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第5話 「コーチ」

 



 久しぶりに早起きをして、俺は移動式洋上人工島の端まで来ている。数日前に全身を攣って、死にかけのカエルよろしく仰向けに倒れていた場所だ。


 なぜこんな嫌な思い出のある場所に来ているかと言えば、早速今日から、早朝二◯キロランニングという地獄の試練を乗り越えていかねばならないからだ。


 なにも早朝でなくともよかったのだが、爽やかな朝にこそ汗をかくべきだという、変な持論を展開した結果だ。


『ウグイス荘』がもともと人工島の端にある為、ここに来るまでたいした時間がかからないのに加えて、島の端には島の周に沿ったランニングに適した舗装通路がある。

 苦い思い出があるとはいえ、ランニングするにはもってこいの場所であることに違いない。


 であるからして、俺は再びこの場に舞い戻った。

 再び苦い思いをしに来たわけだ。


「それじゃあ、早速走り始めるとしますかね」


 二、三度両足のアキレス腱のストレッチをしてから特に理由もなく、クラウチングスタイルをとる。

 学園のグラウンドにある一周四キロのトラックなんて便利なものはないから、体感で二◯キロ。時間として以前走った時の三時間を目安に、走ることにする。


 準備ができたら、心の中でスタートのピストルを鳴らし、勢いよく走…………。


「やっはろー、せーんぱい!」


「うおっあ⁉︎ …… 痛えっ」


 唐突にかけられた声に驚いて体制が崩れ、地面に顔から激突する。

 地面が綺麗に舗装されているからよかったものの、オフロードだったら悲惨だったぞ。

 それはそうと、俺のことを先輩って呼ぶなんて、誰だ?


「あの……。大丈夫ですか……⁈」


「まぁ、なんとか」


 両腕でぐいっと体を押し上げて起き上がり、立ち上がる。

 そうして、ようやく俺を先輩と呼ぶ女の子をしっかりと確認することができた。目の前にいる女の子は知り合いというわけではないが、


「ああ、君は……。あの時は世話になった。ありがとう」


 面識はあった。


「いえいえ。礼には及びませんよ、彼方先輩」


「俺を知ってるのか?」


「そりゃあ、彼方先輩は悪い意味で有名人ですからね」


 目の前にいるジャージ姿の女の子は、数日前に全身が攣って動けなくなった俺を、親切にも助けてくれた女の子だった。

 黒髪セミロングの髪型、少し眠たげなとろんとした目、落ち着いた雰囲気を身に纏っている。


「彼方先輩、こんな朝早くにどうしたんですか? とても彼方先輩のようなだらしない人が、理由もなくこんな朝早くに起きるとは思えないです」


「殆ど面識のない人に対して、それも先輩に対して、だらしないという言葉を面と向かって言ってくる胆力に免じて教えてやるとしよう。今からランニングをしようしてたんだ」


「まあ、知ってましたけど」


「なら聞くなよ」


「っで、何キロ走るんですか」


 あ、それ聞いてくる?

 ちょっとした自慢になってしまうが、まあ、聞きたいというのだから仕方ない。


「聞いて驚くことなかれ。なんと、二◯キロだ!」


 先輩舐めんな! と言わんばかりに自慢げに言ってやった。

 これで少しは先輩として、この後輩に舐められることはないだろう。

 なんて心の中で思っていたのだが、目の前の女の子はさほど驚いてはいなかった。


 それどころか、くっ、と口角を釣り上げる始末。


「せーんぱーい、その程度で自慢されても困りますよー。だって私は、すでに二◯キロ走り終えてるんですよ。そしてこれから、もう二◯キロ走りますしねー」


「なん……だと……」


「まぁまぁ、そう落ち込まないでください。私が特別なんですよ」


「……なんでそんなに走るんだ?」


 早朝から、フルマラソンみたいなことをしているだなんて正気の沙汰じゃない。

 もはや、同じ人類とは思えない。

 というか、バカだろ。


 まあ、嘘を言っているということも考えられたが、このアホそうな女の子が嘘をつくとは思えない。

 それに、こんなことで嘘をついたところで意味はない。


「ただ、走るのが好きなんです」


 にっこりと、太陽の輝きに負けない笑顔を女の子は見せる。

 女の子のそんな笑顔を見て、俺は提案……いや、


「なあ、よかったら一緒に走ってくれないか?」


 お願いをしてみた。





 ◆◇◆◇◆





「先輩、スポドリ買ってきました。どーぞー」


「っはぁ! はぁ! あ、ありがとう」


 学園の中庭のベンチに座っていた俺は、息を荒立てながらスポーツドリンクを受け取るやいなや、煽るようにしてスポーツドリンクを飲んだ。


 水分が乾いた体に染み渡り、生き返ったような気分になる。

 むしろ、生き返った。

 いや、死んでたわけじゃないんだけどね。


「走り始めた所から学園の中庭で丁度二◯キロだなんて、こうなったら明日から走って登校だな。にしても、随分と余裕そうなんだな。えーと…………」


「七草 香夏かなつ。香夏でいいですよ。そりゃあまあ、だいぶ昔から早朝ランニングしてますので」


「ってことは、俺のペースに合わせてくれてたんだろ。ありがとうな」


「そうですよ。もっと感謝してください」


 ふふん、と腕を組んで偉そうにする香夏。

 その姿を見て、思わず苦笑いを浮かべてしまう。


「まあ、先輩が願うのなら、コーチとして、これからも一緒に走ってあげなくもないですが…………。どうします?」


「え、いいのか? 足引っ張るとしか思えないんだけど」


「問題ありませんよ。たぶん、私がこれ以上速くなることもないでしょうし」


「速くなれないのか?」


「人の限界というヤツですね」


 人の限界にまで至ってしまったわけか。

 まあ、たぶん誇張表現だろう。それでも俺とは違って、そうとうな努力を積んできたわけだ。

 人間として、尊敬できる。


 それに比べ、努力の仕方を忘れてしまった俺は、もう一人で努力できなくなっている。誰かと一緒に、もしくは誰かの力を借りて、やっと努力できる愚か者、それが今の俺。

 本当に情けない話だ。


 だから、今の俺には後退の二文字は残されていない。

 これ以上、後ろには退けない。

 なにがなんでも、彼女、エリスティアさんに近づかないといけない。


 その為だったら俺は、


「香夏コーチ。これから宜しくお願いします!」


 何だってする。


「私の指導は厳しいですからね、彼方せーんぱい!」







 昼が過ぎ、午後の授業。


「はぁあああああっ!」


 キンッ、と金属と金属が激しくぶつかり合う音が『ルーム』内に何度も響き渡る。暮葉と男子生徒による模擬戦闘の音だ。


 対戦相手の男子生徒の霊装が直剣型なのに対して、小太刀型の霊装である暮葉は力で押し負けている。

 霊装の能力上、かすり傷を負わせるだけで暮葉は勝てるのだが、うまく攻め込めず苦戦をしいられているいるようだ。


「相手の霊装の能力しだいか……」


 霊装は身につけている間に限って能力を使用することができる。

 アクティブ能力とパッシブ能力の二つにわかれ、暮葉の霊装の能力は常時発動型のパッシブ能力に分類されている。


「はぁッ! これでッ、終わってッ!」


 剣戟をかいくぐり、暮葉はうまく相手の懐に潜り込む。

 そのまま流れるようにして、相手の懐に向けて小太刀を突き出した。

 擦りさえすれば勝てる。

 が、突き出された小太刀は擦りさえしなかった。


「反応速度に倍率でもかけたか」


 一瞬だけ、異常な反応速度で男子生徒は避けていたことから、アクティブ型の反応速度増幅の能力だと説明がつく。

 次の使用までのインターバルが何秒かわからないが、この能力を使われる以上、攻撃を当てるのは難しくなる。


「暮葉の霊装じゃあ少し厳しいか……」


 そう言葉にした時。

 ピンポーンパーンポーン。と、陽気な音が鳴る。


『高等科二年、夢岬 彼方。至急、私的トレーニングルームに来なさい』


「はぁ。今日もですか……」


 暮葉の戦いを最後まで見届けたかったが、呼び出しをされてはどうしようもない。苦戦を強いられている暮葉に小さく手を振ってから、俺は急いで私的トレーニングルームに向かった。


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