1 拾得物
足もとで泥が撥ねたが気にしている暇などは、無い。
奴隷商の輸送車から逃げ出して一週間くらいたっただろうか。
それから毎日奴隷商に追われる。
後ろから奴隷商の奴らよく分からないチンピラが追ってくる。
声の数からして少なくとも30人は超えてる。奴隷商の奴らの目的は分かるが何故私は見ず知らずのチンピラにまで追いかけられているのだろうか。その頭の悪そうな叫びを聞いてみると、どうやら私はそのチンピラ達の幹部を殺してしまったらしい。らしい、というのもいちいち自分の殺した相手や数なんて覚えてなどいない。
走り続けてかれこれ十分くらいだろうか、未だに奴らは追ってくる。
先ほど銃で撃たれた腹部がジクジクと痛む。当たり所が悪かったらしく血が止まる気配がなかった。流れ出る血のせいで奴らに跡を追われていると分かっていても、血は止まらないし、足を止めるわけにはいかない。
奴隷商につかまればまた貴族のところへ売られる。
チンピラにつかまれば殺されるだろう。
「はぁっはぁっうぅ、くっ…。」
「おいっそっち行ったぞ!」
「絶対に捕まえろ!今回のクライアントは5000万出すそうだ!!この機を逃すわけにはいかねぇぞっ」
「あの化けモン、絶対ぶっ殺してやる!」
「兄貴の敵!バラバラにしてやらぁ!」
もうこれ以上は体力が保たない。逃げ続けても追っ手は増えていくだけだ。慣れた地下街を走り抜ける。僅かに残る冷静な部分で大きめの廃れた広場へ後ろの奴らを誘導する。失敗したら終わりだ。
走る、走る、走る。
狭かった裏路地を抜けて開けた場所に出た。
できるだけ広場の中心に向かう。
「はぁはっ、ふぅ…。」
なんとか息を整える、時間が無い。
「ははははっ!わざわざ逃げ場のないここまで来るとは…畜生には頭がねぇなぁあ。所詮は『アメミト』だな!」
「随分逃げてくれたな。鬼ごっこもこれで終わりだっ!!」
あぁ、これで終わりだ。これで終わらせる。
路地裏からはうじゃうじゃと男たちが湧いて出た。
先ほどより明らかに数が増えてる。…いや、もう数えるのはやめにしよう。私はただ、目の前で動く奴らを全て殺すだけなのだから。この残り少ない体力でそれだけもつか分からないが、やらなければならない。
「さぁ…始めようか。」
バキバキバキィ……!!
不気味なを立てて私の右腕は変形した。
******
先日の不可侵条約締結の知らせが国中に出回った所為か地下街や地上の人気のない場所では大規模な奴隷商による奴隷狩りが行われている。亡命した『アメミト』の多くが地下街に逃げ込んできている。しかしそれは奴隷商も知っていることだ。逃げ込んだら一日と経たず大抵は捕まってしまう。
それは俺の住むここ、地下街D区でも同じことだ。
連日のように街中で大騒ぎ。泣き叫ぶ声、吠える声、高笑い。騒ぎは収まることをまるで知らない。『アメミト』は戦争のために軍事訓練を受けてきた最強の生物兵器。捕まえても相手を殺して逃げることも多い。だから奴隷商達は飽きることもなく彼らを追いまわしている。おかげでただでさえ汚く陰鬱なこの街は常に死体や何かの体の一部が落ちている。住人はは死体の身ぐるみを剥ぎ、野犬は死体を貪り食っているため最近丸々としてきた。
そして今日も同じような騒ぎだった。だが今日はどこか違う。いつもとは比にならないほどの規模。叫び声の先に目をやる。このD区の真ん中に位置する広場の方だ。この治安の悪いD区に何故あるのか全く分からない広場、寂れて枯れた大きな噴水が置かれている。
すると広場の方から見知った男が走ってきた。
「おい、お前。この騒ぎは何だ?」
「はぁっ!?何だよ、今急いで…っひ、ハク様っ!?」
「質問に答えろ。」
「は、はい!それが広場に『アメミト』が現れたらしくて、自分でも捕まえられるかと思って行ってみたんすけど、そ、その『アメミト』が強すぎて…今広場はすごいことになってるんっす。あ、ハク様も行かない方が良いっすよ。とばっちりに合いますよ。」
「へぇ、呼びとめて悪かったな、もう良いぞ。」
「は、はい。失礼ますっ」
男は慌てて広場から遠ざかっていった。『アメミト』…興味ある。いったい誰が作った『アメミト』だろうか。国軍か、貴族か…。
俺は歩みを止めることなく進めた。
先ほどの奴が言ったように広場は凄まじい光景だった。
くすんだ白であった筈の石畳は真っ赤に染まり、灰色の壁は元の形が分からないほどに壊され、僅かに残った瓦礫も真っ赤。枯れたはずの噴水には鮮やかな鮮血で満たされていた。
地面にはもはや何人いたか分からないほどの人間のパーツ。右手、左足、眼球、顎、小腸、指。普通の奴が見たら気絶しそうな光景だ。その真ん中には一際赤い生き物。まず間違いなくあれが渦中の中心である『アメミト』だろう。もとからそいつが赤い色をしているのか定かではないが、少なくともあれが噂の『アメミト』であることは間違いない。
そんな阿鼻叫喚の地獄絵図に飛び込んでいく無謀な奴らが居るのはやはり金が欲しいからであろう。地下街に来た時点で、まっとうに生きようなどと思うものはまずいない。
三人の奴隷商らしき男が飛びかかっていく。
一人は大きめのタガーナイフを一人は斧を持ってもう一人は地上の奴から奪ったのであろう、剣をを持っていた。きっと既に捕まえようという気はないのだろう。
「うああああぁぁっ!!」
目の前の『アメミト』は無言であった。そして、
「がっはぁっ!!」
『アメミト』が振りかざした大きな右腕はナイフの男を貫通した。それを貫いたまま斧の男の首を捩じり切る。最後の一人は仲間が殺され泣きながらもかかっていく。しかし『アメミト』は何の躊躇もなくその男の喉に鋭い牙で食らいついた。
ピィィィィィーー……。
喉笛がうす暗い地下街の天井に高い音を響かせた。
肌が粟立つのを感じる。『アメミト』は襲われているはずなのに、完全に一方的な殺戮となっている。赤の化け物の独壇場。
『アメミト』が右手を下ろすと手に刺さっていた男は重力に逆らうことなくズルリと落ちた。
もうそれの周りには何も動くものはいない。足もとに無言の屍が積み重ねられるだけ。
そう、俺一人を除いて。
『アメミト』はひどく緩慢な動きでこちらを振り向いた。
ニイっと口角があげられる。
顔まで血まみれのはずなのに、笑っていることはわかった。
ゆっくりとこちらへ足を踏み出した。
しかし、
ドサッ。
それはまるでスイッチが切れたかの様に、屍の上に折り重なった。
この地獄絵図の中に立つのは俺だけとなった。
俺は目の前で倒れた、思ったより小柄な『アメミト』を肩に担ぎあげた。
珍しく野次馬に来てよかった。良い拾いものをした。
俺は肩に化け物を乗せ、赤い広場を後にした。