10 鎖の王国
「私お金とかって持ってないんですけど…。」
「別にそれは良い俺が出す。服買うくらいなら5000ギルもあれば問題ないだろう。」
……どうしようか。
ハクさんの言葉にフィオもうんうんと同意しているのだが…。
「す、すいません!5000ギルってりんごいくつ分の価値なんですか!?」
「…は?」
私の言葉にハクさんとフィオは言葉を失う。
いや、そんな妙なものを見る目で見られても困る!
ギルってなに!?
「え、お前しらねぇの!?」
「いや、その、通貨があるのは知ってるんですけど、使ったことも見たこともありませんし…。」
「クレハ姉、それはないでしょ…。」
「じゃあ、今までお前はどうしてきた…ああ、お前はあれか、貴族に身体売ってたのか…。」
「ちょ、違いますよ!いや、違わないと言えば違わないんですけど…好きで売られてたわけじゃありませんし!売られても私にお金入りませんから!それに身体売るって、犯られる前に殺りますから!そんなげんなりした顔をしないでくださいよっ!」
「まさにあれだな、鉄の処女だな。」
「人のことを拷問用具みたいに呼ばないでもらえますか?」
ハクさんは勝手に自己完結して可哀そうなものを見るような視線を私によこした。腹立つ。
「今までは基本的に追いはぎですよ。お金は奪わずに金目のものとか身ぐるみとか剥がして…生死については知りませんけど。」
「でも売られるときとかに奴隷商がお金持ってるとことか見たことないの?」
「あるかもしれないけど自分の値段を気にするよりもこれからどうやって逃げ出すかの方が重要でそれで頭いっぱいだから…。」
「5000ギルってりんごいくつ分だろ…?」
「だいたい50個くらいだと思うが、なんでりんご換算なんだ?」
「な、なんとなくです」
正直なところどちらかと言えばりんごよりもうまい棒換算のが分かりやすくて良いのだが、この世界に間違いなくないそれではきっと通じないだろう。
「ってことはたぶん通貨も知らねぇンだな。」
「はい、何か硬貨が使われてるのは見たんですけど。」
「んじゃ、ほらこれ見ろ。覚えろよ?」
目の前に出されたのは金貨、銀貨、銅貨。金貨は大きさの違うものが二種類。
「大きい方の金貨が1000ギル、小さい方が100ギル。こっちの銀貨は10ギル、銅貨は1ギルだ。」
「へぇ…にしてもなんかかさばりそうですね。」
「まぁ基本的には袋に入れて持ち歩くから、落としたり掏られたりするときはすぐ気付けるぞ。」
「ハ、ハクさんの荷物を掏るって勇者だね…。」
「お金盗るどころか命取られちゃいますね…。」
「お前らにとっての俺のイメージって何なんだ?」
「…『金糸の虎』?」
「おい、それ次呼んだら千切るからな…?」
「そんな嫌なんですか?カッコいいじゃないですか、ぶふっ。」
「笑いこらえ切れてねぇぞコラ。」
通り名が相当気にいらないらしく、一度いっただけで額に青筋を浮かべて頬を引き攣らせている。
「ハクさん虎なの?」
「言ってくれるな、フィオ…。」
テーブルに突っ伏したハクさん。本気で嫌なようだ。もっとも自分もそんな通り名つけられたらかなり恥ずかしいけど。
「話し戻りますけど、この硬貨って模様とか無いんですね…。偽物が作り易そう。」
「まあ地下街で偽物が流通することはまずない。下手なことすりゃ不特定多数の人間に恨まれるからな。」
「地下街ではというと?地上では?」
「こっちが地上で使われている方の硬貨だ。」
改めてテーブルの上に置かれる数枚の硬貨。
「あ、私が知ってるお金はこっちだよ!」
「こっちには鎖の紋様ですね…?」
机の上に置かれた四枚の硬貨には全て同じ鎖のマークがつけられていた。どこかで見たことのあるマークだが思い出せない。
「ああ、これはこの国でだけ使われている硬貨だ。」
「!なるほど。セティーナ、鎖の王国だからですか。」
道理で既視感を覚えるわけだ。私はこのマークを何度か見たことがある。
「これはこの国の象徴だ。国旗や衛国団や警羅隊の胸章に付けられている。」
「これ、私が入れられた輸送車に描いてあるの見ました。」
「でもどうして地上と地下で使われてるお金が違うの?面倒じゃない?」
確かにフィオの言うとおりこれでは面倒だ。地下から地上へ行く時や逆のときも換金しなければ使えない。
「換金の方は一応出入り口近くに『銀行屋』ってやつがいる。そいつに換金してもらえば良いことになってる。まぁ地上の相場を知らねぇやつは足もと見られて手ひどくぼったくられるがな。それと地上と硬貨が違う理由だが、地下では地上に比べて他国の出入りが多いんだ。これからこの国を出る俺たちも含めてな。さっき言った通り、こっちの地上の金はこの国でしか使えねェんだ。だから地下の住人は他国とも共通で使えるこの模様のない硬貨が共通硬貨として使われてんだ。」
改めてテーブルに置かれた鎖の硬貨を見る。確かに他国とはほとんど戦争しかしていない地上の政府からしたら国内共通の硬貨さえあれば問題ないのだろう。
「あの、ひとつ聞きたいんですけど。地下の人間はこれがあれば他国でもやっていけますけど、地上に住む人が他国に出国する場合はどうするんですか?地上には『銀行屋』はいませんよね?」
そう聞くと、ハクさんは心底何かを馬鹿にするように笑った。
「地上の人間じゃ、この国からは出られねぇ、逃げられねェんだ。正に言葉の通り、『鎖の王国』さ。国民すら鎖に縛る。全ては戦争のため、祖国のため、政府のためだ。」
「ずっと地上に住んできたけど知らなかった…。」
フィオも呆然とした様子で目の前の硬貨を見つめた。
「貴族じゃ知る機会なんてねぇよ。一般市民でも知らねぇやつはいる。勝手に国境を越えようとすることは犯罪だ。国境近くに控えている衛国団の連中に殺される。ただそれすら市民は知らない。国境近くにいると行方不明になる、その程度の認識だ。」
「そんなんで納得するんですか!?」
「基本的に国民には愛国教育を受けてんだ。政府が白というなら白、政府が黒と言うなら黒って具合にな。もはや『愛国心』じゃなくて『愛政府心』さ。この国から亡命するにはまず地下街で生きていくだけの力がねぇと話しにならねぇ。」
「地下街全体が犯罪者の巣窟なんですね…。」
「ああ、だから国軍の奴らさえ地下に兵を送り秩序の統一、『アメミト』狩りを行うことを躊躇していた。流石にお前が放たれている以上ごちゃごちゃ言ってられなくなったようだがな。」
「赤の化け猫!」
「フィオ、嬉しそうにその名前を言うのを止めてくれるかい?」
ちょっと話が難しくなり、フィオは会話に参加することを放棄している。
「だが『愛政府心』に染められても疑問に思うもの、反発するものもいる。それがレジスタンスグループの『狼』だ。」
「なんかややこしくなってきましたね。」
「まぁそいつらも『アメミト』を欲しがっているってことは覚えとけ。政府を潰すためにな。ただそいつらならきっと兵器としてではなく、仲間として引き入れようとするんだろうな。表向きには」
どうやら『アメミト』はそこら中から引っ張りだこのようだ。欠片も嬉しくない…。
「とりあえず今必要な常識としてはこんなところだろ。硬貨の価値についてはこれから使って覚えろ。…そろそろ出るぞ。」
ハクさんが立ち上がるのに合わせて私たちも立ち上がり皿を片づけ始める。
「ほらクレハ、これ着ていけ」
ハクさんは一枚の厚手のコートを投げてよこした。男物の上に私とハクさんの体型は全く違うのでぶかぶかだが、フードを深く被ることができ、完全に顔を隠せるものだった。
「行くぞ。」
扉を開けるハクさんに続いて私たちも外に出た。