父の日
6月の下旬、梅雨の時期も過ぎる頃。
沖縄の片田舎をテリトリーにする一つの家族は、この時期暑さにうなりをあげる。
「ハッサ、熱くて死にそうサァ」
「家の中にいたら暑苦しいから外行け、外!」
「暑い暑い言わんで、よけい暑い!」
「ちょっと、テレビの音が聞こえん!」
噛み合わない会話、野球に例えるなら、皆が皆ピッチャーをこなし、いつでも本気で相手に直球を投げつける。祖母・母・兄、この3人が私の愛する家族である。この中にストライクゾーンを持ち合わせる心の広い人間はいない。
さて、今日は『父の日』である。
国のイベントの中で私達4人には最高に無縁の行事だ。
何せ祖母の父はすでに戦死、母の父は海の中を泳ぎ続けて30余年。私の父はアメリカの地でハッピーライフを送っているので、生まれてこのかた父の日というのは無縁の私達であり、「母の日良けれど父の日けむし」なのです。
取って付けたようで未だに影の薄い父の日、それでもやはり国の行事であるので、その管理下に置かれる教育施設、つまり学校という場所では、この日はとても大事な日であるのです。
小学校2年生だった私は、今日もいつも通り遅刻寸前で教室に駆け込み、いつも通り担任の先生から褒美のゲンコツを頂戴した。そして大好きなお絵かきの時間、先生が「今日は父の日なのでお父さんの似顔絵を描いてください」というのである。
はて?父の顔を知らない私。早速はりきっておばあちゃんの絵を描いた。気合を込めてそれはもうそっくりに。
すると、隣からムンクの叫びに似た父の絵を描いていたA子ちゃんが、私に声をかけてきた。
「それは、お父さんじゃないでしょう?」
見て分かるように大好きなおばあちゃんの絵だが何か問題でも?という視線を送っていると、
「どうして?死んじゃったの?」
子供というのはどうして、こうデリカシーに欠けるのか。その言葉の超速球ぶりは、いつもドキドキ、ひやひやスリリングものである。取りあえず、私の父はまだ死んではいなかったので、そこんとこはっきりと説明してあげた。
「死んでないけど、アメリカにいるから会った事がないの」
するとA子ちゃん、何やら不思議な事を言った。
「離婚したの?」
リコンって何だ?A子ちゃんに分かって私に分からない言葉。さてそれは何でしょう?と、まるでナゾナゾゲーム。
我が家への帰り道「リコン、リコン」頭の中はそれだけでいっぱいいっぱいで、日課の自動販売機小銭チェックも忘れて家路を急いだ。
「お帰り、早かったね」
母がお出迎え。ついでだし聞いてみた。
「リコンって何?」
目ん玉ギョロリ、今までにない形相をした母の顔がいたいけな少女の私に向けられた。「何で?」と聞く母の問いに、A子ちゃんから出題されたナゾナゾの事を詳しく話すと、「話は分かったから」と母は私を部屋に呼び、長々と語り始めた。
リコンの本当の意味、喧嘩別れではなくお互いに譲れぬ事情があって仕方なく別々に暮らすに至ったこと等。
そして、古いボストンバッグを取り出し見せてくれたのは、私と兄の出生証や手形、パパが描いてくれた私の似顔絵などの思い出の品々だった。
「パパと二人で約束したの、お互い恋人が出来ても子供はお前達だけで充分だよなって」
今日もポカポカ、顔テカテカの良いお天気です。
「私って幸せだなァ〜」
と感じた瞬間であった。めでたし、めでたし。
所々で沖縄の方言や、言葉の言い回しが入っていますので、読みづらい点もあるかも知れませんが、雰囲気を伝える為にあえてそのままに書かせてもらいました。ご了承下さい。
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