3章―1
はじめましてさんも二度め以上ましてさんもこんにちわ
神尾瀬紫です。
ようやくまとまりました、年末年始。
リアルタイムで年末年始だったんですが悩みまくって今頃になってしまいましたm(_ _)m
張っていた伏線もようやくひとつ回収(;^_^A
楽しんでいただければ幸いです。
[あのね〜、来月叶多さんが出るアニメのイベントに招待してくれるって(*´艸`*)楽屋おいでってo(*^▽^*)o]
[へぇ~、よかったね。]
[あれ?静紅ちゃんも一緒だよ。いつかMS³もイベントに参加することになるだろうから、勉強して来いって。]
[あ、あぁ〜。オシゴトですか( ゜A゜;)なんのアニメイべ?]
[“鋼鉄のイレギュラー”ってやつ。もうすぐ叶多さんの役のキャラソン出るんだけど、買うかどうか悩んでる(笑)]
[こらこらカノジョ(笑)そこは迷わず買ってあげなさい( ̄∀ ̄;)]
[ん〜。かっこ良かったら買う。]
[そこが不思議なんだよね。ねえさん、あんなに叶多さんが好きなのにアニメとかキャラソンとかあんまりチェックしてないよね。]
[そこはね、田舎だから見られない番組とか多いんだけど、あえてレンタルしたりネットで月額契約してまで見なくてもいいなぁとか。]
[声優としての廣崎叶多は好きじゃないの?]
[好きだよ?かわいいのもかっこいいのも変なのも、いろんな声持ってるし表現力もすごいし、ファンだけどさぁ。F.a.U GARDENのKANATAの方が好きなの。]
[どっちも同じ人じゃん。]
[でも、誰かが書いた台詞や歌詞を指示を受けてやってるより、叶多さん本人の中から生まれてる歌詞を歌って喋ってる方が、より深く叶多さんの内面を現してると思うの。だから、ファウの方が優先順位は上なんだ。]
[ふ〜ん。( º﹃º` )]
[あ、何その顔文字∑(°ロ°ノ)ノだって、しょうがないじゃん。歌詞にハマって、ライブDVDとかで自由に喋ってる姿を見てファンになったんだもん。°(°`ω´ °)°。]
[ハイハイ。だから素の叶多さんが好きだってことね。]
[そうそう。声優さんのお仕事は大変なのは知ってるから、それを続けられていることは尊敬するけど、だからと言ってキャラを追いかける気はないんだ。]
[まぁ私達は声優の養成所に通って諦めた口だからね(笑)]
[ね┐(´д`)┌]
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車を降りた紫づ花は思わず大きく息を吐く。
小さな雲が吐き出され風に流れ消えていく。
駐車場には同じように出勤してきた十数人の影。
それぞれが厚手のコートに身を包み、足早に建物へ向かう。
紫づ花も冷たい指をコートのポケットの中で握りながら歩いていた。
腰を痛めてから愛用しているデイパックが意外と暖かい。
今日から仕事初めだ。
いろいろなことがあった年が終わり、さらにいろいろあるはずの一年が始まった。
靴を脱いでスリッパに履き替えてる時、後ろから仲のいい準社員が追いついてきた。
「おはよう。」
「あ、おはようございます。今年もよろしくお願いします。」
「あけましておめでとう今年もよろしくって、ちょっと聞いてよ!」
彼女、井出真弓は挨拶もそこそこに話しだした。
「しづちゃんは大晦日の日、速攻で帰っちゃったから知らないよね。なんと、靴出てきたの!どこからだと思う?」
瞬間的に自分に容疑がかかった靴盗難事件を思い出した。
彼女の仕事履きが無くなったのは12月半ば頃。気にはなっていたけれど、当人も新しい靴を買ったことだし気にしないようにしていた。
「どこにあったんですか?」
ジワジワと侵食するような不快感を出さないように、あえて大げさに目を見開く。
「それがさ、廃棄物まとめとく小屋あるじゃん?あの裏だって。大晦日に社員がその裏の掃除してたら出てきたらしくてさぁ。玄関のとこに《こんなとこに捨てないでください》って貼り紙と一緒に置かれてて。もうムカつくー!!私じゃなくてどっかのバカの仕業だってのに!!」
『ここ、ここ』と、少し低い靴箱の上を叩きながら一気にしゃべった。
その日から四日目だというのにまた思い出して腹を立てている。
「そうだったんですね。私、急いでてわき目も振らず帰っちゃったから気付きませんでした。」
一緒に階段を上りながらその日を思い出す。
正午まで仕事に出ていた紫づ花は、終業のチャイムとともに作業部屋を出た。
通常の日より半分くらいの人数とはいえ、人が多いのにロッカーが狭くて着替えも移動も困難だ。なおかつタイムカードを押す列に並ぶと更に時間をとられる。
新幹線は12時45分発。
一度家に寄って、着替えて荷物を積んで、ギリギリだ。
普段は人に先を譲って後でのんびり着替える紫づ花は、珍しく挨拶もそこそこに職場を飛び出した。
いつものキャリーバッグを抱えて新幹線に飛び乗り、自由席の空いている席にひとまず落ち着き一息ついた。
大晦日の下りはどこもかしこも混雑しているようだが、東京へ行く上りはそれほどでもない。
その新幹線の洗面所で、メイクを済ませ髪を整えて、仕事後のおばさんからデート前のおばさんへと変身した。
(いくら綺麗にお化粧できても、もう充分おばさんだもんね。)
鏡の中の三十路女が苦笑いする。
三つ歳上の叶多はトークの際によくおじさんと自称していたが、その言葉が胸に刺さるのと同時に自分の年齢を自覚しなくちゃいけないと、自分に言い聞かせていた。
たとえ、誰もが一回り歳下に見えると言ってくれるとしても、それに胡坐をかいちゃいけないと。
そして降り立った上野駅は、新年直前の華やかな雰囲気で出迎えてくれた。
癖で、思わず大きく空気を吸い込む。独特の匂いが記憶をよみがえらせて、懐かしさと戻らない時間の切なさに胸がキュッとする。
目指すのは中央改札。長いエスカレーターを二つ上り、新幹線の改札を出ればすぐに見える。
叶多は迎えに来ると言っていたが、もう来ているのだろうか。この人混みの中から一人を見つけるのは大変だ。
と思ったら、改札機の前に見覚えのあるサングラスとマフラーの人物が立っていた。
その姿を目にした瞬間、酸素がなくなった気がした。
ポケットに入れていた手を出し、こちらに振っている。サングラスのせいで視線がどこに行っているのかわからないが、その人物が誰なのかはすぐわかる。
(これで手を振り返したら実は後ろの人に振ってましたって、よくあるよね。)
つい不安になり後ろを振り返るが、それらしい人はいない。
改めて彼を見ると、上げた右手を所在無げにふらふらさせながら首を傾げている。
紫づ花は今度こそ、手を振った。
嬉しそうに手を振る彼は紫づ花を待っていてくれた人だ。
何度か繰り返したことだけど、そのたびに心臓が激しく打つ。
狭い改札機で一瞬キャリーが引っかかった。
「それ、こっちに。」
すると叶多が手を伸ばしてそれを受け取った。
そのままキャリーバッグを左手に持ち、改札を抜けた紫づ花に右手を差し出す。
「ようこそ。午前中仕事だったんだっけ。お疲れ様。」
「あ、こんにちわ。」
紫づ花は一瞬ためらいつつも差し出された手を両手で包み込むようにつかんだ。
叶多は苦笑いでその手を離す。
「いや、握手じゃなくてね。」
改めて手の角度を変えて、左手を取った。
「まず手をつなごう。」
「あ、そうか。」
照れて赤くなる紫づ花を見下ろす叶多の表情はいつものようにゆるい。
もはや懐かしく感じるゴシックデザインのキャリーバッグに、赤いレザーのショルダーバッグ。クリスマスデートの時にも見た、叶多のリングが光る。
黒のトレンチコートから黒いひらひらしたスカートが覗く。更に黒いタイツはいつも通りだ。そして帽子は、赤いチェックのテンガロンみたいなハット。今日はクールに決まっている。
「腹減った。何食べたい?」
「そうですね・・・。今日は年越しそばもあるので、軽いものがいいです。ところで、おそばはどのタイミングで食べますか?」
「そうね。いつでもいいんだけど、どうする?夕飯で食べに出る?混んでると思うけど。それとも出前か。」
人混みを避けて、脇のカフェの壁に寄る。
キャリーをそこに立たせて空いた左手を紫づ花の右側に回す。
すっぽりと両腕の間に収まった紫づ花は、落ち着きなくモジモジしたがそれでも逃げようとはしない。
「夕ご飯にしてもいいくらい私持ってきたので、茹でますよ。」
あまりの近さに目は泳いでしまっているが、ざわめきに負けないはっきりとした声が叶多に届く。
「え?持ってきたって何を?」
「おそばです。乾麺ですけど。あと、めんつゆ。あ、薬味はこちらで買おうと思ったので、ないですけど。」
これに入ってます、と傍らのキャリーバッグを指差した。
「え?マジで?そば作ってくれるの?」
喜んだ叶多が次の瞬間に渋い顔になった。
「あ、でもウチ、鍋がないや。ラーメン作るくらいの小さいのしか。」
そうですか、と紫づ花の顔が下向く。
そんな顔をさせたいわけではない。
しかも、せっかくの紫づ花の手料理のチャンス(そばを茹でるだけとは言え)を逃すのはもったいない。
「よし、薬味を買うついでに鍋も買ってこようか。そのほか、必要なものは言ってね。」
で、昼は何食べようか、と手を繋ぎ直し歩き出した。
「ようこそ、我が城へ。」
扉を開けた叶多が奥を示しながら紫づ花を招く。
玄関先で一度足を止めた紫づ花は、落ち着かないように見回した。
「大丈夫だって。ちゃんと掃除終わってるよ。」
心の中で(トモローがな)と付け加える。
紫づ花だっていつまでも玄関に立っているわけにいかないことはわかっている。
覚悟を決めて一歩を踏み出し、室内に入った。
白い壁紙にオレンジ色のダウンライト。奥の部屋に続くドア。
何度か叶多のブログで見かけた景色だ。
この先の風景を、このライトの下の生活を、想像するしか出来なかったのに、今、まさにそこにいる。
叶多は買い物してきた食材や鍋などをキッチンに置き、キャリーバッグを寝室に置き、まだ玄関に佇んでいるカノジョに笑った。
鼓動が激しくて息苦しい。
叶多の匂いがする。
香水と体臭の混ざった彼だけの匂い。
呼吸をしたらそんな匂いを感じて、ドキドキして更に酸欠だ。
その時、紫づ花の冷静スイッチが入った。
叶多が持って行ったキャリーバッグの後を追い、その中から乾麺と麺つゆを取り出す。
スマホを取り出したショルダーバッグをそのカートの上に置くと、キッチンに向かう。
「お鍋、ありがとうございました。」
深型フライパンと、両手鍋を袋から取り出すのを見て、叶多がカバーを外す。
「いやいや、やっぱあった方がいいからね。これから紫づ花が来てくれた時になんか作ってもらえるかもしれないし。」
「あんまり期待しないでくださいね。簡単なものしかまだ作れないので。」
謙遜しながら包丁の箱を開ける。
「あとこれね、ホットサンドメーカー。明日は餅だし明後日の朝食が楽しみだ。」
嬉しそうに買ったばかりのホットサンドメーカーをひっくり返している。
初めて会った次の日に、初めて二人で食べたものだ。それ以来、どうやらハマってるらしい。
叶多はホットサンドメーカーで半分顔を隠して紫づ花を見た。
今日の昼食は、通りかかったカフェのウィンドウを覗いた紫づ花がオムライスが食べたいと言ったので、そのままそのカフェに入った。
ランチタイム内とはいえ、時間が少し遅いためか客はカウンターに一人、テーブルに二人。
店員が案内してくれたのは窓際のテーブル席だったが、店内を見回した紫づ花はカウンターを希望した。
二人で並んで腰掛け、オムライスとナポリタンを注文する。
店内が暖かいと言ってコートを脱いだ下から白黒ボーダーのセーターが現れる。
そして叶多は赤黒ボーダーのセーター。
ペアルックみたいになってしまったことに、紫づ花が盛大に照れる。
他愛ない話をしてる時に、ドアのカウベルが鳴り新たな客の来店を告げた。
「遅くなってごめんね〜。よかった窓際にいてくれて。二人が見えなかったら通り過ぎるところだったよ。」
あとから来た一人が少し興奮気味に喋るのが、聞く気がなくても耳に入る。
『この店初めてだっけ?』などの背後のやり取りが、ふと何かに引っかかった。
そういえば、紫づ花と店に入ると、必ず紫づ花が奥に座る。
いつも叶多の一歩後ろを手を引かれて歩いてるのに、こういう店で席を決めるときはスッと前に出て、こちらを向いて座る。
いつも壁を背にして、出入り口や窓の方を向いている。
ずっとそれが好きなんだと思っていた。人を眺めるのが好きなんだと。
しかし逆に考えると・・・
紫づ花の向かいに座る叶多は、窓や出入り口に背中を向けることになる。
必然的に外の景色は人がたくさん通っていたり、不意に人が入ってきたり。それにいつも背を向けていた。
そういえば電車に乗ったり歩いていたり、はたまた一人や友達とどこかの店に入る時、自分がどちらに向くかなんて気にしない。そこでファンに見つかりサインや握手を求められたりもする。それはとてもありがたいことで、快く応じるけれど時々鬱陶しいこともある。
そして今のようにカノジョといる時は、絶対に見つかりたくない。
それなりに顔が知られている叶多が、人がたくさんいる方に顔を向けていれば見つかる可能性は高いわけで・・・
封を開けたフライパンや食器類を洗う白黒の背中を見る。
ずっと守られていたのだろうか。
初めてカフェに入った時も、バーに入った時も、クリスマスデートの時も。
「あ、叶多さん?それも洗うので、ください。」
振り返り、泡だらけの左手を差し出す。
その手にホットサンドメーカーを手渡す。
さり気なさの中に見え隠れする気遣いが優しい。
ベランダから差し込む夕日の残滓が一日の終わり、更には一年の終わりを知らせる。
「紫づ花、何飲む?」
さすがにそれはあった、卓上ポットに水を入れてスイッチを入れた。
「何があるんですか?」
叶多の手元の小さなかごの中を覗き込む。
無意識で無防備な紫づ花の距離は近い。
これにする、と手にしたロイヤルミルクティーの素を受け取って、マグカップにあける。
「これは紫づ花専用だからね。この間雑貨屋で見つけたんだ。」
そして、どさくさ紛れに買ったペアのもうひとつに自分の分のコーヒーの粉を入れる。
さり気なく、自然に、並んでキッチンに立っているのが、何だかくすぐったい。
ピンクの花模様と水色の花模様でお揃いになっているカップに、またもや照れる。
あっという間に暗くなってきた室内ではよく紫づ花の顔が見えない。
そんな自分の感想に、叶多は一人で苦笑いをしていた。
「もう、日が暮れますね。」
淹れたコーヒーを両手に持ってリビングに向かう。その後をついて来た紫づ花がそのまま窓辺に立った。
集合住宅の向こうに沈む夕日に目を細める。
この聡明な頭の中では何を考えてるんだろう。ふとそんな疑問が湧いた。
「何考えてるの?」
コーヒーをリビングのテーブルに置いて、窓を開けてベランダに出る。
冬の冷たい空気に体がキュッと締まる気がする。
一緒に外に出ようとして、しかし履物がないことに気付いた彼女はそこで足踏みした。
叶多が笑って、サンダルの片足を脱いで渡す。
はにかむように笑って、その片足サンダルを引っ掛けて、ケンケンと軽くジャンプをしながらベランダの手すりに掴まった。
ふーっと大きく吐かれた息はわずかに白くなりすぐに消える。
大通りからは少し入っているので、車の音はわずかに聞こえるくらいだ。
太陽の消えた、紫に染まる空を見ながら微笑みを浮かべている。
「寒くない?」
上着を着ずに外に出てしまったので外気が突き刺さる。
紫づ花の腰に手を回して引き寄せると、一瞬驚いたように振り向き、恥ずかしそうに目を伏せた。
「暖かいくらいですよ。これなら。」
確かに1週間前のクリスマスの日に体験した彼女の地元の寒さは、口からもっと濃い霧が発生していた。
「なんだか、信じられないんです。」
紫づ花が夕闇に変わる空の下、ポツリとつぶやく。
『ん?』と叶多がその顔を覗き込むと、やはり照れて目を伏せた。
「去年の今頃はこんな現実全然思いもよらなくて、午前中は仕事して帰って、サービス業の母は毎年いないので私が簡単におせちと夕ごはんの用意して、ダラダラテレビ観ながら年越しそば食べて、次の日から何もすることがなく三日間のお休みを消化する、なんて、ほんとにつまらない年越しでした。」
そこで一つ大きく息をつく。
「でも今日は、午前中仕事して慌てて帰って、新幹線に飛び乗ってこんなふうに叶多さんの部屋から見たこともない景色を見てるなんて、なんだか、信じられなくて・・・」
「確かにね。」
スリっとおでこの辺りを紫づ花の頭に乗せる。
「俺も、今年は紫づ花がこの部屋にいる妄想で今までいたけど、叶えられてほんとに嬉しいよ。ほら、俺の名前、多く叶うだから。」
見上げてふわりと笑う。
「多く、叶ってきました?」
その吐息のような声が心臓をつかむ。
「どうだろうね。叶ったことももちろんあるけど、だいたいそういうのってスタートじゃん?叶えることが目的じゃなくて叶えた先にゴールがあるっていうか・・・」
うまく言葉がまとまらなくて頭を掻く叶多を、紫づ花が見上げている。
小さな口が開く。
「最初はプロになることが夢で、そこを目指しているけれど、実際その場所に立つと、その道のはるか向こうにゴールがあることに気づくんですよね。まだスタート地点に立てただけなんだって。」
丁寧に紡がれる言葉が叶多の絡まった思考の糸を導く。
「スタート地点に立ったら、今度はもっと良い仕事がしたい、いい仕事が出来るようになりたい、もっとうまくなりたい、強くなりたい、そんな感じで、永遠にゴールは遠くなっていく。でも、表現者はそういうお仕事ですもんね。すごいと思います。」
暖かく心に満ちる言葉。
しかしその言葉を発した本人の表情は浮かなかった。
「私は、たくさん夢を追いかけて結局何者にもなれなくて、現実に居場所がなくていつも現実逃避してました。ファウを知ったのも、その延長。」
―現実を忘れさせてくれる音楽が欲しかったんです。
その小さな声は白い塊になって空気に溶けた。
今年最後の太陽の残り香が建物の影に消え、星が瞬きだしていた。
普段は柔らかく微笑んでいて、常に明るく優しい人がこぼす、弱さ。
叶多はそれをひとつも取りこぼさないように、腰に回した腕に力を入れた。
支えられて、紫づ花が勇気を受け取る。
「最初は漫画家になりたかった。でも投稿する作品を仕上げてくうちにセンスが欠落していることに気づきました。そんなのは続けられない言い訳だと言われそうだけど、私には漫画を描くためのセンスが技術以前になくて、それはやはり出版社の評価にも書かれていて、結局友達に見せるくらいのものにしかならなかった。」
紫づ花が作っていたストーリー漫画には起承転結があってコマ割りがあって、さらに見開きで見た時のバランスとかページの中のセリフの量とか、絵以外の要素にセンスが必要だった。
何も考えなくてもパッと画面が作れる人はいる。少し迷っても考えれば効果的な画面を作れる人がいる。しかし紫づ花は、どんなに悩んで描き直して考えても“面白くない”画面しか作れなかった。
その次に夢見たのは、アニメソングの歌手。
人前に出るのが苦手で、でも歌うことが好きな紫づ花は地元で行われるネットアニメのオーディションを見つけ、応募した。
そこで書類もオーディションも受かり、事務所に所属する書類も全て提出して、それから全く連絡がなかった。
放送開始予定の時期が来ても一向に連絡もなく、何度目かに電話をかけた時に、電話番号が使われなくなっていた。
「でもその事務所、入所費も取らなかったんですよ。だから潰れたんじゃないかと思うんですけどね。」
それでも擁護するようなことを言うのは、詐欺ではないと思うから。
当時はまだネットが今ほど普及してなくて、アニメも下火になっていた頃。そんな時代に、うまく乗れなかった。
「でもそれで不完全燃焼で気持ち悪くて再び受けたオーディションで入った声優の養成所で、静紅ちゃんに出会いました。」
中学と高校で演劇をやっていたので、演技をしたくなって。
でも、それもまた楽しかったけど通うのが大変で2年で辞めちゃったんですけど、と自嘲的に笑う。
月に3回、日曜に新幹線で通うのは、働いていてもかなり負担が大きかった。それでも、その頃働いていた映画館の宣伝として地元ラジオ局に出演していたので、役にはたった。
その次に、どうしても物語を作ることは止められなくて小説家を目指した。
それは一度投稿して二次選考で落ちてしまったけど、静紅が喜んでくれるならまだ書き続けていたいと思って、まだ続けている。
「ずっといろんな夢を見てきたんだね。」
叶多が微笑む。
それを移り気とは思わない。諦めることを逃げだとも思わない。
夢は願えば叶う。
そんなことあるわけがない。
夢を叶えるためには努力や根性だけでは足りない。それなりの代償と犠牲が必要だ。
そして、現実を見ないためにも理性も捨てる。
そうしてようやく“夢が叶うまで諦めない”道が生まれる。
頑張るから叶うんじゃない。叶うまで諦めないだけだ。その間誰にどんな犠牲を強いていたとしても、それに気付いたら折れてしまうから、ひたすら前だけを見続ける。
そして成功した一部の人間だけが、“夢は叶えるもの”と言う。
だからと言って、挫折した人を蔑むような権利など誰にもありはしない。
夢は叶わない。叶ったところでそれは現実になるのだから、すでに夢じゃない。
夢は永遠に夢で、常に変わり続けるものだと思っている。
叶多が意識を過去の自分に飛ばしている時、腕から紫づ花の震えを感じた。
寒いんじゃない。悟った彼がそっと見下ろす。
紫づ花は手で顔を覆っていた。
「紫づ花?」
そっともう片方の腕も回し、しっかり抱きしめる。
泣いている女は苦手だった。
涙で責める女は嫌いだった。
どうしていいかわからずオロオロして、不機嫌になるのが自分でも嫌だった。
でも今は違う。
自分が支えなければいけないと、心の奥底からこみ上げる感情。
これをなんて言うのかわからない。ただ、紫づ花の涙は誰にも渡したくない。紫づ花が泣く時には常にそばにいたい。そう思う。
小さい声が胸元から聞こえた。
「す、すみませ・・・なんか、泣いてばかりで・・・こんなつもりじゃないのに・・・」
わかっている、と抱きしめる腕に力を込める。
残念ながらこんな時に気が利いた言葉は出てこない。考えた末、過去に演じたキザなキャラのセリフを思い出した。
「いいんだよ。カノジョを泣かせてあげられない男なんて、男じゃないんだ。この胸は紫づ花のためにあるんだよ。」
たしかこんなニュアンスだったはずだ。しかし、少しキャラに引きずられただろうか、声がわずかに違う。
紫づ花がブルブルッと震えた。
「だ、だから、ずるいです、こんな時にイケボなんて。」
その声には笑いも含まれていた。
そっと体を離す力を感じて腕の力を弛める。
すっかり暗くなった空と電気をつけていない部屋の闇で、紫づ花の顔は薄ぼんやりとしか見えない。けれど、微笑んでいるように見える。
遠くから、五時を知らせる夕やけこやけが聞こえてきた。
「家の方も五時の防災無線、夕やけこやけですよ。周りの山に木霊して更に遠くからも聞こえて何重にも響いて、うるさいくらい。」
そして叶多の手を取った。
「中入りましょう?寒くなってきました。」
自然と叶多の頬が緩む。
「そうだね。暖め合おうか?」
「へっ!?いえ、大丈夫です!エアコンつけましょう!!」
テレ屋な紫づ花が素っ頓狂な声を上げる。見えなくても顔が真っ赤になっているだろうことは想像できる。
タイムリミットは2日の昼まで。それまでこの大切な人の苦しみを少しでも共有できたらいい。
二人を優しいコーヒーの香りが包んだ。
いかがでしたでしょうか。
まだこんなところかよという激しいツッコミが聞こえるようです (´•ω•`;)
じわりじわりと気持ちを寄せていくいい歳した二人をもう少し見守ってください。
なかなか静紅も出してあげられない(泣)
そろそろ静紅メインの話も書ける頃かなぁと思っていますが、まずは叶多と紫づ花を有る程度まとめてからですね。
それではまたお会いできますように。




