第四話 陽春宮の宴:解決編
会場の隅で、警護に当たっていた衛士の一人が、じっと芙蓉妃の方を凝視していた。
彼はこの時のために宮中の近衛として志願し、ここまで来た。彼女の背後を任されている自分が、まさかこれから大胆な行動に出ることを、会場中の誰も気づいていないだろう。
男は悟られぬように密かにほくそ笑んだ。
人混みに形を潜め、密かにその時を待っていると──。
「そこのお前、ちょっとよいか」
上官と思しき衛士が声をかけてきた。
「隊長からの命令で、要人の警護に付き添いをお願いしたい」
(こんな時に_。)
男は内心で舌打ちをした。
しかし、上官の命令だといえば従うしかない。
「要人とは一体どのような方でしょう」
不満そうに会場を出て中庭にやってくると、目の前に見慣れない人物が現れた。
金糸色の髪に、鮮やかな琥珀色の瞳をした若い男。一端の近衛である自分の耳にも入るほど、彼は宮中でよく話題に上る人物だった。
「すまないな。このようなところへ呼びつけてしまい」
男は丁寧な口調で言った。
「はっ。上官から、あなたの警護を任されました。
これよりお供をいたします」
「そのことなのだが、お前をここへ呼びつけたのは別に目的がある」
「目的……?」
衛士が首をかしげると、脇から官吏の身なりをした小柄な人物が現れた。手には小皿を持っている。
その上に載っている小さな丸い果実を見て、衛士は血の気が引いた。
「これは、先ほど芙蓉妃様のテーブルに置かれていた四色喜糖のうちの一つです」
スラリと背の高い金糸色の髪の男の隣に立っていた小柄な官吏──翠玄が静かに告げる。
「龍眼と似ていますが、残念ながらこれは偽物です」
翠玄は頷いて、礼部の書庫に所蔵されていたこの果実についての書物、その内容を披露する。
「これは、 曼奇尼爾。別名を死の林檎とも呼ばれる猛毒の果実です」
「毒……!?」
「はい。果実は林檎に似た甘い香りを放ち、食べると甘みもあるので見分けがつきません。しかし非常に強い神経性の毒を持っており、一口で人を殺傷できる危険な果実なのです」
「まさか、芙蓉妃様のテーブルに毒が盛られていたと!?」
「はい。調理場の者に確認したところ、宴会の直前に芙蓉妃の側近を名乗る者が現れて、果実を入れ替えたそうです」
翠玄は衛士を見据えた。
「芙蓉妃様には特定の植物に対して体が拒絶反応を示す病がありました。そのため、料理番や妃付きの侍女たちは食材を交換することを疑わなかったのです」
「なんと!?」
聞いていた衛士は驚愕の声を上げた。だが、内心は冷や汗が吹き出していた。
「それでは、今すぐにでも持ち場に戻ってお妃様をお守りしなければなりません。」
そう言って、男は元の持ち場に戻ろうとした。
男は焦っていた。周到に用意したはずの果実の正体がこうも簡単に暴かれてしまうとは。
これでは、芙蓉妃を毒殺することは叶わない。それどころか、この場を逃せば彼女に接近する機会は二度と訪れないのだ。男は是が非でもこの場から立ち去りたい衝動に駆られていた。
「待ってください。話はまだ終わっていません。」
彼がもとの持ち場に戻ろうとするのを、翠玄が引き止めた。
「問題は、この果実を誰が持ち込んだかです。」
「_何が言いたいのです。
もしかして、あなた方はその毒を持ち込んだのが私だと疑っているのですか? 一介の近衛である私が、そんなことをするはずが……」
「そうですね」
翠玄は冷静に続けた。
「しかし、あなたを疑う理由は存在しますよ。
_あなたは、祝宴が始まった当初は、芙蓉妃様の背後の警備担当ではありませんでしたよね?」
「!?」
衛士の顔色が変わった。
「会場に最初に入った時、あなたが立っていた場所には別の衛士がいたはずです。他は一切変更がないのに、あなただけが途中から配置を変えていた」
翠玄の記憶力は、会場に入った瞬間、全ての警備兵の顔と配置を記録していた。
「上官にも確認しましたが、最初の配置から、一切の変更は加えていないと仰いました。
仕方がないので、屋敷の外まで探しに行って、最初に芙蓉妃様を警護していたはずの衛士に問い詰めたところ……」
翠玄は一拍置いて告げた。
「彼は、途中であなたと場所を交代するように頼まれたと、白状しましたよ」
「まさか……!」
「今回の警備の配置は、当日直前になってから上官から指示されたそうですね。
だから、あなたはこっそり配置を変えるよう衛士に交渉して芙蓉妃に接近した。違いますか?」
衛士は言葉を失った。まさか、あれだけ警備の人数がいた中で、個々の衛士一人ひとりの配置とその人相を全て覚えていた者がいるとは。
(あの上官でさえ、気が付かなかったというのに_。)
「_確かに私は芙蓉妃様の警護を代わりました」
衛士は仕方なく認める。
「しかしそれは、彼が風邪気味で任務を遂行できないと判断し、独断で配置換えを申し出ただけ。今回の毒物のすり替えと何の関係が……」
「実は、芙蓉妃様は以前から何者かによる脅迫を受けていました」
翠玄は静かに告げる。
「そして今回の毒物と、あなたの不審な動き。私は、犯人のこれまでの手口から、最後には必ず自分の目で妃の最後を見届けにくるはずだと思ったと思ったのです。」
仮に毒殺が失敗したとしても、犯人は必ず自らの手でとどめを刺すつもりだと踏んでいた。
「そんな……」
「確かに、あなたが犯人だという決定的な証拠は今のところありません。それに、実際にはまだ事件が起こってもいない」
翠玄は一歩前に踏み出す。
「念のため、このままあなたを要注意人物として身柄を拘束させていただきます。そして後日、料理番と芙蓉妃様ご本人に身元を確認してもらいましょう。
無事に無実が証明されれば、あなたは解放されますので、それまでの間ご協力いただいて──」
その瞬間だった。
突然、衛士が静止を振り切って翠玄に襲いかかった。反応が遅れた翠玄は、次の瞬間には後方に突き飛ばされ、その場に倒れ込む。
「は、離せ…!」
ようやく起き上がってみれば、衛士は他の近衛兵に羽交い締めにされてのたうち回っていた。
「彼女が……あいつは俺を裏切ったんだ!」
衛士が叫ぶ。
「お前が、芙蓉妃に脅迫文を送りつけた犯人なのだな?」
翠玄の目の前には、いつのまにか彼女をかばうように金糸色の髪の青年が立っていた。
「あいつは俺に心を捧げるはずだったのに、他の男のものになって俺に恥をかかせた。
許さない……許せるはずがない!」
男はなおものたうち回って抵抗を続けている。
「ああそうだ。俺がやった。
俺のものにならないのなら、この手であの娘の命をうばってやる。離せ!」
芙蓉妃はかねてから身に覚えがないと言っていた。これは、単なる男の勘違いなのだろうか。
それとも__。
抵抗も虚しく、男はそのまま宮の外へと運び出されていく。
「大丈夫か?」
青年が手を差し出し、翠玄はようやく立ち上がった。
「お手柄だな。喜糖の偽物を見抜き、警備の穴も見破った。大したものだ」
「いえ、今回はたまたま運よく見通しが当たっただけですよ……」
翠玄は謙遜したが、内心では安堵していた。
「騒ぎも起こさずに、こうして無事に宴を終わらせる事ができた。芙蓉妃も陛下もお喜びになるだろう」
青年は満足そうに頷いた。
その時、宮殿の方から使いの者が何人か、こちらへ向かってくるのが見えた。
「摂政殿下、皇帝陛下が祝言を取り持ってほしいと、お呼びでございます」
"摂政殿下"──。
その呼び名に、翠玄は驚いて青年を見上げた。摂政。それは皇帝の側近として補佐し、国政を統べる最高位の役人の一人である。それもそのはず、眼の前にいる男は、皇帝の腹違いの弟であった。
彼は、そのまま側近たちに囲まれて会場へと戻っていく。突き飛ばされた際に泥だらけになっていた翠玄は、再び彼についていこうとはせず、そのまま彼の後ろ姿を見送った。




