2章―4
はじめましてさんも二度目以上ましてさんもこんにちわ
神尾瀬 紫です。
2か月ぶりの投稿となってしまいました。
新キャラとかどんどん増えていますが、うっかり忘れそうです(笑)
楽しんでいただければ、幸いです。
12月、一際寒い朝。
TVの天気予報では毎日のように、この冬一番の冷え込みだと繰り返す。
紫づ花は玄関を出たところで1つ息を吐いた。
車はすでにエンジンをかけてあって白い呼吸をしている。しかしそのフロントを見た彼女は口許を歪めた。
「う~ん?これは、運転できるか?」
まだ霜が溶けきっていないフロントガラスに、思わず独り言が漏れる。その言葉は白く大気に溶けた。
乗ってみてワイパーを動かすと、かろうじて真ん中の視界は確保されている。
フロントが溶けきらなかったときの最終手段は、ぬるいお湯をかけること。しかし今からお湯を用意するのは時間がない。これで行こうと決める。
諦めた紫づ花が、オーディオのスイッチを入れてギアをドライブに入れた。
通勤時間は短い。その間にF.a.U GARDENの歌でテンションを上げる。
気が重い。それは仕方がない。でも働かなければならない。
相変わらず天候や気温で腰の調子も左右される。だが天気が良くても暖かくても腰は痛いときはあるし、寒くても天気が悪くても平気なときもある。要するに、予想がつかないと言うことだ。
今朝は少し調子がいい。でも夕方はどうだろう。
毎朝毎朝そんなことを体と相談しながら動くことに、正直うんざりしている。
本屋に行ってもスーパーで買い物をしていても、家事をしているときも遊んでいるときも、常に腰の機嫌を窺って休みながら動かざるを得ない。
静紅と遊んでいるときもそうだ。彼女はわかってくれているので、少し休憩したいと言うと付き合ってくれるし、常に大丈夫か確認してくれる。とても、ありがたい。
けれど実は叶多には腰痛の事を言えないでいた。
かっこわるい。まだ30代で腰痛とか、情けなさすぎる。そして、呆れて嫌われてしまうのを恐れている。
今まではあまり会えなかったのでボロも出なかったが、今度のクリスマスに会うとかいうのは、かなり不安だ。
紫づ花にとって不安なのはそれだけではない。いくら今まで男気がなかったとはいえこの歳まで生きてきた。クリスマスにカップルが会うなら何が前提かなんてわかっている。
経験不足は否めない。あまりにも男性と関わらずここまで来てしまった。世間的にはもはや熟女に分類される頃なのに、紫づ花のナカはワカい。
オトコはハジメテを求めると聞いたことはある。だが恋多き声優と異名を持つ彼が、はたしてそれを喜んでくれるのか。つまらないと感じられるんじゃないか。
不安は様々あるけれど、一番先に頭に浮かぶのはそれだった。
「おはようゴザイマス。」
飛鳥の車が隣に停まり、出て来るのを待って声をかける。
待ち合わせをしているわけではないが、リズムが同じらしく、駐車場で行き合うことは多かった。
「おはようございます。もう、寒くてたまんないですね。」
マフラーに顔を埋めて冷たい風をやり過ごしている。
「今日もフロントびっしりだったよ。なかなか溶けなくてね~。」
他愛のない気候の話をしながら、そういえばジャーニー事務所のグループがコラボったCM見た?等と、飛鳥の好きなアイドルの話を振ってみたりする。
彼女は仕事内容が違うため、お昼の休憩が同じになるかどうかわからない。だから朝の作業室に入るまでの短い時間が話せるタイミングだ。
「そういえば、冬アニメに廣崎叶多さんが出るのありました?」
突然飛び出したその名前に、心臓が跳び跳ねる。しかし異常に顔が赤くなるのを隠すために、わざと冷たい指先に息を吐くポーズで口回りを覆った。
「あ、うん、一個あったかな。短いギャグアニメと逆ハーレムの乙女アニメ。でもギャグの方は東京ローカルだから観られないんだよね。」
もちろんこの情報は先月には教えてもらっている。観てね、と言われているが電波が入らないのはどうしようもない。
わずかでも、こんな何気なく好きなことの話が出来る相手がいる。
それだけで紫づ花の心は少し軽くなっていた。
「おはよーございまーす。」
気だるげに扉を開けながら言い放つ。誰がいるかなんて確認しない。誰がいても挨拶をすることに変わりはないからだ。声優の中には、好きじゃない相手や新人に対してぞんざいに扱う人がいることは知っているが、それも人それぞれだから叶多がどうこう言うつもりはない。しかしたとえ形だけだとしても声をかけることが重要だと、紫づ花との少ない会話の中で学んだ。
そのまま人の顔など見ずに空いているスペースに荷物を下ろし、スマホの電源を切る。
空気を読むと言っても、実際に空気に色だの文字だのが現れているわけではない。誰の視線も意識しなければ気配を感じることなど不可能だ。
だからその人物が近付いてきたのも、周りの反応がサワサワと意味ありげだったのにも全く気付かなかった。
「オハヨーゴザイマス。廣崎さん。」
それでもその声が纏ったトゲにはすぐに気がついた。
顔を上げる。
「あら。おはよー。ひさしぶり。」
それは2か月前に別れた元カノ。未だに叶多との噂が消えない星崎るりだった。
本人の顔が可愛らしくて役も可愛い声のキャラが多いので、常に可愛い声でしゃべっていると思われがちだが、実は地声が低い。
発声としゃべり方で、仕事と素は全然違う声を出す声優は多いが、その典型だ。
るりはその可愛らしい顔を見事に嫌そうに歪めた。
「別れたってこと、はっきりしてくれない?未だに廣崎さんと付き合ってるって思ってる人多くてウザいんだけど。」
声を潜めるでもなく聞こえよとばかりに放った言葉に、聞き耳を立てていた周囲がざわついた。
『別れてたの?』と言う驚きと、『別れてたんだ』と言う確認と、『付き合ってたの?』と言う衝撃が混ざったざわめきだ。
少し薄めの唇をへの字に曲げて、るりが視線を自らの背後へやる。
売れっ子とはいえまだ2年目の彼女には、大きな態度に出られる地盤はない。なので不快に思ってもそれを面と向かって訴えられない。先輩達に対してそんな態度はとれない。
しかし、自分の年齢とほぼ同じ長さをこの世界でやって来た叶多は、大先輩であると同時に元カレだ。別れたからと言ってすぐに雲の上の人になることはない。
それにこれだけははっきりしておかなければならないことがある。
はっきり言って、プライベートをそれほど仲が良いわけではない人たちに曝すのは嫌だ。だが、誰が自分達の関係を知っているかわからない以上、一人一人に話していては埒が開かない。
叶多は相変わらず、悪気の無さそうなキョトンとした顔をして、これがつい可愛いと感じてしまう。これに騙されてうっかり信じると痛い目にあうのに。
るりがキュッとピンク色のセーターの裾を握った。
「嫌がらせを受けてるの。廣崎さんのファンから。事務所には“別れろ”とか“殺すぞ”とか物騒なメールや手紙が結構来てて、警察に届けるか検討してるとこ。一応私の住所はばれてないみたいだから事務所に集中してるけど、すっごい迷惑。」
「・・・あ、あぁ~。」
叶多は、微妙な反応をした。
やっぱりな、と。
とかくファンは、テレビの向こうの相手に夢を見たがる。もちろんその夢を売るのがこちらの仕事だが、特に声優の場合その傾向が激しい。
顔出しをして『幻滅した』的な手紙が届くのなんて日常茶飯事だ。それでもファウで歌い始めてからは、この顔に納得してくれるようになったのか、その手の意見はあまり届かなくなってきた。だが、やはり『顔は好きじゃないけど歌は好きです』とか言われるとショックだ。
そんな彼にも、実は『るりたんに近付くな』と言うような手紙が届いていた。
ただその手紙が叶多の元に届き始めた頃には、すでに別れていて紫づ花にアタックしていたので放っておいたのだ。
これ以上るりとの情報が流れなければ、忘れられるだろうと見越して。
「俺の方にはもう来てないみたいだけど、そっちには来てるの?」
「ふざけないで。それだけじゃなく、『幻滅した』とか言われて、ファンをやめるとか言われてるの。」
「それならいいじゃん。ファンが離れるのは止められないし、付いて来てくれる人を大事にしろよ。」
それは正論かもしれない。しかしるりはキッと睨んだ。
「簡単に言わないで。廣崎さんはキャリアがあってファンも何万人もいるかもしれない。でも私はまだ始めたばかりで、廣崎さんに比べたら圧倒的にファンの数も少ないのに、こんなスキャンダルじみたことでファンが離れるのはすごく痛手なの。それなのに更に廣崎さんのファンにまで睨まれて嫌がらせまでされて、もううんざり。どうにかしてよ!」
その叫びは、叶多の20年前を思い出させた。
まだ売れなくて仕事がなくて、トモローとルームシェアしながらバイトで食い繋いでいたとき、確かにファンだと言ってくれる一人一人が大切だった。
もちろん今だって大切なのは変わらないが、文字通り桁が違っている。
10人のファンから1人いなくなるのは辛いけど、100人のファンから10人いなくなっても、仕方ないと諦めてしまえるということだ。
たくさん仕事をしてもっともっと有名になってやる。そう拳を握る若い自分が見上げている。
「うん。そうだな。」
理解して頷いても、すぐに妙案は浮かばない。
元々がデート現場を撮られてネットに流されてバレたので、有名タレントの様に公表していたわけではない。
公表していなかったことを否定出来るだろうか。
どう考えてもおかしなことになる。
それと同時に、今のカノジョである紫づ花がそんな嫌がらせの対象になったらかわいそうだと気付く。
絶対バレないようにしようと心に誓った。
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家族着信の着メロが、弟からの電話を知らせた。
「はい?どうしたの?珍しい。」
思わずそんな言葉が出るのは、弟の声を聞くのが夏以来だからだ。
チャトルではやり取りしてるけど、電話は珍しい。
『うん。別に用ってこともないんだけど。』
電話越しに少しはにかんだ声。
紫づ花のたった一人の弟、敦志は、大学から家を出てそのまま県外の会社に就職し、家庭を持っている。
大手企業本社勤務で美人な奥さんとかわいい息子と娘。
はたから見れば典型的な成功者だ。
よく、弟の方が先に結婚してることを知ると他人は“先にいかれちゃったね”みたいな同情的な反応をして来るが、紫づ花にとってはそれは当然の事で、なんの感想も抱かない。高校生くらいの頃から『敦志の方が先に結婚するよ』と宣言していたくらいだ。
「どう?みんな元気?」
そして紫づ花にとっては弟だけでなく、その嫁も甥も姪も自慢だった。
『うん。元気だよ。麻衣が子供たちを風呂に入れてるんだけどさ。』
しばらく、最近の家庭の様子に耳を傾ける。
親が穏やかで、まず喧嘩も言い争いもしない家庭で育った姉弟も、やはり穏やかで子供の頃以来喧嘩などはしていない。
仲が良いのか、興味がないのか。
離れて暮らしてもう15年にもなると、当時の自分の気持ちが思い出せない。
敦志はもう立派に夫で父になっている。
家庭の中で何かあったとしても、向こうが言ってこないかぎり、こちらからは聞かない。それが紫づ花のスタイルだ。
だからぶつかる事もなければ、みんなが知ってる事も知らなかったりする。
『ところでさ、姉ちゃん誰か捕まえた?』
心臓が止まりそうになる。
弟夫婦は、紫づ花がシングルであることを少しは心配しているらしい。時々確認してくる。
電話だと顔が見えないことを幸いに、紫づ花はかなり悩んでいる表情で、しかし何でもないようないつもの声を出した。
「それね~、今の私の生活で誰かと出会えるわけないじゃない。ほとんど女ばっかの職場なんだよ?ちょっといいなと思った人は結婚していて子供もいたし。」
叶多の顔が脳裏に浮かぶ。
大好きな人なのに、まだ誰にも話せていないことが針のように胸に刺さる。
隠したい訳じゃない。
本当は大きな声で宣言したい。
自分のカレはこんなにカッコイイ人なんだと。
歌を聞かせてライブ映像を見せて、どんな人か知ってもらいたいのに。
しかし、紫づ花の自虐思考が言葉を飲み込ませる。
飽きられて、捨てられたらどうするの。
誰にも言わなければ自分が傷付くだけでいい。
でも誰かに言ってしまったら、その人の中に“紫づ花のカレシ”という痕跡が残る。紫づ花が振られたという記憶も残る。
敦志からの電話を切ってからも、自虐めいた言い訳が胸のうちを渦巻いていた。
そろそろお風呂入らなくちゃ。
重い腰をあげる。
その時今度は家族以外の着メロが響いた。
こんな時間に電話を寄越す人に心当たりはない。
怪訝な表情でスマホの画面を見て・・・
思わず落としそうになった。
呼吸が止まる。今度こそ。
この通話ボタンを押せば、カレの声が聞ける。
本物の、自分のためだけの言葉が聞ける。
しかし同時に悪い予感も頭をもたげている。
こんな時間に突然電話してくるなんて、もしかして・・・
それを振りきるように、大きくひとつ深呼吸をすると、通話ボタンを押した。
「・・・モシモシ。」
『あ、よかった、紫づ花ちゃん。まだ寝てなかった?』
耳から流れ込む優しい声が、紫づ花の緊張をほぐす。
「まだですよ。お風呂入る準備してました。」
そう紫づ花が答えると、小さな声で『お風呂・・・』と呟くのが聞こえた。
「どうかしましたか?」
それが気になって訊ねる。しかし叶多は
『何でもないよ。』
と、妙にひっくり返った声を出した後、思いきり咳払いをした。
『あ、いや、えっと、特に用事はなかったんだけど、もうそろそろ紫づ花ちゃんが寝る時間かなぁと思って。おやすみを言いたかったんだ。』
鼓動が高鳴る。
好きな人が自分のことを考えていてくれたのが、この上なく嬉しい。
心臓が暴れだして呼吸が出来ない。
「あ、ありがとうございます。」
やっとこ絞り出した声は情けないほど掠れていた。
電話の向こうで叶多が軽い笑い声を立てる。
きっと大好きな笑顔をしてる。
見たいなと思う。あの笑顔はいつも自分を癒してくれるから、いつでも見ていたい。
叶多が囁くように喋る。
『本当はね、ちゃんと話したいんだけど、明日も仕事でしょ?だから、挨拶だけで我慢するよ。それでも大好きな人の声を一日の最後に聞けるのはすごく幸せだからさ。』
そんなことを言われたら勘違いしてしまう。
ただのリップサービスでも嬉しい。
きっと自分が思うほど相手は思ってくれていないんだろうけど。
今までおいていかれるばかりだった紫づ花のトラウマは、簡単に相手の好意を信じられなくなっている。
どんなに自分を一番だって言ってくれていても、すぐにその言葉は嘘になる。
刹那よぎる過去の幻影。
傷口が開き、また血が溢れてくる。
彼の人が開けた大きな穴は、叶多の存在で塞がったと思っていたけれど。
忘れられない訳じゃない。ただ、残っているだけ。
叶多に対する気持ちの方が明らかに大きいのに、あの記憶が紫づ花を臆病にしている。
どんなに気持ちが変わらないと思っていても、絶対に変わるものだ。
今の叶多の言葉がどんなに本気でも、未来はわからない。
長く気持ちを維持する紫づ花にとって、変わらないと感じた気持ちはずっと残るのに、相手の気持ちはどんどん変わっていって・・・
いつもおいていかれる。
友達だっていつまでも紫づ花のことを覚えていてくれたりはしない。
ましてや男の気持ちなんていつまで自分に向いているか・・・
それが紫づ花が恋愛に奥手な理由。
自分が愛されることを信じられないから、いつまでも叶多の事を紹介できない。
こんなに好きなのに。
笑顔を見たら幸せで、声を聞いたら嬉しくて、歌を聞いて元気になれるけど。
「・・・ありがとうございます。おやすみなさい。」
壁に貼ってあるF.a.U GARDENのポストカードに指を這わせる。
『うん。おやすみ。』
優しい声を耳に残して、紫づ花は電話を切った。
緩んだ笑顔で叶多も通話を切る。
これから風呂に入ると言う。
思わずその姿を想像してニヤける。
以前握った手はすべらかで気持ちがよかった。
実年齢よりも若く見える顔もツルツルだし、きっと服の下の肌も・・・
「悪かったな。一日の最後に聞くのが俺の声で。」
トモローの声で妄想が中断された。
床に座ったままファッション雑誌を開いている。いつものくつろいだ姿勢だ。
「まったくだ。気を利かせて黙ってろよ。」
「ふざけんな。さっきからいるじゃねぇか。そっちが勝手に電話しておいて。」
そして、『一日の最後に大好きな人の声が聴きたかったんだ。』と叶多のモノマネをする。しかし似てはいない。
叶多が愛用のビーズクッションに腰を埋め、手元にあった小さいクッションを投げつける。今日突然トモローが持ち込んだかなり軽量なおもちゃのようなそれは、空気抵抗にあえなく落下した。
トモローがそれを拾い上げて、ムニムニと揉む。
表面にプリントされた叶多が演じた役のちびキャラが、ムニムニと表情を変えた。
「それにしても、お前、結構頑張ってるじゃん。」
その親友の言葉に、目だけで疑問を投げる。
今度はトモローが玩んでいたクッションを叶多に投げた。
弱々しくも、叶多の手元に届く。
「会いたくてもすぐに会えない遠恋なんて恋愛じゃねぇって言ってなかったっけ?」
『まぁな』と気のない返事をしながら、クッションをバシバシと叩く。
会いたい時にすぐに会える。ヤりたいときに会える女性。それが叶多の恋愛対象だ。年齢や外見ももちろん重要だが、まず会えない女はオンナじゃなかった。
「まだ手も繋げてないんだろ?」
「バカ言えそんなわけナイだろ。肩ぐらい抱いたわ。」
強がって答えて、それは人混みを抜けるためのどさくさ紛れだと苦笑いする。
それがなかったら、手を繋ぐくらいしか出来ていないだろう。
我ながらビックリするくらい進展していない。けれど、それが心地いいことが更にビックリだ。
紫づ花との関係を進展させたくない訳じゃない。当然いつでも会いたいし触れたいし、あわよくばもっと深く関わりたい。自分の欲望をねじ込みたい。
けれど同時に、自分の欲よりもカノジョの気持ちを優先して我慢できる自分を誇らしいと思う。
来年不惑を迎える叶多に、二十代の頃のようなガッツいた性欲はない。でも枯れてるわけでもないので、それなりにしたくはなる。
だから遠距離恋愛なんて対象外だったのに。
スマホの壁紙に目を落とす。
紫づ花がはにかんだ笑顔を見せている。
それを見て込み上げるのは、グツグツと煮えたぎるマグマのような突き上げる衝動ではなく、延々と寄せては返す凪いだ波。
激しく貪るより、優しく抱き締めたい。
もちろん抱き締めたら、その先を求めたくなるのはオトコの性だとしても。
それでもなにより紫づ花を傷付けたくないと思っている。
無意識に穏やかな表情になる叶多を、長年の戦友が苦笑いしながら見ていた。
「で?クリスマスイブのデートはどうすんのよ。日帰り?」
『そんなわけないよな』と言外に匂わせる。
叶多が決まり悪そうな困った表情になった。
「紫づ花ちゃんの地元の観光地のホテルで、クリスマスディナープランってのがちょうどキャンセル出てさ。」
「すげぇじゃん。よかったな。」
「うん・・・。まぁ結構高級ホテルでかなり豪華で本格的なフレンチで、俺的にすでに圧倒されてるんだけどそれよりもさ。」
普段はもっぱら居酒屋の男が鼻の脇を掻く。
「部屋がダブルしかなくてさ。」
「あ、あぁ~。」
友人の珍しい表情の意味を知ったトモローが同情的に頷いた。
「あからさまだな、部屋にダブルベッドは。」
「紫づ花ちゃんが絶対警戒するから、せめてツインにしたかったんだけど。」
ただでさえ恥ずかしがりやのカノジョが、一緒に泊まってくれるかも怪しいのに。
悲しいかな嬉しそうに微笑む彼女より、真っ赤になって逃げる彼女の方しか想像出来ない。
「でもさ、クリスマスディナープランなんてカップルのために企画されてんじゃん。普通ならダブルの方がありがたいんだけどねぇ。」
今までにない困り方をしている叶多がおかしくて、笑いをこらえるのが苦しい。
その笑いの理由がわかっている叶多が、更に苦い顔になる。
「俺だってまさかこんなオイシイ状況でこんな困り方するとは思わなかったわ。」
一晩大好きな人と一緒にいられる。
それはとても嬉しいことだけど、同じ部屋にいてその存在を感じて、まさか何もしないなんて選択肢はあり得ない。
と言うか、そこまで聖人君子ではない自覚がある。
もうすでに2ヶ月我慢しているのだ。紫づ花への気持ちは膨らみ続けていつ破裂してもおかしくない風船のようなのに。
それを我慢した方がいいんだろうと考える自分が、一番違和感がある。
トモローがテーブルに頬杖をついて、こちらを見ていた。
「その、カノジョは地元だから帰ろうと思えば家に帰れるんだな?」
「まぁな。明日また迎えに来ますとか言われる予想が簡単に出来る。」
それでも。
「なんとか、泊まってもらえないか、頑張ってみるさ。」
叶多の寂しげな笑顔が痛い。
そこまでして繋ぎ止めたいほどイイオンナなのか。
比較的恋愛経験豊富なこの男がここまでのめり込んでいるのに、叶多の話からはカノジョの気持ちが見えない。
未だ会ったことのない友人のカノジョは、本当に叶多を好きなんだろうか。
そんな疑念が渦巻いていた。
いかがでしたでしょうか?
前回投稿してから、実はリアルで転職しまして、それがまた難しい仕事でいっぱいいっぱいになってる間にもう春ですよ!
気付けばこの話を書き始めて一年になるんですが、時間としては2ヶ月分しか進んでいません。
遅々として進んでいませんが、生暖かく時々思い出していただけると嬉しいです。
ありがとうございました。
また近いうちにお目にかかれるようにがんばります。




