3.今、出来ること
婚約破棄したいと告げられてから三日が経つ。部屋の窓を見下ろして庭を見る。私が魔力暴走を起こした場所は円形に地面が焼け焦げ、雷の魔法が発現したのか近くの木が根本まで割れて真っ二つになっていた。この庭の惨状を見るたびにあれは夢ではなかったのだと毎日私に知らしめる。魔力暴走の影響は丸一日寝たら治っていた。朝、魔法医師の診察を受けて完全に元の状態に戻っているというお墨付きももらった。メアリーは間一髪のところでお母様が魔法で助けに入ったらしい。今日も私の世話をしてくれる。
「お嬢様、もう一度制服を着る練習をしておきましょう。学園へは魔力保持者以外立ち入り禁止。使用人を連れて行くことは禁止されておりますので一人でできるようにしておかなければ」
メアリーが銀の装飾が光る真っ黒な制服を掲げてくる。
「メアリーは心配性ね。もう着られるようになったじゃない」
項垂れているとメアリーが制服一式を押し付けてきた。
「念には念を入れて。学園に行ってしまえばもう私は何のお手伝いもできません。今出来ることを全力でしておきたいのです」
「仕方ないわね」
重い腰を上げて制服に袖を通す。
制服は、白のブラウスに膝が十分隠れる丈の黒のコルセットスカートにこれまた黒いショートジャケット。なんだか喪服の様に思える。ブラウスを着たら黒の襞飾り(ジャボ)を付ける。ジャボには好きなブローチを自由につけてもいいらしいがそんな気分にはなれない。スカートのコルセット部分は前を4つの装飾の施されたシルバーのホックで留めるタイプで一人の着替えに慣れていない者でも簡単に着脱し安い。ショートジャケットは着るだけ。やけに多い銀ボタンが眩しい。さらに上に男女共通の脹脛の半ばまでの長さがあるドレープの効いた黒色のマントを羽織るのが礼装となっているが、これは着る練習をしなくていいのか渡されなかった。難しいことはない。
「出来たわよ。簡単じゃない。もう完璧よ」
「いえ、コルセットの後ろのリボンが歪んでいます」
「メアリーは細かいのよ」
「令嬢たる者、身嗜みは完璧にしなければならないのですよ。やり直しです」
スカートをはき直して姿見の前に立つ。イラストの同じ立ち姿。今世の私の容姿は美人と言われる程度には恵まれていたが彼の好みではなかった。ストレートの長い密色の髪。幼い頃、狼の様とウォルドに言われた琥珀色の吊り目。女性の平均よりも高い身長。体型はスレンダーというかアスリート体型で色っぽさはない。悪役なら豊満な体型で艶やかであっても良かったのにそれには恵まれなかった。思わずため息が漏れる。
「似合ってらっしゃいますよ」
「そうかしら」
主人公は三次元の状態はまだ見ていないから分からないけれど、イラストからしてきっと幼い雰囲気の可愛い顔立ちをしているはず。女性の平均よりやや低い身長に平均以上にある女性らしさに溢れた胸。私とは真逆。もうどうしようもない。声も可愛らしくて、低めの声をしている自分とは大違いだった。でも、どうしても彼を諦めるなんてできない。
ウォルドと一緒にいるためにしてきた剣や魔法の訓練も彼に焦燥感を抱かせてプレッシャーになっているとは思わなかった。魔力があまりない彼を補佐できるように励んでいた魔法の特訓も彼のコンプレックスを刺激していて好かれるためには逆効果だったなんて気付かなかった。
というかそもそも、彼が思っているほど私は強くない。勘違いされている。
でもこれで彼が距離をとるようになった理由が分かった。改善できる。彼の心を取り戻せる。いやだめだ。今から私の振る舞い方は変えられても彼の私への印象はそう簡単には変わらない。彼の心を変えるには時間が必要だ。
「明日は入学式ですから今日はお早めにお眠りください」
「気が滅入るわ。……お母様の言うとおり大事をとって休学しようかしら」
「もし、そうするなら奥様にお伝えに行きますよ」
「……やっぱり、やめておくわ。何もせずに手をこまねいているだけなんて嫌」
入学式、つまり主人公が現れるまであと一日しかない。どうしろというの。
彼はヒロインに一目惚れをする。そしてヒロインが彼を選べば恋敵の私は悪役としての末路を辿る。ウォルドのルートには私と結ばれるエンドは存在しない。バッドエンドは発狂した私に攻撃魔法を仕掛けられたヒロインを庇った彼が死んでしまうというものだ。グッドエンドではヒロインと結ばれ私は断罪される。ノーマルエンドでは『その子を選ぶなら私を殺してからにして』と発狂し非情に切り捨てられて殺されてしまう。ウォルドのルートに入ってしまえば私の恋は成就しない。それなのに、ウォルドは攻略対象中もっとも好感度が上がりやすく一番ルートに入りやすい。攻略対象は五人いても確率は五分の一ではない。ヒロインが彼を選ばないことをただ祈るだけでは不安すぎた。
「何か今、出来ることはないかしら……」
主人公が持っていなくて私が持っているもの。それは貴族位くらいしかないが彼はそれに魅力を感じるタイプではない。私が持っている魔力量は魔力保持者の中で多い方だがヒロインのチート量には到底太刀打ちできそうもない。魔法と武術は猛特訓してきただけあって結構使えるけれど、そのどちらもそこが嫌だとウォルドに切り捨てられた。私はあくまでこの物語の主人公に踏み台にされる悪役ポジション。
転生したなら私にも何かチートが使えてもいいのに……。
前世の記憶が完全にゲームに関連したことしか思い出せない。多少は思い出せても思考がぼやけて何も考えられなくなる。転生したことは事を有利に進める材料になってくれそうにない。私を嘲笑うかのようにヒロインが幸せそうに微笑むイラストが脳裏に浮かぶ。攻略対象もタイプがバラバラで美形だということを除いて一貫性がない尻軽なのに。まあ、乙女ゲームのヒロインというのはそういうものなのだろうけど。些細なことで簡単に心を時めかせる惚れっぽいヒロイン。
「そうだわ!」
決めた。ヒロインを落とす。これしかない。ヒロインが心をときめかすポイントなら分かっている。自分も彼も変えられない。ならヒロインに手を出すしかない。
急にやる気を漲らせた私に呆気にとられているメアリーの手をとる。
「メアリー、お願いがあるのだけど」
「何でしょう?」
「男子用の制服一式を至急秘密裏に用意して。学校にはそれで通うわ」
「なぜ、そのような……一体何をなさるおつもりですか?」
「男装よ。ああ、あと馬も用意しておいて。色は白よ」
「なぜ、馬?」
「何故って、夢見る乙女は白馬の王子に憧れるからよ。たぶんね!」
主人公は森に迷って入学式に遅刻する。それを迎えにいくのだ。誰よりも先に出
会いイベントを起こしにいくのだ。
「いえ、なぜ男装を」
「あ、鬘も必要ね。長い髪を隠すから膨らみがごまかせるようパーマが緩くかかっている短いものをお願い。靴はシークレットブーツで身長を盛れるようにしておいて。私は女性としては高い方だけど男性としてはもう少し欲しいから」
「……承知いたしました。元気が戻られたようなのでここは何も聞かずにいましょう」
メアリーが退室し、あまり時間がかからずに戻ってきた。
「それってもしかしてお兄様の制服?」
「はい、制服は別邸で保管していたみたいでよかったです。第一学年の頃に着ていた物を拝借してきました。少しばかり大きいかもしれませんがギリギリ着られるかと」
男子制服の白いシャツに黒いズボン、黒いベストに袖を通す。女子制服と似たような配色だ。襟に銀糸の刺繍が入った銀ボタンのやけに多いジャケットを着る。
「これは何かしら?指輪?」
「ネクタイリングですね。クロスタイに付けるんですよ。ギルバート様は学則を破ってクロスタイ自体付けていなかったようですが」
「こんな感じかしら。やっぱり女子制服を着るより楽ね」
「いえ、クロスタイ曲がっていますよ。やり直しです」
付け直してメアリーに合格点をもらうと次は鬘だ。
「黒でよろしかったでしょうか?」
「そうまさにこんな感じ。ありがとうメアリー」
メアリーが手伝ってくれようとしていたが練習がてら自分一人で髪を束ねて纏める。前髪を作っていなくて良かった。鬘を被ってみると想像以上に男の子っぽい自分が姿見に映っていた。
「……どう?」
あえて低めに声を出してみる。元から引くい方なだけあって簡単に女性らしさが消えた。
「正直に申し上げますと女子制服よりも似合っておられます」
「自分でもそう思う」
「声を低くすると本当に男性の様ですね」
「かっこいい?」
「ええ、とても」
道が開けた。この出来ならヒロインを攻略できるかもしれない。