第三十七話 慧眼
「こちらが、我が秘蔵の品の一つ。異国で占術に用いられるという特別なお茶です」
狐蝶は侍女に命じて、白い茶器を二つと、急須に茶葉を入れて持ってこさせた。
「一見普通の茶葉のように見えますが、あら不思議。このようにお湯を注ぎますと、美しい瑠璃色のお茶になるのです」
狐蝶の言う通り、茶葉にお湯を入れて白い茶器に注ぐと、中から鮮やかな青色の液体が注がれた。周りの侍女から歓声にも似た声が漏れる。
「これは、神秘の力を秘めた特別なお茶なのです。飲む者の未来を予言します」
狐蝶は厳かに続けた。
「まずは芙蓉様。あなたの未来を占って差し上げます。ご自身の未来を思い浮かべて、お茶に念じてみてください」
言われて、芙蓉妃は茶碗を覗き込んだ。
「もしお茶があなたの未来を予見して、その未来に良き兆候があれば、お茶の色が変わるでしょう。変わらなければ、悪しき兆候となります。では願って」
そう言って、狐蝶は持っていた匙で芙蓉妃の茶碗をかき回す。
すると不思議なことに、先ほどまで深い青色だった茶が、見る間に鮮やかな紫色に変色したのである。
「まあ!」
「おめでとうございます、芙蓉様。あなたの未来にはきっと望むままの大きな幸福が訪れることでしょう」
周りからは歓声が上がった。
「次に翠玄様、あなたです」
狐蝶が同じように翠玄の前に置かれた茶器を匙で混ぜる。すると今度は翠玄の方のお茶に変化はなかった。
「あら、翠玄様。あなたの未来は前途多難ですね。誠に残念ながら、これからあなたは大きな困難に直面することになるでしょう。」
狐蝶は眉を顰めてそう言ってのけた。しかし、翠玄はこのとき、この女の手口をすでに見抜いていた。
「_狐蝶様、とても見事な占術でしたが、私にはあなたの手口がお見通しです」
翠玄は立ち上がった。
「芙蓉様、少しこの庭のものをお借りしてもよろしいでしょうか」
そう言うと、翠玄はそばの戸口から中庭に出て、外に植えられた植木の一つから、ある果実を一つもぎ取って持ってきた。
翠玄は説明し始めた。
「これは、異国のある地域のみで取れる珍しい花を原料とした茶葉です。異国では『妖精の涙』とも呼ばれます。この花から抽出されるこのお茶は、鮮やかな青みを帯びているのです。」
翠玄は自分の青いままの茶器を手に取った。
「しかしここに、柑橘類のような特定の成分を持つ薬品を加えること、ある反応を起こします。この反応により、お茶は紫色に変色するのです」
翠玄はそう言って、先ほど採ってきた柑橘の果汁を絞り入れた。
すると、先程の芙蓉妃のように、お茶は瞬く間に鮮やかな紫色に染まる。
「おそらく狐蝶様は、芙蓉様の茶器を混ぜる際に使った匙に、あらかじめこの成分を仕込んでおられたのでしょう。そうすれば、混ぜた瞬間に色が変わる。私の茶器には普通の匙を使ったから、変化しなかった」
「……」
狐蝶は黙って翠玄を見つめていた。
「これはとても珍しい種類のお茶で、私も現物を見たことはありませんでした。効能は書物に書いてあった通りのようですね。未来を予見できるというのは、些か過信しすぎと思います」
「流石、翠玄。見事な博識ね」
そばで見ていた芙蓉妃が思わず声を上げた。
「……確かに、翠玄様は後宮に取り立てられるほどの見識をお持ちということがよくわかりました」
狐蝶は静かに頭を下げた。
「どうかご無礼をお許しください。ここに持ち込んだ品々の中から、お好きなものを一つ差し上げますから」
狐蝶はそう言ってとりなした。
* * *
夕刻になって、狐蝶は陽春宮を去っていった。帰り道が一緒になった翠玄も家路へ向かう。
「翠玄様、先ほどはとんだご無礼をいたしました」
狐蝶が突然、真剣な表情で翠玄に話しかけてきた。
「しかし、私があなたに忠告したことに嘘偽りはございません。私には人の運命が見える力があるのです。そしてあなたの未来に苦難が待ち受けていることも、残念ながら嘘ではありません」
「どういうこと_?」
「今は信じてくださらなくても結構。でも私の小さな忠告として、気に留めていただいたら幸いです」
「_わかったわ。気をつけます」
確かに、狐蝶の言うことには一理ある。翠玄のような下賤の者が後宮に取り立てられるなど、前例がないことだった。これを良くないと思う者は必ずいるはずだ。それに、これから翠玄が関わっていく数々の事件が、翠玄自身を危険に巻き込む可能性は大いにあった。
「それから、これも私の戯言だと受け止めていただいて結構なのですが……」
狐蝶は少し躊躇ってから続けた。
「あなたも、私と同じ稀人でいらっしゃるのですね」
「えっ……?」
翠玄は思わず立ち止まった。
「時に、それは見た目にはわかりづらいこともあります。ただ私にはわかるのです。あなたは、他の常人にはないものを備えている」
狐蝶は翠玄をまっすぐに見つめた。
「お気をつけください。時にそれは、あなた自身の足元を掬うやもしれません」
それはどういうことかと問う前に、狐蝶は去っていってしまった。
翠玄は立ち尽くしたまま、彼女の後ろ姿を見送った。




