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後宮の亀仙女 -事件解決簿-  完全記憶能力をもつ主人公が、宮廷内の謎や事件を解決します  作者: 秋名はる
第一章

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第五話 才人‐翠玄‐


翠玄がようやく解放されたのは、あの日の深夜だった。


翌朝、眠い目をこすりながら後宮の台所に顔を出すと、同僚の下働きたちが物々しい雰囲気で翠玄を出迎えた。


「翠玄! 一体どこへ行っていたのよ!」


真っ先に駆け寄ってきたのは、翠玄が宮中に入って間もない頃からの友、"雀玲"だった。翠玄と同い年で、同じく台所の炊事番を任されている。


「え、何の騒ぎ……?」


翠玄は寝ぼけて頭を掻いた。


「何って、こっちは昨日からあなたがずっと不在で大騒ぎだったのよ!」


雀玲は翠玄に詰め寄った。


「一昨日の昼、突然、炊事長のところに『翠玄という下働きを知らないか』って尋ねてくる人がいたの。

 一体どこの誰なのかと思って見に行ったら……なんと、あの……!」


「ああ、その件ね。

確かに、そのあと私もお会いしたわ」


確かに、昨日私の前に現れた二人は、最初炊事場を訪ねたと言っていた。しかし、ここまで大ごとになっているとは_。


雀玲が大声でまくしたてるので、周りにいた炊事係たちも、密かに二人の後をついてきて聞き耳を立てている。これでは全部筒抜けだ。


「わかったわよ。後でちゃんと説明するから。

 今は少し黙っていて」


「絶対よ。私に隠し事なんてなしですからね」


これ以上騒ぎになったら、また炊事長に叱られてしまう。翠玄の意図を汲んで、雀玲もようやく大人しくなった。


* * *

 

午前中の仕事が終わって休憩に入った時、翠玄はこっそり雀玲にだけ、これまでの事の顛末を話して聞かせた。


「え、あの芙蓉妃様が……?」


「そうなの。でも、大事になる前に解決してよかったわ」


言いながら、翠玄はほっと胸を撫で下ろす。


「お手柄じゃない。確かに、翠玄は昔からやけに記憶力だけは良かったものね」


「今回はたまたまよ。それに、もし失敗していたら、今頃はこの場所に戻ってこれなかったかもしれない……」


翠玄は身をすくめてみせた。


「それにしても、あの"摂政様"があなたに目をつけるなんて……驚きね」


秦国の摂政・徠迦(れんか)は、現帝の腹違いの弟である。一度は皇太子の候補にも上がったものの、帝位を義兄に譲り、今は摂政の位を授かって皇帝の側近として政に携わっている。


彼はまた、その類稀な見た目から宮中で注目を集めることが多かった。


彼は昨日出会った通り、秦国では珍しい金糸色の髪と鮮やかな琥珀色の瞳をしていた。おまけに浮世離れしたその見目麗しいその風貌から、宮中内でさまざまな色恋の噂が絶えない。


ここは後宮の炊事を司る場所なので、否応なしにこうした噂を多く耳にする。後宮の貴妃たちの中には、皇帝ではなく摂政の方に心を寄せ、取り入ろうとする者もいるそうだ。


「今回は、あまり事件を公にせず、秘密裏に事を進めたかった思惑もあったみたい。

 だから、この件はくれぐれも他言無用よ」


翠玄は釘を刺した。


「わかっているわよ」


後宮内は陰謀渦巻く巣窟だ。妃として後宮入りして間もない芙蓉妃に良からぬ噂が立てば、それだけで彼女の立場が揺らぐこともある。


「でも、よかったじゃない。高貴な方とお近づきになれて。恩を売っておけば、後々取り立てていただけるかもしれないわ」


「私はもう面倒事に巻き込まれるのは御免よ」


翠玄は首を振った。


宮中では、誰かの利権のために金や権力が動き、軽々しく人の命が奪われることもしばしば。権力者たちの闘争は絶えず、深みにはまれば、次にいつ自分が標的にされるかわかったものではない。


下働きの自分なんかが、下手に面倒事に首を突っ込まない方がいい。翠玄はそれを肝に銘じていた。



そう言って再び仕事に戻ろうとした時

突然、炊事室の入口の方がにわかに騒がしくなった。


* * *


表に戻ってきて様子を確かめに行くと、何やら聞き覚えのある声が聞こえてくる。翠玄はぎくりと飛び上がった。


「炊事長、先日は突然押しかけてしまってすまない。翠玄はいるだろうか。取次をお願いしたいのだが」


声の主に心当たりのあった翠玄は、慌てて炊事場の奥へ引っ込もうとする。しかし運悪く炊事長に見つかってしまい、すかさず呼びつけられてしまった。



炊事場の入口には、昨日私の前に現れた金糸色の髪の青年──摂政・徠迦が立っていた。


「_殿下、昨日に引き続き、こんなところへ一体何の御用でしょう」


昨晩、彼の身元が明らかになったので、翠玄はもう彼のことを"旦那様"とぼかして呼ぶことはやめた。


それに今更何しに来たというのだ。もう自分に用などないだろうに。


「ああ、君に約束していた褒美を取らせるのを忘れていたのでね。それでわざわざ参ったのだよ」


「ああ……」


確かに、あれだけの活躍をしたのだ。少しくらい褒美は期待してもよいだろう。


「まず、金三封と銀十封。それから絹一反を進呈しよう」


「ありがとうございます」


それは下働きにとって、一生食うに困らないほどの大金だった。翠玄はありがたく受け取り、そのまま引き下がろうとしたのを、摂政様は再び引き止めた。


「──それから、もう一つ」


「はい……?」


嫌な予感がした。


「翠玄、お前に二十七世婦『才人』の称号を与えて、宮中へ取り立てることになった。」


(???)


「お前のための宮も用意した。このまま私と共に参上するように」


「ええっ? ちょっと、それは困ります」


翠玄は慌てて首を振った。


「なぜだ?」


「なぜって……急に言われましても。

 下働きの私には分不相応ですよ、陛下のお相手なんて務まりません。」


二十七世婦とは、後宮へ迎えられた妃嬪たちの身分位の総称だ。才人はその一番下の位に当たる。


とはいえ、昨日まで台所で雑用をしていた自分が、いきなり妃嬪の一人になるなど、あまりにも現実味がない。


「ああ、それは心配いらない。お前は主に皇后様向けの話し相手として仕える貴人として登用する。

 後宮に入るからといって、軽々しく手を出すなということは、皇帝陛下にはすでに伝えてあるから」


(……そういう問題ではない)


翠玄は内心でため息をついた。


「あの、そうではなくて……。

 なぜ私にそのような位をお与えくださるのですか?」


「お前の才能を見込んで、これから色々と頼み事をしたい。そのためには、ただの下働きでは不便だろう」


(この前みたいなことを、これからも私に依頼するつもりなのか……)


翠玄は眉をひそめた。


もう、昨晩のようなきな臭い宮中の争い事に首を突っ込むまいと誓ったばかりだ。

それに、後宮は宮殿に千人といる妃嬪たちの嫉妬と陰謀が渦巻く場所だ。炊事係の翠玄は、彼女たちの黒い噂を五万と聞いてきた。元下働きの翠玄には流石に手に余る。


「身に余るお言葉ではありますが……やはり、今回はお断りして──」


「──いいのか、そんなことを言って」


摂政様は微笑んだ。


「えっ……」


「もう明日のために炊事場で肉体労働をする必要などなくなるのだぞ。褒美も、明日には今日の倍与えよう」


摂政様は更に一歩近づいた。


「それに、働かなくてよくなれば……お前はこれから、いつでも好きな時に、礼部の書庫に籠もることができるのではないか?」


「そ、それは……」


翠玄は言葉に詰まった。


摂政は、まるで翠玄の内面を見抜くかのように言った。確かに、彼についていけば、翠玄はあの書庫に好きなだけ籠もることができる。それは彼女にとって喉から手が出るほどの魅力だった。


(……卑怯だわ、この人)


「新しい住処には、お前の友の雀玲もお前付きの侍女として遣わす。さっさと腹をくくって荷物をまとめるのだね」


「では、頼んだよ」


そう言い捨てて、彼は去っていってしまった。翠玄は呆然とその背中を見送りながら、自分が完全に籠絡されたことを悟った。

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