エピソード・ハディマル
今日は朝、起きられるのか。いつも考えていた。
不安とも、悩みとも、少し違う。たぶん、転んだ時に
血が出るのか、青タンになるのか、それを観察する
ような感覚だと思う。どちらになるかは分からない。
そして、どちらが来たとしても、わたしにそれを
拒否することはできない。そんな感じ。
あの時言った、わたしの言葉。あれは多分、本心
だったとは思う。周りの子たちと相談して、出した
こたえ。
──この人は、食事と居場所をくれました──
わたしたちの日常はあの日から、よく分からない
ほどに、変わったんだ。
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リサイドの道端で、わたしは干からびていくだけ
のはずだった。そんな霞んだ目に、変な人が映り、
話しかけてきた。もう既にどんな人だったかも
忘れたけど、確か……「おめェ孤児かァ? なんか芸は
出来んのかよォ!?」なんて、おかしな事を聞いて
きたんだ。
わたしは、「大した事は出来かねます」とこたえ、
その時できることとして、人差し指から黒い爪の
ようなモノを出してみた。……今は、もうできない
けど。その爪を触った変な人は、指から血を飛ばして
騒いでいた。正直、うるさいなって、思った。
それからしばらくして、怖いおじさんが来たんだ。
食事と、寝床。快適とは言い難いがそれをやる、と。
その代わりに、わたしの爪をくれ、と。
わたしが暗くて臭い地下に連れてこられた時、
檻には誰も寝ていなかった。怖いおじさんと、
丸いおじさんの会話から、わたしはいくつかの事が
わかった。わたしは、どうやら同世代の子供と比べて
少し知性が発達していたらしい。
痛いのは……思い出したくない。今も肩に、大きな
縫い跡が残っている。わたしは、それを無意識に
撫でるのが、くせになっていた。そしてそれ以上に、
恥ずかしいのは、もっと思い出したくない。
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わたしと同じような子が増えてきて、ある日、
身なりの綺麗な子が増えた。最初は物凄く泣いて
いて、わたしは……なぜ泣くのか、分からなかった。
ここにいれば、すこし我慢すれば、明日の朝も
目が覚める。それなのに、この子はなんでそんなに
悲しむんだろうか。わたしは、そう思っていたんだ。
わたしが「なぜ泣くの?」と訊くと、その子は
言った。「家に帰りたい」と。……家? ああ、"屋根"
の事か。うん。わたしも知ってるよ、とこたえると、
その子は一瞬泣き止んで、何故か、もっと泣いて
しまった。男の子って、難しい。そう思った。
少しして落ち着くと、かれはエディと名乗った。
必死に目元を拭いて、口をへの字に結んで。
そしてわたしたちに言った。「父ちゃんや兄ちゃんが
絶対くるから!」そういうと、牢の中にあった
寝床の藁を少し摘んで、それを手で軽く覆うと、
キラキラとする火をつけた。……すごい。
みんな口々に、綺麗、温かい、眩しい、熱いと
その火に言った。エディくんはそれを聞いて、
「すぐにもっと明るくなるよ!」と言った。
しばらく火を見て、目の中に黒い影が残って
しまった頃。階段を降りてくる足音が聞こえた。
扉から見えた姿は、怖いおじさんと、知らない
男の人だった。
ふたりは扉の近くでなにか話していたけど、
すぐに男の人が牢に駆け寄ってきた。エディくんは
勢いよく立ち上がる。……この人が、父ちゃん?
「兄ちゃん!!」
「エディ、良かった。大丈夫か? 何かされて
ないか?」
その人の声は、今までに聞いた誰よりも、怖く
なく、優しく聞こえた。
「待たせてごめんな、エディ」
兄ちゃんと呼ばれたその人は、エディくんをつよく
抱き寄せていた。
「大丈夫だよ! ぼく全然怖くなかったもん!」
……うそつき。でも、うそつきって言って、
なにかいい事が起きたことはない。わたしは
黙って、その様子を見ていた。
「そうだな、エディは勇気があるもんな」
……この人、素直に信じてる。エディくん、
嘘ついてるのに。騙されやすい人なのかもしれない。
途中、何故か女の人の声が聞こえた気がするけど、
何を言ってるかはよく分からなかった。きっと、
わたしの気のせいだろうな。
「みんな、少し外に出ましょう」
騙されやすそうな人は、あまり上手じゃない
笑い顔で、そう言った。
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リサイドの中にある屋根。今までいたところからは
だいぶ離れているみたい。エディくんと別れてから、
わたしは他の子たちとここにいる。新しい居場所には
何人かの男の人が交代で顔を出してくるけど……
「少しの間、ここで我慢してくれ」と言われた。
自分の元の名前は、忘れてしまった。4人の男の
人達の……1番特徴がない人。その人が、わたしの
ことを"リウ"と呼んだ。ほかのみんなも、それぞれ
新しい呼び名をつけられていた。
特徴のない人は……どんな人か、よく分からない。でも、他の3人からよく話しかけられてるのを見た。
少し丸い人は、喋り方が変。でも、1番柔らかい
気がする。牢にいた時の丸いおじさんを思い出して
しまうけど、この人は違うと何度も覚え直した。
少し小さい人、耳がキラキラしてる。着てる物も
他の3人と、ちょっと違う気がする。そして……
大きい人。かれは、最初は怖いと思った。でも、
1番、静かに頭を撫でてくれた。
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どのくらい経っただろう。4人の男の人が、
全員揃って、屋根の下に来た。特徴のない人が、
「まだ完成はしてねぇけどな」と言っていたけど、
その時はまだ、なんの事かよく分からなかったんだ。
街で見かけていた、馬車。その荷台に、わたしたち
と3人の男の人が乗り込む。この頃には、だんだん
名前を覚えてきた。丸い人、べすぱーさん。
小さい人、ぐなえさん。そしてわたしを抱き抱えて
荷台に乗せてくれた大きな人、かざっとさん。馬の
すぐ後ろに乗って手綱を持っている特徴のない人は、
じー……く?さん。そしてわたしは、リウ。
随分長い時間、荷台に乗っていた気がする。
わたしはこの時、またどこかへ連れていかれるのだと
思った。次は屋根はあるだろうか。パンはもらえる
のだろうか。痛い思いは、しなくて済むだろうか。
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「…………え?」
わたしはおかしな声を出しながら、ここに至る
までの事を思い出していた。今、何を言われたのか、
今、何が起きているのか、わたしはよくわかって
いない。
「だから、今日からここが、君達のお家になるんだ。
大きくなるまで、ずっとここに居ていいんだ」
じーくさんが、腰に手を当て、笑いながら
見下ろして言っている。カザットさんが、かれの
肩に手を乗せ、首を横に振った。
「……視線、高い……」
そのままカザットさんは、大きな体を小さく丸め、
わたしの目の前で言った。
「……ここには、嫌なものは無い。もし痛い思いを
するとしたら……それは、元気に走り回って、
転んだ時くらいだ……」
わたしは、他の子たちと顔を見合せ、ずっと下を
向いていた事に気づいた。今、初めて周りを見る。
……囲いが、ない。緑色の草が、いろんなところに
はえている。水も流れていて、木が……高い木が
いっぱいあって、その枝から、鳥が飛んで。
白い小さな建物の上には、何故か鐘があって。
そして……そして、空が、青くて。
「おーい、うちらも頑張ってたんだから、出来れば
建物の方を見てほしいんだがな」
小さい……違う、ぐなえさんが、指を指している。
そこには、小さな、茶色の建物があった。
「こ、これが、き、君達の、新しいお家、だよ!」
ここにいても、木の匂いがする。気持ち悪い臭いは
何も無い。ここにいていい……?この建物に?
わたしは、何を払って、それを許されるのだろう。
「あの、……わたしは、何を差し出せばよろしい
でしょうか」
わたしの言葉を聞いて、4人が同時にぽかんと
口を開けた。かれらは互いの顔を見合せたあと、
破裂したように笑い始めた。……どういうこと?
「何も! 何も出さなくて良いんだよ! とにかく、
この村で元気になってくれりゃ良いんだ」
じーくさんが、わたしの頭を撫でた。ぐなえさんが
パンっと手を叩いて、言った。すこし、悪い顔を
している気がする。
「さぁ、お子さん達。君達、何も出さなくて良い
とは言ったものの、完全に"なあなあ"で良いわけ
ではないんだ。この建物、君たちにはどう
見える?」
屋根は、ある。柱もある。でも、壁が無い。
他の子はそれぞれ、「すかすか」「棒だけ」と口にする。
「そう! これから君たちにはお手伝いをして
もらおう。うちらのやってる事を真似て、だ。
この家に、今から土壁を塗る!」
壁を、塗る? わたしが首を傾げると、後ろから
ザワザワと人の声が迫ってきた。
「おーう! ジーク君! 子供達連れてきたな!
そんじゃ、今日中にやっちまおう!」
「お願いします、ボリスさん!」
髭もじゃの人が、大勢の人と歩いてくる。
かれの横には、見覚えのある男の子もいた。
「……エディくん!」
かれは人差し指で鼻を擦りながら、言った。
「……ようこそ、ハディマルへ!」
カザットさんが、大きな手をわたしの肩に置き、
しゃがんだまま言った。
「……みんなで、作るんだ……君たちの家を……
……手伝ってくれるか……?」
わたしたちの、ために? こんなに沢山の人が?
手伝う、手伝う事で、このキラキラした所に
居られるのならば。
「……大した事は、出来かねますが」
「……それで、良い……」
そう言って、カザットさんは立ち上がった。かれの
大きな体、その肩の辺りを掠めて、眩しい日が
わたしの目を焼こうとした。明るさに手をかざして、
目を細めるわたし。そして、そんなわたしを見て、
エディくんは誇らしげに、わたしたち6人をみんな
見渡し、空を指さして言った。
「ほらね! うんと明るくなっただろ!」




