第四十話 賭博場の罠
翠玄は間に合わずにその人物の胸に飛び込んでぶつかってしまう。
「おやおや、こんなところにいたのかい。随分探したよ」
顔を揚げると、ぶつかってきた人物はやけに丁寧な口調でそう言った。
そして、おもむろに翠玄の肩を抱いて自分の方へ寄せる。
訝しんで見上げてみれば、その人物は頭からすっぽり頭巾で頭部を覆っており、その風貌を窺い知ることはできない。
追いかけてきた男たちは、突然の見知らぬ人物の登場に驚いた。一気に歩調を緩めて追跡の手を止めて、気まずそうに廊下に立ちすくんでいた。
追手の足が止まったことを確認して、男は翠玄を連れて歩き出した。
「行こうか……」
沈黙したまま、翠玄は謎の男に伴われて廊下を歩き出す。
「……旦那様、どうしてこのようなところへお出ましに……?」
翠玄はこの男の正体を、その声色から察知していた。
「流石だな。君にはお見通しだったか。うまく変装したつもりだったが」
摂政様はそう言って笑った。
(流石に、宮廷の外でこの男のことを"殿下"なんて呼ぶわけにはいかない)
「はい、顔は未だによく見えませんが……。そこまで厳重に隠されていると、逆に怪しまれませんでしたか」
摂政様は、この国では珍しい金糸色の髪の持ち主だ。屋敷の外にもその噂は広まっているので、むやみに顔や頭を晒すわけにはいかない。
でもこれでは、あまりにも正体を隠しすぎて、まるで山賊か何かに見える。
(これではどちらが人さらいなのか、わかったものではない)
ため息を一つもらすと、摂政様は笑った。
「この賭博場で、最近違法な賭け事や人身売買が盛んに行われているという内通があってな。こうして私も自ら視察に来てみたところだったのだ」
そう言って、摂政様は翠玄の方に向き直る。
「お前こそ、こんなところで何をしている。まさか私が与えた褒美を賭け事に浪費しているのではないだろうな」
「感心しないぞ」
と、摂政様は咎めるように言った。
「そんな趣味はありません。町に買い出しに出かけたところ、雀玲がやっかみを受けてここに攫われたのです」
翠玄は事情を説明した。
彼女を取り戻すのに銀百枚が必要と言われて、仕方がなく賭け事で資金を増やしていた。そのことを話すと、摂政様は笑っていた。
「ああ、お前の試合の様子は賭場の影から見ていたよ。やけに連勝する娘がいると、会場でも目立っていた。一体どんな手を使ったのだ?」
「実は……」
翠玄は札の裏面に細工があったこと、それを利用したことを打ち明けた。
「なるほど、大したものだ」
摂政様は感心したように頷いた。
「賭場側がイカサマをしていたのなら、それを逆手に取ったのは正当防衛だな。よく気づいた」
「ただ、ああやって多くの浪人の目に留まる派手な振る舞いをするのは感心しないぞ。そのせいでお前はああやって追手たちに目をつけられたのだからな」
「確かにそうですね。配慮が足りていませんでした」
偶然にも摂政様が通りかからなければ、自分はどうなっていただろうか。考えて、翠玄は少しだけ肝が冷えた。
「ところで、雀玲は未だ賭場に囚われているのだろう。資金は貯まったのか?」
「はい、先ほど賭けで大勝しましたので、これだけあれば雀玲を取り戻せます。
あの男にこんな大金を渡してしまうのは、些か性に合いませんが_。」
翠玄が腑に落ちない顔をすると、摂政様は笑った。
「気に病むことはない。時期に役人の調査が入る。そうすれば、あの男は逮捕されることになるだろう。内部の資金は全て朝廷が押収することになるだろうから、心配はいらない。
お前は自分の力で得た成果を大事にするんだね」
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その後、雀玲は無事に翠玄のもとに返還された。
賭場を出る頃には、もう夕方になってしまっていた。
「うわーん。翠玄様、ありがとうございます。なんとお礼を言ったらよいか。一時はどうなることかと思いました」
「なんとか無事に帰ってこれてよかったわ」
翠玄もほっと胸を撫で下ろしていた。
「はい。でも、せっかくのお買い物が台無しになってしまいましたね。まだまだ回りたい店がいっぱいあったのに、まだ半分も回らないうちに日が暮れてしまいました……」
「またいつでも来ればいいじゃない」
お目当ての買い物はできなかったが、ひょんなことから翠玄は自分の資金を莫大に増やすことに成功してしまった。買い物は改めて来ればよいし、次回は念のため、後宮から護衛を雇って連れてきてもよいと考えていた。
「そうですね。たくさん働いてまた遊びに来ましょう。でももう賭け事は懲り懲りですね」
「そうね」
「ところで」
と雀玲が話題を変える。
「賭場にまさかあの摂政様がいらしたのは仰天でしたね」
雀玲は自身が解放された際に、翠玄のそばにいた覆面の男の正体を明かされていた。
「何か事件の調査のためと言っていたわ。あのお方も忙しいわよね」
一介の摂政という身分にしてみれば、あまりにも危険を伴うような行動に出ることが多いと翠玄も感じていた。
「なんだか摂政さまって、掴みどころのない方ですよね、神出鬼没というか。
後宮内ではいつも彼の噂でもちきりでしたけれど。摂政さま自身は、どこか世間を達観しているような様子はありません?」
「確かに」
同じような思いを翠玄も抱かなかったわけではない。皇帝の腹違いの弟として生まれ、一度はその稀な外見から帝位に就くことを望まれたこともあると聞く。しかし彼は自ら位を兄に譲るよう進言して、自分は身を引いた。
宮廷ではいつも飄々としているが、時折見せる寂しげな顔を翠玄は何度か目にしていた。
「一介の端くれ身分の私たちには、預かり知らないこともあるということなのかもしれないわ」
「そうですね。出過ぎた真似をいたしました。今日は私も神経をすり減らしてクタクタです。夕餉は鍋にいたしましょう。炊事場から新鮮な野菜や肉や海鮮を持ってきますね」
そう言って、二人は家路についた。




