第25話 「エリスと暮葉」
「エ、エリス……そろそろ離れてくれ」
「うむ。誰かに見られたら恥ずかしいしな。では、もう帰るとする…………ふぇ⁈」
エリスはゆっくりと腕を解くと俺から離れ、進行方向に体を向けることで、ようやく暮葉の存在に気がついた。
鳩が豆鉄砲を食ったような顔になるエリス。
「こ、これは恥ずかしい所を見られてしまった……。私のイメージがぁ…………」
よほど恥ずかしいのかエリスは顔を真っ赤に染めて、その場にうずくまってしまった。一向に顔を上げる気配がない。
まあ、じきに自分で立ち直ることだろうから、今はそっとしておいてあげよう。『さわらぬ神にたたりなし』という先人の偉大なお言葉があることだしな。
「えーと、もしかして待っててくれたの?」
「そんなところよ。それより彼方、いつの間にエリスティアさんと、そこまで親しくなったのかな?」
不気味なニコニコ笑顔で詰め寄ってくる暮葉。逃げようと思って一歩後ずさりした瞬間、俺の右腕は暮葉にがっしりと掴まれてしまう。
逃げれない。
「逃げようとしないで。大丈夫だよ、特に何かしようってわけじゃないから。……早く質問に答えてくれたらだけど」
それなら、ゴムナイフで俺の脇腹をグリグリするのをやめていただきたいものだ。
「まあ、色々とあったんだよ。詳しく話すと長くなってしまう」
「なら、帰りにファミレスにでも寄ろうか。詳しく聞きたいから。エリスティアさんも大丈夫だよね? いいよね、エリスティアさん?」
にっこり。
「…………はい、大丈夫……です」
暮葉の不気味な剣幕に、エリスは完全に萎縮してしまっている。
何処に行ってしまったんだ、あの凛々しいエリスは!
俺の知ってるエリスは、こんなことで怯んだりはしない!
と目でエリスに訴えかけてみると、伝わったのかエリスはこくりと小さく頷いてみせる。
「キョーカがお金を管理しているから、今の私はお金を持っていない! いやぁ、残念だ。これでは私はファミレスには行けないな!」
いつものエリスの声だったが、内容の小者臭が凄いうえに、
「エリスティアさんの分は彼方が出しますから、大丈夫です」
「そ、そうなのか」
あっさりと言いくるめられてしまった。
やめるんだエリス、そんなしょぼくれた目で俺を見られても困る。
仕方ない……。
「……行くか。ファミレス」
ファミレスに向かう道中、暮葉の不気味なニコニコ笑顔を除けば、何事もなく平和だった。
今はファミレスの四人席に、俺とエリスが並んで座り暮葉が対面に座っている具合だ。暮葉は、いまだ不気味なニコニコ笑顔を崩さない。
「っで、彼方はどうしてエリスティアさんとそんなに仲がいいの?」
「それはだな……」
俺は保健室でのエリスとの出会いから、街案内したこと、昨日エリスに抱きつかれていた理由を事細かく、洗いざらい暮葉に話した。
「ほーん。そんなことがあったんだ。それなら……まあ、許しておきましょうかね」
とりあえず誤解は解けた。
不気味なニコニコ笑顔でもなくなっている。
「それで今日から、エリスティアさんに回避の特訓をつけてもらうと…………」
「そ、それは午後の授業の時だけの話だから」
「うん? てっきり私は一日中かと思っていたのだが……」
ギロリと暮葉の視線が突き刺さる。
というか、エリスは一日中俺の特訓を見てくれるつもりだったのかよ。俺としては嬉しいのだけれど、今は言ってほしくなかった。
「へぇー。私が特訓に付き合ってあげてるというのに、エリスティアさんに手を出しているわけですか。しかも、一日中。私はポイーですかそうですか」
まずい。目が笑ってなければ、顔も笑っていない。
ガチなやつだよこれ。
「待ってくれ、それは誤解だ。一日中ってのは俺も初耳だし、なにより一日中特訓って言っても昼休みまで特訓するわけじゃないだろうし。だから、昼休みは今まで通り暮葉に特訓に付き合ってもらうつもりだから!」
「うん? 昼休みはも私と特訓だぞ」
お願いだから空気を読んでぇッ!
「……もう、いいよ」
暮葉の声は少し震えている。
「いや、だから誤解なんだって!」
「……もういい!」
オワッタ……。こりゃ、完全に嫌われたな。
この怒りようだと、スイーツ様の力を借りたとしても無理かもしれない。そう思って肩を落としていた時。
じっと俺を見つめる暮葉の瞳の奥に、決意だとか覚悟の色を見た。
「私も一日中彼方の特訓に付き合うことにするから」
「……へぇ⁈ でも、授業は?」
「優等生ですから、ノープロブレム」
優等生という言葉を妙に強調して、ドヤ顔する暮葉。
俺としてもノープロブレムなのだが、エリスが許してくれるかどうか……。
「私としても構わないぞ」
「……というわけだから、よろしくね彼方」
「よ、よろしく」
「よーし! 話がまとまったことだし、今日は彼方の奢りで好きな物を食べようではないか!」
そう言って暮葉はメニューに目を走らせ始める。
待って⁉︎ 俺の奢り?
「い、いいのか? 彼方」
エリスがごちになりたそうな目で、こっちを見ている。
「……ふぅ。いいよ。じゃんじゃん好きなの頼んじゃってくれ」
「本当だな⁈ 私は、ファミレスというのは初めてなんだ!」
目を爛々と輝かせるエリスは、食い入るようにメニューを見る。
今度、エリスをコンビニにでも連れて行ってやろう。きっと大はしゃぎするぞ、こいつ。
「さて、エリスティアさんと彼方は頼む物決まった?」
「うむ。決まったぞ」
「ああ。決まったよ」
暮葉は呼び鈴を鳴らした。
ファミレスでの夕食の後、十時ごろに家に帰った俺は素早く風呂に入ってから、着替えてベッドに寝っ転がっていた。
明日から、ハードな特訓が始まる。
今日はもう寝よう。
◆◆
一日中特訓が始まってから、はや四日が経ち。
五日目の早朝、今日も今日とて早朝二○キロランニング。
「モテモテですね先輩!」
「……そんなんじゃねえよ。特訓のしすぎで禿げるかと思ったぐらいだ。まあ、すごく感謝はしてるけどさ」
「あれ? 先輩、後頭部禿げてますよ?」
「え? じょ、冗談だよな?」
「…………」
香夏はなにも言わず、神妙な顔つきでペースを上げて先行する。
俺は恐る恐る後頭部を手で触った。
ふさふさだった。
「先輩、びっくりしました? アハハハッ!」
「おい、待てこのやろう!」
「無理ですよ。先輩の足じゃ私には追いつけません!」
「んなことあるか! すぐに追いついてやんよ!」
◆◆
昼食の時間がやってきた。
中庭の芝の上にレジャーシートを敷いて、そこに暮葉がつくったきてくれた弁当を囲むようにして三人仲良く座った。俺の隣に座っているエリスが、美味しそうに弁当を食べている。
「やはり、暮葉は料理が上手なのだな。今日のお弁当もとても美味しいぞ!」
「まだまだ沢山あるからね」
「うむ!」
エリスは本当に美味しそうに料理を食べる。それが嬉しいのか、日に日に暮葉の弁当はクオリティーを増していく。俺としては弁当のクオリティーが増すのは喜ばしいことなのだが、このままいくと最終的に暮葉の弁当がどうにかなってしまうのではないかと、少しだけ不安でもある。
弁当を食べ終えて一時間程度休憩を挟んだら、厳しい午後の特訓の開始だ。
そろそろ、疲れで後頭部が禿げてきてもおかしくはない。




