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意識旋風 

掲載日:2021/07/26

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 あら、つぶらやくん、家庭科でも質問がある?

 他の先生から聞いてるわよ。君がちょくちょく質問に来るって。今年に入ってから、けっこう積極的になったんじゃない?

 それで、どういった質問かしら?


 ――どうして洗濯機は服を洗う時、槽を回転させるのか?


 うんうん、それはね。汚れをはぎ取るのに遠心力を使うと、都合がいいからよ。


 遠心力、もう理科で習ったりしたかしら?

 かみ砕いていうと、回転している物質に対して働く、外側へ離れていこうとする力のことね。洗濯槽を回転させると遠心力が働いて、洗濯物たちは中のドラムの壁へ押し付けられる形になる。

 この力は、衣服に染みた水や洗剤にもかかるわ。外へ引っ張られる際、強い力で繊維の間を通り抜けていくそれらは、同時に衣類に絡む汚れも巻き込んで、外へ外へと連れ去っていく。これによって衣類がきれいになっていくって寸法よ。

 回ることは体ひとつでもできる、私たちになじみ深い動き。けれど、そこから生まれる力は遠心力、ひいては物理的な力にとどまらないケースも存在したみたいなの。

 つぶらやくん、この手の話が好きだったでしょ。時間があるなら聞いてみない?



 むかしむかし。あるところに、三郎という百姓がいたわ。

 彼は先祖代々受け継いだ田畑の世話をしつつも、冬になると町へ出稼ぎに行き、生計を立てるという、当時の多くの百姓と同じような生活を送っていたそうね。

 あるとき。三郎が秋に備え、田畑にかかしをこさえ始めたころ。不意に横殴りの風が吹き付けた。三郎が首にかけた手拭いが外れかけるとともに、土へ刺したばかりのカカシが横へかしいでしまうほどで、三郎はとっさに手拭いの端をつかんで抑えたわ。

 けれども、風は止まないまま巻いていく。西から吹いていたものが、じょじょに北へ、更には東へ、背後の南へ。やがて元の西へ戻っては、2週目へと入っていく。


 逆らって歩くことなど、まともにできない強い風。その勢いは、1周するたびに強くなり、三郎はたまらずその場にうずくまってしまったわ。下手に立っていると、そのまま飛ばされかねなかったから。

 カカシはというと、ほとんど土から抜けかけていたけれど、ぎりぎりのところで踏みとどまっている。強さとともに、風が巻く速さを増していくせいで、その場でくるくると回転を続けるにとどまっていたそうよ。

 もう何週もすると、それに雨が混じってくる。これが普通の雨とは違い、生暖かくてほんのり臭って、まるで人肌を伝う汗のようにも思えたとか。


 ようやく風がやみ、立ち上がろうとした三郎だけど、不意に目の前がくらんでバタりと倒れてしまったわ。

 ほろ酔いをだいぶ越え、泥酔の一歩手前といった状態。自分の指先、四肢のいずれも、三尺ばかり(約1メートル)遠ざかってしまったかのような感覚を覚えているところで、ひょいと三郎の顔を覗き込んできた人があったわ。


「おう、吉盛よしもり。大丈夫だったか?」


 誰だ、吉盛とは?

 三郎はそう声に出そうとして、ぐっと息が詰まってしまったの。

 自分の名は確かに三郎のはず。なのにどうして。

 どうして吉盛と呼ばれて、すとんと腑に落ちそうになってしまったのか。

 ましてや、自分を見下ろしてくるこの……この……。


典太でんた。何を妙なことをいうんだ?」


 ふと、頭に浮かんだ言葉が、口をついて出てしまう。

 典太もまた少し顔を引きながらも、口元をもごもごさせて言いよどみ、やがて自分は庄兵衛しょうべえだと答えたそうよ。



 ようやく起き上がれるようになった三郎は庄兵衛とともに、他の村人たちへ尋ねまわり、確信を強めたわ。

 自分たちの認識が、おかしなものになっている。相手の顔を目にし、頭に浮かぶ名前は本来とは違う別人のもの。そしてそれをあやうく、すんなりと受け止めてしまいそうな反応を、誰もが見せてしまう。

 不幸中の幸いとでもいうか、どうやら村の人たちの認識はほとんど共通のものらしかったわ。

 三郎に対して誰もが「吉盛」と認めたし、庄兵衛に対しても「典太」だと口にする者ばかりだった。そして三郎と庄兵衛の頭に浮かぶ村人たちの名前も、一人としてたがわず、同じ名前のものだったのよ。


 ――何者かの意図が働いている。


 考えを巡らせてしまうけど、猶予がそれほどないことも、三郎たちは薄々感じていたわ。

 この一刻ですでに、三郎と庄兵衛は「吉盛」と「典太」と呼ばれることに、ますます忌避感を抱かなくなってきた。むしろ「三郎」と「庄兵衛」と呼ばれることの方に、不快感を募らせ始めていたのだから。

 

 でもその中でただ一人、名前が分からない者がいたわ。

 齢10歳で、親の畑仕事を手伝っていた少女。彼女の元の名前は「さなえ」だったけれど、それとは別の名前が誰にも浮かばなかったのよ。三郎における吉盛、庄兵衛における典太に相当するものが。

「さなえ」は一向に目を覚まさない。脈こそ弱弱しく打っているけれども、息はいくら手をかざしても感じられなかったわ。さなえの親であるはずの両親が、彼女の名を何度も呼び、抱き上げて肩を揺さぶった。

 彼女を起こすためだけじゃない。自分の中で薄れていってしまう、「さなえ」の感覚を放すまいとする、必死の抵抗に思えたの。

 さなえ以外の者は、余すことなく本来の名と別の名が浮かんでいる。なのにどうして彼女だけ……。


 ふと、もう一度自分の畑を見やった三郎は、気づいたわ。

 両親がさなえの名前を呼ぶたび、自分が作ったカカシが風もなくかすかに震えるのを。

 ぴんと、頭の中で糸がつながってしまう。三郎はカカシへ駆け寄り、あえてその肩へ強く手を置いたの。

 同時に、遠目に見るさなえの身体がビクンと、釣り上げたコイのように跳ね上がった。これまで見られなかった反応に、両親はひときわ強く呼びかけをし始める。


 ――もう一手、確証を得たい……!


 三郎はカカシの手に優しく手を置き、つぶやく。


「お前の名は、『あやたち』だ」


 この不可思議なあやつ者。

 三郎がほとんど本能のまま口にした名前だけど、効果はすぐに現れる。

 両親を含め、これまで「さなえ」としか呼びかけなかった周りの者たちが、彼女を「あやたち」と呼び始めたのよ。その大半が言い直すけれど、両親さえもがつい「あやたち」と口にする頻度が増してきてしまう。

 カカシの震えは、なお激しいものになった。特に頭の部分は大きく前後に揺れて、まさに「しゃべろうとしても、口をふさがれてしまっているしぐさ」に思えたのよ。


 三郎は腰帯にさしていた鎌を抜く。その刃をカカシの顔にあてがうと、ぐっと力を込めて一文字に切り裂いた。

 一瞬、「さなえ」にも影響が出るのではと我に返ったが、両親たちの騒ぎがにわかに大きくなった気配はしない。肉体的なものは、影響を与えないらしかった。

 無理やり開かれた口。そこから息が漏れ出すか細い音が、三郎の耳をかろうじて揺らす。


 マワセ……マワセ……と。


 ぐっと三郎はカカシの手をつかみ、その足を地へ埋めたまま回していく。先ほどの風のときとは逆方向へと。

 あのときもカカシは地面から抜けることなく、強い風に身を任せるままになっていた。それと反対のことをしたならば。



 ほどなく、三郎の期待通りに風が吹き出したの。

 カカシを一周回すたび、先ほどと同じように強まっていく。東から北へ、北から西へ、西から南へ……。

 遠目にも、村人たちが風を避けようとうずくまり出すのが見えたわ。でも、まだ足りない。

 すでに三郎の手ぬぐいはどこかへ飛んでいたけど、構わず続ける。もう何週もして、なびく自分の頭髪が目を覆って、前さえろくに見えなくなりかけたとき。

 あの汗のごとき雨が、肌を打ち始めたの。同時に、自分の中をほとんど占めていた「吉盛」の意識が弱まっていく。元あった「三郎」の自覚が、ふつふつと湧き出してきているのを、彼は感じていたわ。



 何週回したかしら。

 カカシがボキりと腰から折れてしまうのと、汗混じりの強風がぴたりと止んだのはほぼ同時のことだった。

 三郎は、まぎれもなく「三郎」に戻っていた。吉盛の名は、完全に別人の名だと認識できるようになっていたわ。

 村人たちも本来の名前に戻っている。さなえも目を覚まし、無事を喜んだ両親にもみくちゃにされるも、きょとんとしていたみたい。


 この奇妙な事件はひっそりと幕を閉じたけれど、その年の出稼ぎで、三郎が顔を合わせた人の中に「吉盛」と「典太」を名乗る者がいたわ。

 同村である彼らは、やはりあの事件のあった日、同じように汗の混じる風を浴びていた。そして再び風を受けるまでの数刻、自分たちはそれぞれ「三郎」と「庄兵衛」になっていたと語ったのよ。


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