました。もっとも大公国はイスブルクの支配下に置かれ上納金を課されたため、税率は戦前の水準にまでは戻りませんでしたが。
なおイスブルクのベルノルト国王陛下は複数の国家を支配下に置いたので皇帝を名乗るようになり、国名もイスブルク帝国に改名しました。
皇帝陛下が父に旧オリスティの統治を任せたのは、直接統治だと占領地の恨みや不満が自分に向けられると考えたからでしょう。父を身代わりの盾にしたわけです。父を恨んでいるのは最後まで王室に付き従った旧国王派の生き残りぐらいですが、彼らの間では私は亡国のきっかけを作った悪役令嬢になっているようです。馬鹿馬鹿しい。きっかけを作ったのは何の考えもなしに婚約破棄をしたダニエロ殿下で、それをダメ押ししたのは何の考えもなしに勇者様たちを害しようとした国王陛下です。なんでしょう、この「浮気した方が悪いんじゃない、された方が悪い」みたいな頭の悪い論理は? そのような頭の悪い人たちは没落しても仕方がないでしょう。
それでも悪意を持った人間は無視できません。私の身を案じた父は皇帝陛下に頭を下げて、私と皇子の婚約を決めてくださいました。大公国を離れて皇都にある皇宮に輿入れすれば、私が襲われる危険は格段に減るでしょう。もっとも皇帝陛下にしてみれば、私は義理の娘ではなくちょうどいい人質なのでしょうけど。それでも王子の元婚約者でありながら別の皇室に嫁ぐ私のことを、頭の悪い人たちは悪役令嬢だ悪役令嬢だと殊更に囃し立てているようです。皇宮に輿入れすることになったのは、誰のせいだと思っているのよ!
はあ、私の新しい婚約者は末弟の八男でまだ三歳。皇子が成人する頃には私は三十路。嫁ではなく子守りとしてしか期待されていないのは明らかです。父がこの話に難色を示したら、陛下の叔父の公爵様の後添えはどうかと打診されたそうです。自分より年上の義理の子供たちに気を使いながら介護をさせられるよりはマシと思ってあきらめます。まあ頭の悪い人たちには、こんな話は理解できないのでしょうけど。