~校長先生は昔、勇者でした~
皆様はじめまして。どうぞよろしくお願いいたします。
月曜日の朝8時30分。
うららかな朝の光が、校庭に植えられた桑の木の葉と
朝礼に並んでいる生徒たちの顔を明るく照らす。
「えー、来月は新入生が入学します。在校生の皆さんは、先輩になる自覚をしっかりと持ちましょう!」
はつらつとした声でありながらも、どこか頼りなさを感じるこの女性は、私立勇栄小学校の5年1組クラス担任”小笠原夏子”である。威厳がある教師……というわけではなく、どちらかといえば生徒と仲良くなるタイプの教師である。それ故に生徒たちは彼女の言葉に耳を傾けることなく、顔を見合わせてお喋りを続けている。
「このマニキュア、お姉ちゃんがくれたんだ~」
「なあ、今日の放課後、オマエんち行ってもいい?」
「優子ちゃん、高橋くんにコクったんだって~!」
小笠原夏子の眉間にシワが寄る。
なぜこの子たちは、人が話をしているのにお喋りをしているのだろうか。それとも、私がマジメすぎるからであって、これが皆の普通なのだろうか。
小笠原夏子がそう思うのにも理由があった。
先週の金曜日のことだ。付き合っていた年下の男性に「マジメすぎ。一緒にいても面白くない」と言われ、一方的に別れを告げられてしまったからだ。
なんでもっと早く言ってくれなかったの?付き合って2年間も経っていたのに?私だってもうアラサーに片足を突っ込んでいるワケだし?結婚もそろそろかな~って思ってたところに、いきなりこの仕打ち?結婚したいよ。したい。したいに決まっている。確かに私は面白くない女ですよ?秀でた才能を持ち合わせているわけでもないし。料理の腕も地味だし、休日は猫ちゃんの動画を見て家でゴロゴロしてる。でも、だからって別れる理由が「マジメすぎ」ってどういうこと?マジメなのはいいことじゃないの?あー……。思い出したらイライラしてきた。でも好きだったんだよなぁ。ていうか今もまだ好きなんだよなぁ。はぁ……。誰かいい人いないかなぁ……。
「どうしてよぉ……」
小笠原夏子は、マイクに乗らない程の小声でつぶやいた。
「まあまあ、小笠原先生。あとは私が引き継ぎますから」
横から現れた校長先生に肩を叩かれてハッとする。ああ、またやってしまったのだと。小笠原夏子は物事をよくない方へ深く考えすぎてしまうきらいがある。そのため、受け持っている生徒からよくイジられていて、「もーーっ!」という叫び声が教室中にこだますることも珍しくない。確かに彼女はごく平凡でマジメが取り柄の女性なのだが、同時に純粋で清らかな心を持つ優しい女性なのだ。だから生徒たちも小笠原夏子を放っておけない。かわいそうであるが。
「──コホン!続いては、校長先生のお話です!」
嗚呼、悲しきかな。その言葉も生徒たちの耳に届いていない。
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アルミ合金で作られた朝礼台に、硬い靴音が響く。
カツン。ジャリッ。カツン。ジャリッ。
白線の粉が入り混じった校舎の砂を踏む音。
壇上に上がる校長先生は温かい笑みを浮かべながら
一歩、また一歩。歩みを進める。
「皆さん。おはようございます。」
校長が挨拶をしても、生徒たちが静かになることはない。
「んでさー、ウチのアニキがさー」
「えーっ!マジ?アタシも欲しい~!」
「…………」
「10連引いたらSSR5枚出てさ!しかも前から欲しかった──」
「4時間目って体育だよね?ダルすぎ……」
「…………」
「今日の給食ってなんだっけ?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「えー、静かになりましたね」
校長先生が口を開くと、さっきまで会話に花を咲かせていた生徒たちが
バツの悪そうな顔をして会釈をする。
「皆さん。おはようございます。」
「皆さんが静かになるまで、3分かかりました」
何も生徒たちを責めているつもりはない。こういう話し方は生徒に煙たがられることも重々承知している。それでもなお、口を酸っぱくしてでも伝えなくてはいけないことなのだ。いつかこの子たちが巣立つとき、恥ずかしかったり、悔しい思いをしなくて済む様に。
「お喋りをしたい。その気持ちもわかります。皆さんご存知のとおり、校長先生もお喋りが大好きです。話が長いと、いっつも怒られてしまいますけれどね」
生徒たちの明るい笑い声。小笠原夏子も思わず笑みが溢れる。
「小笠原先生が仰っていた様に、皆さんはもうすぐ先輩になります。新入生のお手本になれる様、自分の行いをしっかり見つめ直しましょう」
まばらに聞こえる生徒たちの「はーい」という返事を聞いて、校長先生は笑顔で頷く。
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「では、今日は”時間の大切さ”についてお話をしたいと思います」
校長先生がそう口にすると、生徒たちの顔が明るく華やいだ。
「今日はどんなお話なんだろう?」
「この間のすごかったよねぇ!」
先程まで笑顔だった校長先生は、目を細めて遠くの空を見つめている。「静かにしなさーい」と注意する小笠原夏子の声すら届かないほど、遠く、遠くを見つめている。その瞳は過去の華々しい栄光を思い出す様であり、出逢いとともに訪れるいくつもの別れを惜しむ様だった。
「そう、あれは……」
「校長先生が異世界で勇者をしていたときのこと……」