スリー、ツー、ワン、
ざぁ、ざぁ、ざぁ、ざぁ、
ざぁ、ざぁ、ざぁ、ざぁ。
黒い雲から絶えず降り注ぐ滴が、季節外れのキャンプ場をより閉鎖的に見せていた。
風と雨の音が響く中、人影が存在する。
「いやああああああああああ!!」
泥だらけで地面に転がる女が、美しい顔を歪ませて絶叫する。
それすらも、雨のカーテンが阻んできっとキャンプ場の外には聞こえない。
そんな女の声をものともせずに、彼女の前に立った男がブゥンと持っていた鉈を振り上げ、そして躊躇わずに振り下ろした。巨躯から想像できるそのパワーは予想に違わず、悲鳴を上げ続ける女の頭から胸まで切り裂き、そして肉に阻まれる。
流れ出た血飛沫を浴びようとも動かない大男は抜けない鉈に小首を傾げ、女だったモノを踏みつけて力いっぱい引き抜いた。
彼らが、何者であるのかを知るすべはない。
ただ、わかっているのは大男が殺人を犯した者であり、転がった肉塊と化した女が被害者であるという事実だけだ。
ざぁ、ざぁ、ざぁ、ざぁ、と降り止まぬ雨が肉塊から流れ出る血を地面へと散らしていく。
それは赤く、泥水の中で黒ずんでいくがまるで花のように広がって消えていく不思議なものだ。
だがそんな感傷すら大男にはないのだろう。
雨で血が流れ落ちた鉈をぶらりと下げて、ゆっくりとした動作で周囲を見渡した。
もう目の前のモノには興味がないらしい。
「………」
「………」
ざぁ、ざぁ、ざぁ、ざぁ、雨ばかりで代わり映えしなかったはずのキャンプ場で、似つかわしくないパステルカラーの小さな傘が、大男の目に留まる。
その傘の持ち主は、傘の大きさに見合った少女だ。幼女と言ってもいい。
ふっくらとした肌に、もちもちとした手足。
着ているものは上質のものだと一目でわかるワンピース。
髪も綺麗に結われたその子供が、真っ直ぐに大男を見ていた。
ぱちゃん。
ぱちゃん、ぱちゃん。
赤い小さな長靴が、雨水でできた水たまりを踏みつけて進んでくる。大男は動かない。だけれども、視線は釘付けだ。
ぱちゃん。
大男の目の前に、パステルカラーが広がった。
それがゆらゆらゆれて、下から丸い目が彼を見上げた。
「………」
「………」
子供らしいキラキラした眼差しも、怖いものを見た怯えも、何もない。
そして何も言わないその子供は、およそ普通の子供でないことくらい誰にでもわかるほどだった。
大男も勿論常識通りとは思えないが、この子供が異常であることくらいはわかっているのだろう。
どう扱っていいものかわからないと言わんばかりに小首を傾げれば、男の前髪から水が滴って、跳ねた。
おもむろに、その子供が斜め掛けしていたポシェットに手を突っ込んだ。
それに対して大男はただぼんやりと見ているだけだ。
そんな彼らの足元には、ひとつの死体。
なんとも絵にならない光景で気味が悪いが誰一人としてそれを気にしない。
まるでそれは、あって当たり前のものかのような振る舞いを生者がすればそれが真実なのだろう。
「!」
どうやら子供は目当てのものを見つけたらしい。
彼女が取り出したのは、これまた子供用と一目でわかる黄色い小さなタオルハンカチだった。ご丁寧に、ひよこの刺繍が施されているのがなんとも愛らしい一品だ。
それを手に取った子供がドヤ顔で大男を見上げ、そしてしゃがむように手ぶりで訴える。
どうして良いのか戸惑いつつも、何故か大人しく従った大男に幼女は満足そうに笑みを浮かべ、男の頬をその可愛らしいタオルで拭った。
淡く、赤が滲んだ。
「こら、勝手に遠くに行ってはいけないとあれほど言ったろう?」
ざぁ、ざぁ、ざぁ、ざぁ。
雨の音は、追加で現れた人物の足音もかき消していたらしい。
大男が子供に気を取られ過ぎたと顔を上げた先には、皺ひとつないスーツを綺麗に着こなした男性が穏やかな表情で大男と子供を見ていた。
「やあやあ申し訳ないね、わたしの娘が失礼をしなかったかな?」
「………」
「タオルで拭いてあげてもこの雨だよ。傘を上げた方が良いのじゃないかな?」
「!」
父親だという男の発言に、子供がその方法があったか! と言わんばかりの顔をしたのを見て大男が慌てて両手を振った。片手には鉈を持ったまま。
「おや、ところでそれは君の獲物かな」
「!」
「ふむ、ちょっと失礼」
優雅な足取りで近寄る男は、地面で雨に打たれ続ける肉塊に近寄ってその傷口を丁寧に眺めて嗤った。
「これは綺麗な肉だなあ」
「………」
「もしよかったら、貰ってもいいかな? 死後そんなに時間は経っていないんだろう?」
「………」
「ああいや、処理の手間もあるだろう、わたしが欲しい部位は太ももあたりでね、幸い血抜きもまだ間に合うし熟成させれば先日買ったワインと合いそうだと思ってね。どうだろう、キミがよければ振る舞うけれど」
「……! ……!!」
「ああ、はいはい抱っこだね。いやあ娘は甘えん坊でね」
苦笑しながら男が子供を抱き上げると、子供は持っていた傘を大男に突き出した。
大男は困惑しながらその愛らしい傘を受け取って、諦めたようにさした。だが当然子供サイズのそれは大男には合わず、彼の頭を守ったが肩を濡らした。
「それでどうだい? 人肉はお嫌いかな?」
「………」
「ああ構わないよ、嗜好は人それぞれだ。娘も肉よりは魚派でね、我が家ではメインディッシュだけ違うものを食べるし。娘がひとに懐くなんて珍しいんだ、寄ってくれると嬉しい」
「………」
「それと、それを運ぶのを手伝ってくれると、なお助かるよ」
まるで断らないとわかっているような柔和な笑みを浮かべた男が、武器を持った大男に背を向ける。
抱かれた子供が、父親の肩越しに早く来いと言うような顔をしていた。
「……」
これは、ただの出会いだ。
出自も定かではない殺人衝動を抱える大男と、人肉を食し人の恐怖を愛でる医者と、血のつながりは定かではないが言葉を覚える気もない子供。
彼らは、これから一つ屋根の下で暮らして行く。
時に、血臭がする家で。