第3節 精霊混じり
「ロック~、ただいま~!」
「ん? ああ」
セシル・ロックの研究室に到着したエステルは、応接テーブルを通り過ぎると、部屋の奥に用意された自分専用の勉強机の上にカバンをトンッと置く。ここはエステルにとって師の研究室であると同時に、第二の自室のようになっていた。「ただいま」という言葉にも違和感はない。
「お邪魔します、セシル」
「お、ケーラー。研究室に来るなんて久しぶりじゃないか。どうしたんだ?」
ロックは魔法律書の上に落としていた視線をケーラーへと移す。
二人はエステルが生まれるよりも前からの旧知の仲だ。もっとも、アカデミーで再会した際は、人の姿のケーラーと、五十年前と全く変わらない姿のロックは、互いに相手を認識できなかったのだが--
「今日は少し確認したいことがあって来たのです」
「確認? 何だ? まあ、座ってくれ」
ロックは一瞬首を傾げてケーラーにソファを勧めると、自身も研究者用の大きな机を離れ彼と向かい合うようにソファへと腰を下ろした。エステルは、一体何の話が始まるのだろうかと二人の方へ体を向ける。
「いきなりですが、最近ユーリさんに何か頼まれ事をされませんでしたか?」
「ユーリに? ん~? 本を紹介してくれとはよく言われるが……」
ロックはのんびりと言葉を返す。
「いえ……そうではなく……具体的に言えば、『フェニックスの血』が欲しいとは、言われませんでしたか?」
「あ、」
「「え?」」
ケーラーの問いかけに声を上げたのはロックでもエステルでもなかった。
「ダンテ、何だ? お前言われたのか?」
ロックが研究室にいたもう一人--弟子のダンテに声をかける。
「あ、あぁ。何の話だって思ったんだけどよ。今度『賢人会議』に参加するときにフェニックスも出席するだろうからもらってきてくれって。ムリに決まってんのによ……バカじゃねぇかって言ったら、結構本気っぽくって、スゲー機嫌悪くなったぜ」
「やはりそうですか……」
ケーラーが神妙な面持ちになる。
「ねぇ、フェニックスの血って……あの、上級精霊のフェニックスさんの血?」
エステルが誰というわけでもなく問う。
「それしかないだろう。上級精霊フェニックスはこの世界に一体しかいないんだ。そして、あいつの血は大昔から多くの人間に狙われている」
ロックが答えた。
「ユーリ君がフェニックスさんの血を欲しがってるって……どうしてかな?」
「作りたいんでしょう……『フェニックスのドロップ』を」
今度はケーラーが返す。
「『フェニックスのドロップ』って……」
「お前、まさか知らない訳じゃねぇだろうな? フェニックスの血の効能」
未だにピンときていないエステルに、呆れたように言い放ったのはダンテだった。
「え! し、知ってるよ! 不老不死でしょ? え--て、ユーリ君、不老不死狙ってるの!?」
エステルが目を丸くする。
「狙ってるって、お前なぁ……ノリが軽いんだよ」
「うっ、そんなつもりないんだけど……ビックリしちゃって」
不老不死などという大それたことをユーリが考えているとは、エステルには想像もつかなかった。目を白黒させるエステルを余所に、他の三人は深刻な表情で黙り込む。
「私は別に構わないのですよ」
沈黙を破ったのはケーラーだった。
「私のような者が申し上げるのもどうかと思いますが--彼の気持ちも分かります」
「やるのか? 鱗」
ロックが問う。
「えぇ、まあ……痛いと言ってもそれほどではありませんし。一枚くらいなら」
「アンタ、優しいんだな。だけどよ、ユーリだけじゃないぜ? 他の『精霊混じり』だって同じ運命背負ってる。俺は正直--アイツにフェニックスの血のこと頼まれたときガッカリしたぜ……そんなこと言う奴だなんて思わなかった」
ダンテの口振りは、がっかりと言うより悔しそうだった。
「お前はユーリを買い被り過ぎだ。十五歳……ちょうど折り返し地点あたりか。材料が手に入る機会が目の前に現れてじっとしておけというのが無理な話だ」
「ねぇ……みんな何の話してるの?」
重苦しい空気に口を噤んでいたエステルだったが、とうとう我慢できずに口を挟んだ。
「エステル。お前、ユーリが『精霊混じり』だというのは気付いているな?」
ロックがエステルの方へ顔を向ける。
「え? うん、それはまぁ……」
見れば分かる--という次のセリフは言葉にする必要もなかった。
『精霊混じり』は、その名の通り精霊の血が混じったヒトのことだ。
精霊とヒトはそもそも体の構造が異なり子孫を残すことはできない。しかし、ヒト化することのできる一部の精霊とヒトが恋に落ち、子どもを授かることも稀にはあった。その稀なケースで生まれてくる子どもとその子孫たちが『精霊混じり』と呼ばれ、総じて魔力の高い優秀な人物が輩出された。
『精霊混じり』達の特徴--それは純血のヒトであれば有り得ないような髪の色、目の色--そして直系血族たる精霊の身体的特徴を一部受け継いでいることだった。ユーリも、水色の髪と瞳、髪の間から覗き出る鳥のような羽根から、『精霊混じり』であることは誰の目にも明らかだった。
「ユーリ君が精霊混じりだと何なの?」
「『精霊混じり』は総じて優秀だ。ユーリもその例外に漏れん。しかし、その代わりに--寿命が短い」
「それは知ってるけど……でもちょっとでしょ? おじいちゃんの友達の精霊混じりの人も、六十歳近くまで生きてたって言ってたよ。ユーリ君まだまだなのに……」
長生きするのに越したことはないが、ユーリの年齢で死を意識するのは少し早い気がした。
「その友達というのは精霊の血が薄いんだろう。ユーリは--俺の見たところハーフだ。そうだな、ダンテ?」
ロックがダンテへ目をやる。
「あぁ。別に本人が隠してるわけでもねぇから言うけどよ、上級精霊『シルフ』とヒトのハーフだ」
「えっ!? そうだったの!!」
エステルは目を丸くする。
「やはりそうでしたか。彼からは『シルフ』の魔力を強く感じていたのですよ。彼女のお子さんだったのですね……しかし、彼女がヒトと恋に落ちたとは驚きですね」
「えぇっ!? ケーラーさん、シルフとお知り合いなんですか!?」
エステルが更に目を大きくして叫ぶ。
「はい。物質界で生活している上級精霊同士で集まる会合があるのですが、その席で何度か。とてもサバサバした、しっかりとした女性でしたよ。ここ十数年、会合にも参加されていないので気にはなっていたのですが、ヒトと家庭を作られていたのですね。今もお元気なのでしょうか」
ケーラーはちらりとダンテの方を見た。
「父親の方は風の神殿の祭司らしくて、そこで両親と暮らしてたっつってたから、元気なんじゃね? 大体、精霊は死なねぇだろ?」
「そうですね……『精霊』は、死にませんね」
精霊は物質界で消滅しても精霊界に帰るだけで死ぬことはない。しかし、『精霊』でない者達--ヒトを始めとする全ての生き物は死ぬ。『精霊混じり』も例外ではない。体の構成はほとんどヒトなのだ。
「ねぇ、それって……ユーリ君もお母さんみたいな死なない体になりたいってことなの?」
「ちげーよ。アイツはただ……もう少し生きたいだけだ」
「もう少しって……」
「エステル--『精霊混じり』は寿命が短い。それは体の構造がヒトを基礎としているのにも関わらず精霊の魔力が混じっているからだ。精霊の魔力はヒトの体にとって異物でしかない。異物が多いほど、その力が大きいほど、体は不安定になる。分かるな? ハーフで、しかも上級精霊の子だ。あいつの寿命は--長くて三十年ってとこだろう」
「三十年!?」
エステルは驚きを隠せなかった。自分と同い年の子が、後十五年しか生きられない--自分がその立場だったら……想像することはできなかった。