キオクの行き先
そこは、此方からでは観測できない世界
ソレはいつも記憶を見ていた。
記憶の波に身を任せながら。
ソレはいつでも誰かの記憶を見ている。
「楽しい」「嬉しい」を喰らうために。
***
――ヒトは何故、記憶を失うのか
「ヒトは忘れる生き物」と言った者がいたそうだが、それは正しくない。
正しくは、「ある生物がヒトの記憶を喰らい、記憶を喰われたことで思い出せなくなる」だ。
まあ、それも仕方がないだろう。だれも「その生物」がいる世界を観ることはできないのだから。
では何故ソレは記憶を喰らうのだろう。それは「楽しい」や「嬉しい」を知りたいからだ。だからヒトは楽しかった記憶を忘れ、嫌な記憶ばかり思い出す。
どうして嫌な記憶は食べないのか?それは簡単だ。誰だって「痛い」「苦しい」は嫌いだろう。ソレにだって意志があるから、食事は好きなものだけを食べるのだ。
ここまでの説明で、その生物が意思を持って、餌を選択していることは理解できたと思う。
では次に「記憶喪失(健忘)」について説明しよう。
記憶喪失は外傷性だろうと心因性であろうと、基本的には強い衝撃を受けた場合に起こることがある。
では何故、強い衝撃を受けると様々な記憶を失うのか。ヒトの記憶の仕方に理由がある。
ヒトの記憶は「あやふや」なもので、放っておけば混ざりあい全く別の記憶になってしまう。それを防ぐために、ヒトの記憶は箱の中に仕舞ってある。けれど強い衝撃によって、その箱が壊れ中の記憶が混ざってしまう。
こうして混ざってしまった記憶を、その生物はは「楽しい」や「苦しい」とは認識できず、ただの「記憶の形をしたもの」と認識し、まるごと平らげてしまう。
これが逆行性健忘のプロセスである。
では前向性健忘はどうなのか。前向性健忘の場合は、箱が壊れるのではなく、箱を巧く作れない、又は箱に上手く仕舞えない。そして時間が経つと記憶は箱の外に出る。
これが前向性健忘のプロセスだ。
――中略――
その生物はヒトが生きている限り、いや、記憶を続ける限り切り離せない存在なのだ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。