第二章 瀧田司
派手な音が教室に響き渡った。裕ちゃんが思いっきり椅子ごと転倒したんだ。
邑井裕貴は僕の親友で、兄貴的存在でもある。僕にとって親の次に付き合いが長い。
裕ちゃんは、昔から理知的で現実主義な性格で、クラスメイト達がはしゃいでいても、どこか冷めた目で眺めているようなやつだった。
物事に動じる事なんて殆ど無い彼が、こんなに動揺している姿を、僕は初めて見る。
「大丈夫?裕ちゃん」
慌てて席を立ち、裕ちゃんの手を取って起こす。
「気味の悪い冗談は止せよ」
裕ちゃんは渋面を作り、唸るような声で言うと、汚れた制服を叩いて椅子を立て直した。
「あの話の流れで、僕が冗談を言ったと思うの?」
いくら僕だって、あんな冗談は言わない。ああいう特定の条件下で、居ないものを居るように言うのは良くない事を知っている。
裕ちゃんは僕を困ったような顔で見つめたまま席に座った。
「いつから?」
彼は交通整備のおじさんが、いつから彼の傍にいたのか訊ねた。相変わらず言葉が足りない。僕だからわかるようなもんだよ?
「昔から」
「何で今まで教えてくれなかったんだ?」
「じゃあ聞くけど、僕が話したとして信じた?」
「・・・」
裕ちゃんはお茶のパックのストローを銜えたまま、難しい顔をして目を伏せた。
彼の存在を、裕ちゃんに話す日が来るなんてことは、この先もないだろうと思っていた。
それも、裕ちゃんから言い出すなんて、意外すぎて放心してしまったくらい。
ぎりぎりまで、彼のことを話そうか話すまいか悩んだけど、きっと何か意味があってこの話題になったんだろうと思ったから、教えてあげたんだけど・・・。
「どうすればいい?そもそも俺は信じていないのに、何でお前は知っているんだ?」
かなり動揺している。
青い顔で言葉を並べる裕ちゃんが、あんまりおかしいから、思わず笑ってしまった。
「アハハ!言いたいことはわかるけど、日本語として成り立ってないよ」
「笑い事じゃない!俺はどうなっているんだ?そいつは何だ!」
気持ちが悪くて仕方ない、という顔で、拳を机に叩きつけた。
声を荒げることさえ珍しいのに。
笑ったのは悪かったかな。裕ちゃんは僕と違って、こういう話から程遠い場所で生活してきたのだから。
「心配は要らないよ。一般に言われている守護霊ってやつだよ。ずっと昔から僕達が遊んでいる時も見守ってくれていたんだよ」
彼は僕の話を聞きながら、キョロキョロと神経質に自分の横を見回している。
「何で司には見えるんだ?」
「体質らしいけど」
僕の答えに、一瞬キョトンとした顔をした。
「・・・だめだ。自分の考えがわからない。俺は信じていないのに、俺が経験した事と、お前が言ったことは一致するんだから」
裕ちゃんは、整った顔を別人みたいに歪めて、頭を抱えて机に突っ伏してしまった。
「おい、瀧田。さっきからどうしたんだよ。『鉄の男』邑井の行動がおかしいぞ」
顔を上げると、クラスメイトの森高が、驚いた様子で僕に訊ねていた。
それはそうだろう。
裕ちゃんがこんなに取り乱している様子に、僕が驚いているくらいなんだから。
「彼は彼の人生において、想定外の現実にぶち当たってしまったんだよ」
『俺は俺の人生において』これは普段、裕ちゃんが考えや哲学的なことを語るときによく使っている。
僕も皮肉っぽく使ってみたけど、当の裕ちゃんは聞いてないみたい。
森高は、「何だそれ。人生なんて想定外のことばっかりだろ」と首を傾げている。
「裕ちゃんにとっては、ありえないことだったんだよ」
「ふーん。まぁ、頑張れ邑井」
深く訊くまでの仲ではなかったからだろうけど、それ以上は突っ込まなかった。そして、彼の肩をぽんと一つ叩いて席に戻っていった。
それ以降、彼は上の空だった。授業なんて聞いていないようで、たまに思い出したように周りを気にしたりして、明らかに挙動不審だった。
そんなに気にする必要はないと教えたのに。
放課後、僕は下駄箱の前に突っ立っている裕ちゃんを見つけて声をかけた。
「あれ?今日は部活じゃないの?」
彼は運動部に所属している。
いつもなら木曜日は午後練があるはず。
「・・・今日は休む。司に聞きたいことがあるんだ。一緒に帰ろう」
「うん」
僕らはまだ明るい通学路を、人の波に混じって歩いた。
「何で俺に見えていなかったのが、あの時だけみえたんだろうな。俺にずっとついていたなら、なんであの場所で出てきたんだと思う?」
真剣な面持ちで僕を見る。
それを授業中に考えていたんだね。流石に順応するのが早い。
「彼は君をあの場所から遠ざけたかった、って考えるのが自然だよね。裕ちゃんはあの時、入ってはいけない所に、入りかけてしまったんだよ。ほら、君って鈍感で頑固な鉄の男だから」
きっと彼も、ストレートに伝えるためにそうしたんだ。
裕ちゃんは『鉄の男』って座右の銘を聞いた途端にため息を漏らした。
「お前がふざけて言ったあだ名が浸透しているみたいだな」
「カッコいいじゃない。ま、兎に角さ、あの場所の事は忘れるのが一番だよ」
そう。君は近づいてはいけないよ。
僕の大切な親友だから。
ずっと僕の傍にいて。
「そうだな」




