第三十五話 皇帝陛下
殺人事件解決から数日経ったある日のこと。
摂政は、先日殺人事件を見事に解決した翠玄を労おうと宮を訪ねていた。しかし、宮に翠玄の姿はない。
侍女の雀玲に行方を尋ねると、彼女はこう告げた。
「翠玄さまは今朝方、皇帝陛下からの招集を受けて、内廷へ向かわれました。」
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摂政が翠玄の宮を訪ねたその日、翠玄は皇帝陛下の呼び出しを受けて、宮廷内にある皇帝陛下の居城。内廷へと参上していた。
そこは陛下の御前に客人を招く為に設けられた大広間。内部は皇帝の威厳を象徴する豪華絢爛な空間であった。高い柱や天井には、皇家の象徴である麒麟の紋様が施されている。金箔の装飾と、高価な朱塗を贅沢にあしらわれた空間、その奥には皇帝の玉座が据えられている。
翠玄は、広間の中央に一人招かれていた。しばらくすると、皇帝がお出ましになる合図があった。翠玄は傅いて、深く叩頭してそれを出迎える。
陛下は静かに口を開いた。
「わざわざ呼び立ててしまいすまなかったな。面を上げよ」
言われて翠玄は顔を上げる。
そこには皇帝陛下が鎮座していた。前回の後宮茶会で遠目にその姿を見て以来。翠玄にとっては初めての直接の謁見となる。
こうしてまじまじと相まみえてみて、翠玄は思った。
皇帝陛下は義理の弟である摂政にはあまり似ていない。
摂政様よりも一回り年上の精悍な顔つきの男性であった。若いながら威厳のある佇まい、それと同時にどこか優しく、誠実そうな雰囲気を漂わせていた。
「このところのお前の活躍は義弟から聞いている。
今回も見事、殺人事件を解決に導いたとか」
「はい。皇帝陛下よりお褒めの言葉をいただき、恐悦至極に存じます」
翠玄は、跪いて再び深く口頭して応じた。
皇帝陛下はその様子を見て柔らかに笑う。
「そう固くならずとも良い。
私も、お前とは一度話をしてみたかったのだ」
陛下はそう言って、徐に翠玄を広間から連れだした。そして、内廷の裏手にある奥の庭まで出ていくと、先ほどまでの堅苦しい雰囲気を崩す。
屋敷の縁側の縁に佇みながら、陛下は口を開いた。
「義弟は随分と、お前の才を買っているようだ。」
陛下は視線を庭に落とした。
「義弟は、幼い頃から人にはない才を備えていた。
それは、彼が生まれつき、稀な髪色と瞳の色を備えていた事にも起因している。
年端も行かないうちから言葉を覚えるようになり、彼の言動や振る舞いは、不思議と周りを魅了してその懐に引き込んでしまう。
単なる稀人としてだけではない才能があった。」
陛下は、摂政様の幼少期について語り始めた。
翠玄にとって、摂政はどこか謎めいたところのある人物だった。こうして近しい立場の人から彼の生い立ちについて聞くのは新鮮に思った。
「当時は私よりも、彼のほうが次期皇帝にふさわしいと言う声もあったのだ。
だから、こうして私が彼の玉座を奪ってしまったのではないかと、今も後ろめたく思うことがある」
「陛下は正当な後継者でいらっしゃいます」
翠玄はすかさず否定した。
摂政自身も言っていた。彼は自分から皇太子の座を兄に託して、自分は摂政の座について陛下をお守りすることを選んだのだと。同時に彼は、皇帝陛下が玉座に就くことに疑いを持たなかった。
「そう。彼は自分から身を引いて、朕に玉座を譲った。しかし、お前も聞いているだろう。我が父が夢見枕に聞いた予言の話を」
翠玄は噂に聞いている、麒麟からの予言について思い出していた。
「ある日、先代の皇帝の夢見枕に神獣・麒麟が立ってこう言った。次の皇帝の御代に、秦国に大きな厄災が降りかかる。それは天地を覆すほどのもので、天災が降り注ぎ、地は荒れて疫病がはびこり、人々は闘い血の海と化す。
麒麟は、この厄災を鎮めんがために、自ら天より降り立ってこの危機を救うと言った。次の皇帝の御代に、この地に麒麟児が生まれてこの地を治めることで天災を鎮める。
さもなければ、地には悪鬼が蔓延って世は混乱し滅亡の一途を辿るだろう、と」
「陛下の父に当たる先代の皇帝が、そう言い残されたそうですね」
「ああ、そうだ。そしてそのすぐ後に、義弟である徠迦が生まれた。徠迦は、位の低い父の寵妃が授かった皇子だった。かの妃が徠迦を産み落としたとき、出産に立ち会っていた医師や侍女たちは息を飲んだ。彼の髪の色や瞳の色が常人とは異なっていたからな。」
翠玄は頷いた。
ここ秦国では、稀にこうした特異な外見を持つ者が生まれる。秦国では黒髪に黒の瞳を持つ者が一般的だ。しかし、こうした特異な外見を持つ者たちは「稀人」と呼ばれて、吉兆の証や聖人の素質のあるものとして重用されることが多かった。
予言があったすぐ後に、こうして後宮内に稀人の後継者が生まれることは、予言に対する期待を一気に高めたに違いない。
「しかし、義弟はある日突然、先帝や家臣たちの前で、私を皇太子とすることを訴えた。自分は義兄を支え、この国を支える柱となりたい、と。
そうして、彼は摂政の身に落ち着いて、以来あらゆる場面で私を支え、国を支えてくれている。彼の活躍がなければ、私の治世はここまで盤石なものとはならなかっただろう」
「陛下は、摂政様から愛されておいでなのですね」
翠玄は呟いた。
「ああ、幸運なことにな。だから、そんな聡い義弟が目をかけるお前を、私も買っているのだ。
これからも義弟を支え、彼の助けになってもらいたい」
そのように言われては、翠玄も断るわけにはいかない。
「陛下のご期待に添えるよう、わたくしも全力をとしてまいります。」
再び深く叩頭して陛下のご意思に従うと、陛下は柔らかく笑った。
* * *
夕暮れになって、翠玄が陛下のもとを去り家路を急いでいると、向かいから摂政がやってきた。
「君が陛下から直々に呼び出しを受けたと聞いて、心配になって見に来てみたんだ」
「_摂政様」
翠玄が摂政を出迎えると、彼は柔らかに笑った。
「義兄に何かされなかったか? 翠玄には指一本触れるなと、前々から釘を刺していたのだが」
急に現れたので何事かと思えば。
翠玄は思わず吹き出しそうになる。
「ご心配には及びませんよ」
「随分とと話し込んでいた様子だったが、一体義兄に何を吹き込まれたのだ?」
「これまでの活躍について、お褒めの言葉を賜っていただけです。
それから、あなたの生い立ちなども教えてくださいました。」
翠玄は、更にこう付け加えた。
「摂政様は、陛下に愛されておいでですね」
「我が義兄が私を? とんでもない。仏頂面で気難しい御人だったであろう。いつもああして私をこき使うのだよ。まったく、人使いの荒い御人だ」
徠迦はそう言って無邪気に嘆いていた。
「_あの、一つ聞いてもよろしいですか?」
翠玄は徐に口を開く。
「なんだ?」
「摂政様は、今の摂政としてのお役目でご満足なのでしょうか。あなたはその気になれば、皇帝の座に就くこともできたかも知れないのに」
そう言うと、徠迦は笑った。
「私は皇帝の器ではないよ。義兄様のほうがふさわしい。私は、人を見る目だけは確かなんだ。それに、私は高徳のある君主に付き従ってそれを支えるほうが性に合っているのだ」
「そうですか」
欲のない人だ。でも気持ちはわからなくもない。そうやって彼は自ら義兄を支えることを選んだのだろう。
金糸色の髪に、鮮やかな琥珀色の瞳が夕日によく映えている。この御人の考えていることはいまいちわからないが、そうやって人知れずこの国を影で支えているのに一役買っているのだろう。
「陛下にも直々に期待のお言葉を頂戴してしまったので、私も一層励まなくてはならなくなりました。摂政様こそ、いつも私に対しては人使いが荒いのです」
翠玄がむくれると、摂政は笑った。
宮廷内にはきな臭い噂や事件が後を絶たない。でも、こうして誰かの活躍によって世の安寧が保たれているのだと、翠玄は確かに感じたのだった。




