悪役令嬢ってなによ?
「マリアーナ・レネスティ、君との婚約を破棄する!」
私はため息をつきたくなったが、飲み込んだ。この王子はいずれなにかやらかすだろうと思っていたけど、よりによって主だった貴族たちが集まったこの場でやらかすとは。ここはオリスティ王国の王宮の大広間。今は異世界から召喚した勇者たちをお披露目するパーティーの真っ最中。王族の痴話喧嘩を披露する場ではないはずだ。
私は彼の右腕に抱かれている女性を観察した。この状況から推測すれば、王子はこの女性と結婚したいのだろう。王子に事実上の求婚をされて舞い上がっているかと思いきや、なぜか女性は戸惑った表情を浮かべていた。
オリスティ王国は隣国のイスブルク王国との戦争で疲弊していた。この戦争は十年も続いている。十年間ずっと戦い続けていたというわけではなく、徴兵ができない農繁期や雪が積もる冬季は休戦はしていたものの、長く続く戦乱は王国の経済を蝕んでいた。財務卿を務める父は早期の講和を進言していたが、一向に実現しなかった。
それに対し軍務卿は膠着した戦局を打開するために、異世界からの勇者召喚を進言した。その費用の試算書を見た父は猛反対したが、これなら早期講和が実現すると主張されて押し切られてしまったのだ。その勇者をお披露目するはずの会場が、王子のせいで茶番劇を演ずる劇場に早変わりしてしまった。
私は周囲を観察する。王子に抱かれている女性だけでなく、国王夫妻や他の王子、宰相、軍務卿そして父の財務卿まで戸惑っている。どうやら王子の暴走らしい。
「殿下、なにを仰っているのです?」
私の抗議の声を、王子は撥ねつけた。
「聞いていなかったのか。君との婚約を破棄すると言ったのだ」
「理由を教えていただけますか」
「僕は本当の伴侶を見つけたのだ」
政略結婚という言葉を知らないのだろうか。本当にボンクラだわ。
「その伴侶というのは、殿下の隣りにいる女性ですか?」
「そうだ。僕はこの勇者アオイと結婚する!」
勇者召喚が成功したのは三日前でしょ。一目惚れってやつ? 目眩がしてきたわ。
そんな私に、ボンクラは上から目線で発言を続ける。
「突然、婚約を破棄されてショックを受けるのはわかるよ」
まあ確かにショックだけど、ボンクラが考えているほどではないと思う。外交の都合上、外国の王族との婚姻が優先されて、国内貴族との婚約がキャンセルされる例は少なくないし、婚約を結んだ時点でそれは覚悟していた。でもまさか相手が外国の王族ではなく勇者だというのは予想外だけど。
私は国王陛下にちらりと視線を向ける。それに気づいたのか、陛下は視線をそらしてあさっての方向を向く。いくら第三王子だからって甘やかしすぎでしょう。王子を睨むぐらいのことはしなさいよ。父がやっているように。
「だが君も王国の臣民なら、国のために僕たちの結婚を祝福してほしい」
なにが国のためよ。自分の欲望のためじゃない。もともと愛想が尽きかけていたけど、これで完全に潰えたわ。私が視線を父に向けると、父は軽く頷いた。次に陛下に視線を向けたが目をそらしたままだ。もう遠慮するものか!
私がそう決心して口を開こうとしたが、別人に先を越された。
「お嬢さん、無念だろうが悪役令嬢らしく身を引きたまえ」
いつの間にか女性を挟んで王子の反対側に見知らぬ男が立っている。王族の発言を勝手に遮るって何者? それに『アクヤクレージョー』って何?
「失礼ですが、貴方様はどちら様ですか?」
「自己紹介がまだだったね。僕はハズキ、アオイと一緒に召喚された勇者だ!」
はぁ? 王子がボンクラなら、勇者はポンコツなの? 軍務卿は高い金を払ってこんなのを召喚ったの? 父の苦労が想像できたわ。
私はちらっと軍務卿を見る。軍務卿は顔を真っ赤にしていた。怒っているのか恥じているのか、そこまでは私にはわからない。
「殿下、お話は承りました。婚約破棄は受け入れますが、祝福はできません」
「はっ、やはり悪役令嬢は心が狭い」
勇者は何なのよ! 『アクヤクレージョー』が何なのかは知らないけど、いい言葉じゃないでしょうね。初対面の人間になんでそんなことを言われなきゃいけないのよ!
「祝福できないのは、殿下はアオイ様と結婚できないからです」
「な、なぜだ?」
王子は本当にわからないのだろうか。どこまでボンクラなのだろう。
「アオイ様、アオイ様の国には貴族はいないとうかがいましたが、事実でしょうか?」
私がそう問いかけると、女性は戸惑いながらも答えてくれた。
「は、はい。そうです」
「ではアオイ様は貴族ではないのですね」
「そうです、そうです」
アオイ様は必死に肯定する。ひょっとしてボンクラはここでも暴走していたのかしら。
「殿下は王族です。王族は平民と結婚できません」
あとは簡単な三段論法だ。これ以上の説明は必要ないだろう。そう思った私は甘かった。
「それって貴女の感想ですよね」
勇者が何を言っているのか、とっさに理解できなかったのは私だけではないだろう。私は三十秒ほど考えて、ようやく次の発言ができるようになった。
「ハズキ様、今のは『王族は平民と結婚できないというのは個人的な考えであって事実ではない』とおっしゃりたいのでしょうか?」
「そうだよ」
「これは私個人の考えではありません。王室典範に『王族と婚姻できるのは伯爵家以上の貴族に限られる』と定められているのです」
私にそう言われて、ようやくボンクラははっとした表情をした。だが自分で反論することはせず、ポンコツに視線を送った。送られたポンコツも困った顔をしたが、彼の次の言葉を聞いた私たちはもっと困った。
「オーシツテンパン? ナニソレオイシイノ?」
このポンコツは何を言っているのだろうか? 全く理解できない。国王陛下と軍務卿は文字どおり頭を抱えている。
勇者の相手をするだけ時間の無駄だ。そう思った私は軍務卿に矛先を向けた。
「アスコーネ様、この方が本当に勇者様なのですか?」
軍務卿は顔を真っ赤にしたまま答えてくれた。
「意外に思われるかもしれないが、そのとおりだ」
「ハズキ様は意思疎通に重大な問題を抱えているようにお見受けしますが、このまま王国の命運を託して大丈夫なのですか?」
意思疎通というより頭の問題だと思うけど、気配りしてマイルドな表現を選んだ。それでも失礼な発言ではあるけど、それを咎める人はさすがにいないでしょう。
「あーっ、今のは俺をディスったな!」
ポンコツが奇声を上げた。本人に咎められる可能性を見落としたのは、私の失敗だわ。
「ハズキ様、『ディスった』とはどういう意味でしょうか。私どもにもわかる言葉で話していただけるとありがたいのですが」
意味はだいたい推察できるけどね。
「そういうネチネチした態度をすっから悪役令嬢なんだよ!」
「その『アクヤクレージョー』というのも意味がわかりません」
「アンタみたいな性格の悪い女のことだよ。だから王子様に振られるんだよ!」
やっぱり勇者を相手にするのは時間の無駄だわ。そう思ったら、もうひとりの勇者が口を開いた。
「ハズキさん、いい加減して! あなたがそういう口をきくから私たちまで恥をかくのよ」
女性はそう叫ぶと、ボンクラが腰に回していた腕を振りほどいた。『私たち』? 複数形? 私は召喚された勇者は三人だったことを思い出した。
「この国のことを何も知らないのに、勝手な思い込みで発言しないで。こちらの……」
女性はそこで口ごもると、私の方を見た。どうやら私の名前が思い出せないらしい。
「アオイ様、マリアーナ・レネスティでございます」
「……マリアーナさんとは初対面なのよ。意地悪をされたわけでもないのに悪役令嬢呼ばわりはないでしょう」
どうやらポンコツと違ってアオイ様はまともらしい。
「それに私はダニエロ王子と結婚するつもりはありません!」
前言撤回、最初にそれを言いなさいよ!