第19話「暮葉の趣向」
翌日。午前、五時。今日も元気にランニングするかな、と思ってランニングウェアに着替えていた時のことだった。
『今日は学校サボって本土行くから、準備しといてよね! 七時にフェリー乗り場で待ち合わせだから! あと、身なりをちゃんと整えてなさいよ! 』
なんの前触れもなく突然来た、暮葉からのラブコール。
「……まぁ、というわけなんだよ」
と、俺は隣で並走している香夏に今朝起きたことを、ため息まじりに説明した。
「ほへー。だから、今日はランニングコースを変えてくれって言ってきたんですか」
「ごめんな。こっちの事情で振り回しちまって」
「別に気にしてませんよ先輩。私がすこーしだけ、長い距離を走って学園に行けばいいだけですからー。だから先輩は、なーんにも気にやむことなんて無いんですよー」
言葉こそ柔らかかったものの、目が笑っていなかった。
少し。いや、かなり怒ってらっしゃらない?
「悪かったって。今度焼きそばパン奢ってやるから、それで許して!」
「……先輩の顔に免じて、それで手を打ってあげましょう」
口を尖らせて言いながらも、香夏は納得してくれたようで、それ以上その話について言及してくることはなかった。
まぁ、香夏が多少? 腹をたてるのも仕方がない話だった。
先ほど俺が言葉にしたように、今日のランニングコースはいつもと違う。いや、道のりとしては殆ど違いはないのだけれど。
今回のランニングは、まずはいつもの二○キロの道のりの丁度半分まで走り、その半分地点で折り返して、来た道を戻るという変化球コース。
そんなわけで、香夏が学園に行く為にはランニング終了後、もう二○キロ走らなければいけない。バスでも使ってみれば? と聞いたのだが、香夏曰く自分が走った方がバスより早いとのこと。
……本当に人間なのか?
というわけだから、香夏が多少腹を立てるのも仕方がない。
焼きそばパンだけでなく、ポテトチップスも献上しよう。その方が、香夏も喜ぶだろうしな。
「先輩! 時間の関係でもう少しペース上げますけど、ついてきてくださいね!」
ぐんっと、自転車のギアを切り替えたように香夏のスピードが上がっていく。いつの間にか、先ほどまで俺の横で並走していたはずの香夏の背中が、俺の視界に入っていた。
その背中を見た俺は、
「ふんぬぅううう!」
そんな気張り声をあげながらペースを上げる。しかし、香夏の横には並べそうにない。
まだまだ俺も特訓が足りていない証拠だ。
待ち合わせ時間の、午前七時。俺はフェリー乗り場の木陰にあるベンチに身を預け、嫌気がさす日差しの眩しさを、海を眺めて気を紛らわす。
香夏が十分前には待ち合わせ場所にいるのが紳士だと言うから、俺は十分前にはこのベンチに腰をかけていた。今日はなぜかとびきり暑いから、服装はVネックの黒シャツに薄手の水色パーカーといった、涼しげなコーディネイト。 俺としてはジャージでもよかったのだが、暑苦しそうだし、なにより暮葉からブーイングが起こりそうな為に自粛した。
それから二分程経って、暮葉はやって来た。
「ごめん! もしかして、待ってた?」
「いや、そこまで待ってないな」
十分なんて待ったうちに入らない。そもそも、俺が早く着いていただけだ。それに、暮葉も遅れたと言ってもたったの二分だ。
んなもん誤差だろ。
「で、学校サボってまで、本土に何の用なんだ?」
「あれ、蓮城先生から聞いてない?」
「えーと。メイド……だっけか」
「そうそう。せ、正確にはメイド喫茶のことなんだけどね……」
そう言うと暮葉はなぜか頬を赤らめ、顔をぶんぶん振ってから話を続ける。
「そういえば、今季のアニメ『メイドを好きで何が悪い‼︎ 』。彼方は見た?」
「ああ、あれか。一話で切った」
と即答する。
俺がメイド萌え属性を有していないから、あのアニメはいまいちピンとこなかった。内容としては、主人公が道行く美少女に無理矢理メイド服を着せて洗脳し、メイドハーレムを築こうとするアニメだった。洗脳がどんなのかって? 調教ってやつだよ。
それはそうと、一話で切った発言が気にくわないのか、暮葉は眉間にしわを寄せていた。
「はぁ? 一話で切った? 彼方はバカなの? いや、馬鹿でしょ。アホンダラだよ!」
「うえええ?」
なんでそんなに酷いこと言われないといけないの⁈ 自分に合わないアニメを視聴するのを辞めただけなのに、こんな仕打ちはあんまりじゃないか。いやまぁ、少し気持ちいいから許すけどさ。
「馬鹿って言われてもさ、合わないんだよああいったジャンルのアニメは」
「……別に、私だってああいったジャンルのアニメが好きってわけじゃないわよ」
でもね……、と暮葉。
「私は二次元でも三次元でも、メイドさんが大好きなだけなのッ! というわけだから、今日は私がメイド喫茶に行くのについてきてもらうからね!」
「……お、おう」
暮葉のメイドに対する熱い想いに、若干俺は押され気味だった。
話をまとめるとしよう。
つまりは、暮葉は一人でメイド喫茶に入るのが恥ずかしいから、俺についてきて欲しいということなのだろう。確かに、メイド喫茶に女子一人で入店することは、なかなかに勇気が必要に思える。
かと言って、女子の友達を連れて入店というのも、それはそれで違和感がある。それ以前に、暮葉は自分のメイド好きを周りに隠しているのかもしれない。
そう考えると、暮葉が俺を連れて入店しようというのも頷ける。ようは、オタクの彼氏に連れてこられた彼女という設定だ。
「まあ、今はフェリーに乗っちゃいましょ。メイドの良さは、フェリーの中で耳にタコができるぐらい説明してあげるから」
「……いやぁ、遠慮」「しなくてもいいからね」
にっこりと、お日様に負けないくらいの満面の笑みを浮かべた暮葉に腕を引かれて、俺はフェリーに搭乗した。




