竹林の先で
古来より、人々は神を頼り、信仰してきた。
有事の時には心の拠り所とし、奇跡に感謝し、災いを神の怒りだと恐れた。
特に世界の極東の国では、様々なものを神とし、人それぞれが、正しく十人十色と呼べるように、多くの神を信仰していた。
そして、各々が強く信じる神に応じて、この国の人々は職を選び、国をより発展させていった。
それから長い年月が経ち、受け継がれてきた仕事が残り、強い信仰心は、無くなりはせずとも確実に薄れていった。
様々な神を信仰する人がいる中で、竹を神とし、讃える一族がいた。その者達は竹林の中に建物を設立し、周辺の村の非常時に備え、食料を保管する場所とした。
村の人々はこの場所に食料を運び、火事にあった際や厳しい冬などに備えた。
やがてその建物は「御竹の倉」と呼ばれるようになった。
正確には、倉と言うよりは屋敷のようなものであったが、村に住む人々はこの場所の存在にとても感謝し、村から御竹の倉へ向かう道は綺麗に整備されていた。
そんな御竹の倉は代々と受け継がれ、長い時が流れた現在も、当主を引き継ぎながら経営されてきた。
倉の当主は、その一族の長男が継ぐ事がほとんどであったが、最近になって、当主に若い女性が選ばれたと話題になった。
そんな倉へ続く石畳を、汗を拭いながら歩く、20代ほどと見られる1人の男がいた。
日が差し込む時間ではあるが、時期は秋も終わりかける頃。ずっと続く石畳の道を囲うように生えた竹林からは、涼しい風が流れ込んでくる。
では、なぜこの男は、こんな時期に釣り合わぬ汗を滲ませているのか。
その理由は一目見れば明白で、彼がとてつもない重労働をしているからに他ならない。
彼の背中には、長さは彼の座高ほど、円周に至っては彼の胴の何倍ほどもある籠が背負われていた。
こんな大荷物を持ちながら、緩やかとはいえ坂道となっている石畳を歩いてきたのだから、汗をかくのも当然だろう。
その男───博楽は、薬学の神を信仰していた一族の子孫で、村で薬師をしている父の手伝いとして働いていた。
手伝いとはいっても、彼に技術が無い訳ではなく、努力家で、多少の難しい薬なら調合できるほどの実力はあった。
そして、彼は頭も回る方だと自負しており、古い製造方法なんかより、効率的に薬を作る方法を脳内で模索したりしていた。
実際、少し品質は落ちるものの、薬を量産することも可能な方法を編み出して、父に提案したりしていた。
しかし、父からは「お前は薬師としての自覚が足らん」と言われ、貴重な薬の調合や、出張や緊急時の薬の調合を任されることは無かったし、自分の考えた薬を店に並べることも許しては貰えなかった。
博楽はその事に強い不満を覚えており、何度も抗議したが、その意見は一度も通らなかった。
本来、毎年行われる今回の仕事も、いつも通り父が担うはずであったが、先日、仕事中に腰を痛めてしまい、博楽に回ってきたというわけだ。
この仕事は、御竹の倉に集められる食料が虫やネズミなどに狙われるため、それらを追い払う薬を作るといったものなのだが、博楽はこの仕事を完璧に成功させ、父を見返してやろうと考えていた。
その事を考えると、薬の材料や仕事道具の入った背中の籠も、少しは軽く感じるというもの。
博楽は1度歩みを止め、腰の水筒から水を煽ると、再び力強く歩き出した。
長い道を歩き、やがて大きな鳥居をくぐると、目の前に巨大な屋敷が広がっていた。
屋敷の玄関の前では、15、6ほどの年端もいかぬ、少女とも呼べる女性が立っていた。
「よくぞお越しくださいました。私は御竹の倉の現当主、美月と申します。」
そう言われ、博楽はとても驚いた。自分よりずっと若い、まだ成年も迎えていない歳の少女が、村の非常時の要であり、大きな屋敷である倉の当主をしていると言うのだ。
噂ばかりに若いことは聞いていたが、それでもこれほどとは思わなかったのである。
屋敷の主である少女───美月に中へ案内される博楽の表情には、薄らと嫉妬の色が混じっていた。
屋敷の一室に通された博楽は、すり鉢などを取り出し、籠の中の薬草に手をつけた。
虫たちが寄らなくなる、強い匂いの薬を、手馴れた手つきで生成していく。
虫除けの薬は本来、作るのに多少のコツがいるものなのだが、博楽の腕は確かなもので、かなりの速度で薬が完成される。
しかし、一般家庭で使われる薬の量と、非常時の村全てを養う事のできる食料がある倉に必要な量とでは、大きく差がある。
全ての薬を作り終える頃には、昼過ぎを迎えていた。
「お疲れ様です。少し休んで行かれてはどうですか?」
声に反応し振り返ると、美月がお茶の用意をしてくれていた。
「ええ、それではお言葉に甘えて。」
そう答えると、博楽は集中しきって凝り固まった肩を回した。
「これだけの量の薬を、一日で作り終えるなんて、すごいですね。」
美月が博楽にお茶を渡しながら、感心しきった声を上げた。
「はは、それでもまだまだ、父には認められませんよ。」
博楽は苦笑いを浮かべ、お茶を1口啜った。
ふと、庭先に目を向けると、たくさん生えている竹の中に、ちらほらと稲のような物が見える。
強く目を惹かれるものと言うわけでは無かった。しかし、純粋な好奇心が芽生え、尋ねてみた。
「美月さん、あの竹は特殊なものなのですか?」
「いいえ、あれは、竹の花なのですよ。」
「竹の花?竹にも、花が咲くのですか?」
博楽は初めて知る情報に少し驚いた。いや、植物なのだから花はあるのだろうが、深く竹と関わる機会はほとんど無かったため、見たことが無かったのである。
「ええ。まあ、竹の花は珍しく、何度も見られる機会は少ないのですが…珍しいものは、良くも悪くも、“ 普通”と分けられてしまいますね。」
そう語った美月の表情はどこか大人びていて、当主としての風格を感じさせるものだった。
博楽はその表情に、再び嫉妬の念が湧き、思わず声を上げた。
「その歳で…私よりずっと若いのに、こんな屋敷の当主に選ばれて…どんな気持ちだったのですか?」
美月は僅かに目を見開いた後、逡巡する様子を見せ、ぽつりと話し始めた。
「私は、産まれたばかりの頃に父と母を亡くし、祖父に育てられてきました。祖父は立派な当主であり、私はその背中を見てきました。そして、祖父に、人を助ける大切さを、学んできました。」
語るうちに美月の表情は力強く、己の決意を語るものへと変わっていった。
「かつて人間は、神を信仰し、多くの職を選んでいきました。かつてよりは信仰が薄れてしまった今も、私たちの仕事は生き続けています。かつて信仰のために使われた仕事が、今は人と人とが助け合うものとなっていったのです。私は、この歳で、性別で、珍しい者として見られてきました。それでも、立派な仕事が多くある中で、私の仕事が誰かの命を救うと、そう強く願っています。」
そう言い切った美月に、博楽は強い衝撃と感銘を受けた。
それと同時に、今までの自分の考え方を恥じた。
「私は…私に、同じことが出来るでしょうか…私は今まで、効率のことばかりを考え、己の職に向き合うことはありませんでした。人の命を救えるような、立派なことが私に出来ますか…?」
博楽は己の罪を懺悔するように、言葉を絞り出し、尋ねた。
その言葉に、美月は微笑みを浮かべながら答えた。
「既に、博楽さんは立派な仕事を成し遂げていますよ。今日、博楽さんの作った薬が、村の食事を守ります。そして、いつか博楽さんの作る薬が、誰かの命を救う日が来るでしょう。」
それを聞いた博楽は、決意に満ちた表情を浮かべた。
玄関に立った博楽が、軽くなった籠を背負うと、後ろから声がかかる。
「もう少し、ここにいられても良かったのですが…お帰りになるのですか?」
「ええ、早く帰って、父の手伝いをしなくてはなりませんから。」
「分かりました。本日は、わざわざお越しいただきありがとうございました。また機会がありましたら、いつでもおいでになってくださいね。」
「ええ、必ず。」
そう言うと、博楽は来る時と同じように、力強く歩き出した。
しかし、その表情には、来る時とは大きく違うものを浮かべていた。