第10話 「香夏」
暮葉との長い夜を過ごした翌日。
いつもの早朝ランニングの集合場所で、香夏を待つ。
香夏は俺と走る前に二○キロ走ってから来る為、大抵一、二分集合時間に遅れてやってくる。
その間に、俺は一人でも出来る足のストレッチをして走る準備をする。
「ふぅ、お待たせしました彼方先輩!」
「さすがに疲れるか?」
「なんの、まだまだ余裕ですよ。早速、ランニングを始めましょう」
「いや、その前に。今日暇か?」
「まぁ暇ですけど。……なんですか?」
不思議そうに、小首を傾げる香夏。
「いやほら、いつも特訓に付き合ってもらってるからさ。そのお礼に、何か欲しいのがあったら買っやろうかなと……」
「ほんとですか!」
香夏の顔がパッと明るくなる。
何か欲しかった物でもあったんだろうな。
「もちろん本当だ。じゃあ、放課後校門前で待ってるから。そこに集合ってことで」
「わかりました彼方先輩。それじゃあ、今度こそランニングを始めますか。……よーい、どーん」
「おい、待てって! おーい、待ってくれません⁈」
急に飛び出した香夏を追う形で、慌てて俺も走り始めた。なぜだか今日の香夏のペースは、いつもよりすこしだけ速かった。
午後の授業が終わり、放課後。
俺は一足先に、校門前で香夏を待っていた。校門の側の塀の上には、Maxコーヒーの缶が四つ並べられている。
言わずもがな、俺が並べた。
それでだ、何が言いたいかというと…………。
「遅くないですかね⁈」
もうすでに、午後の授業が終了してから約二時間が経とうとしている。
そして、俺が五本目のMaxコーヒーのプルタブを開けた時だった。
「せんぱーい! 長い間待たせてすみませーん!」
ようやく香夏がやってきた。
いつもジャージ姿の香夏の姿しか見ていないせいか、制服姿の香夏は幾分か新鮮だった。
「少しだけ寝ちゃってまして……。あの、その。お、怒ってません?」
と、心底申し訳なさそうなさ顔をする香夏。
「怒ってないよ。それより、どこか行きたい所はあるのか?」
「えっとー。新しいトレーニングシューズを見たいんですけど……。今履いてるのがボロボロになってきてるので……」
普通の女の子なら、とりあえず服屋とかスイーツ店とか言いそうなものなのだが。現に暮葉がそうだったわけだし。まあ、香夏らしいチョイスなのかもしれない。
「なら、決まりだな」
というわけで、西商業区の靴屋に来ている。
この店には俺自身は来たことがないのだが、どうやら香夏がよく通っている店らしい。
折角の機会だ。この際に俺も、ランニング用のちゃんとしたシューズを買っておくとしよう。
とりあえず最初のうちは自分で探すより、ランニング愛好家である香夏に探してもらった方がいいだろう。
「なぁ、香夏。俺もちゃんとしたシューズが欲しいからさ、何かいいやつを見繕ってくれないか?」
「任せてください先輩! うーむ。そうですね…………」
真剣な顔つきで、陳列棚を見ながら香夏はシューズを探し始める。
その間に俺はというと、足のサイズがわかるシートで、自分の足のサイズを測っていた。
「彼方先輩、足のサイズはいくつですか?」
「今測ってみたところ、どうやら二十七だそうだ」
「ほほーん……。なら、これとかどうですか? いい感じだと思いますけど」
得意げな表情で香夏は、トレーニングシューズを箱から取り出してみせる。白がベースの表面に青と黒の線が入っている、見た感じ特におかしなところがない無難なシューズだった。
そのシューズを手渡され、試しに履いてみれば、なかなかにしっくりくる。
「…………そうだな。俺はこれにするよ」
「なら、私はこれにします」
「それじゃあ、会計済ませてくるから。そのシューズ、ちょっとこっちにかし…………どうした?」
なぜか香夏は、シューズの入った箱を渡してくれない。
「い、いえ。自分で買いますから大丈夫です!」
いやいや。今日は香夏にお礼がしたくて、ここに来ているんだ。
香夏が自分で買ったのでは、お礼にならない。
「何言ってんだ、遠慮するなよ。……ん?」
「うっ……」
お揃いだった。何がって、シューズが。
他にも数種類の色があるが、俺と同じ白と青と黒のシューズだった。
「うぅ〜。お揃いの買ったとか、なんか、恥ずかしいじゃないですか……。と、というか! 私はおおおお揃いのシューズにすることで、これからのトレーニングの団結力向上につなげようと思ってるんですよ!」
「お、おう……」
「それに先輩こそ、もう一つ別に靴買おうとしてるみたいですけど、それは何用ですか⁈」
と、俺がトレーニングシューズとは別に抱えてる靴を指差してくる。
「これは、俺が私情で外出する用の靴だけど……」
「う、嘘だ! 先輩が私事で外出とか、ありえないです! 先輩はネトゲでしか外出したことないじゃないですか!」
「待て待て! 今すぐに、その変な偏見を捨てろ!」
その言い方だと、まるで俺が引きこもりみたいじゃないか。
いや確かに、ネトゲしてる時もあるけどさ。
「ま、まあ、とりあえず会計してくる」
いまだに「お揃いにしたのは、団結力の為なんです!」と言い訳を重ね続ける香夏を無視して、俺はひとまず会計を済ませた。思いの外、高額のお支払いにはならず少しだけ嬉しい。
「あの……。お願いがあるんですけど」
靴屋を出たすぐの所で、香夏が少し恥ずかしそうに尋ねてくる。
「そのお願いが、俺にできる範囲なら聞こう」
「えっと……」
覚悟を決めるように、一拍置いて、続く言葉を香夏は言った。
「先輩の家に行ってみたいです」
…………………………。
「へ?」
思考が一瞬停止する。




