第三十一話 犯人の特徴
摂政は感心した。先ほど危険な実験のように見えた束縛であったが、あながち役に立っていたということか。
「すると捜査範囲はいくらか絞れるな。
しかし、同時に懸念が残る、この秦国において左利きの官吏などそういるだろうか。」
摂政は疑問を投げかけた。
秦国では、伝統的に、右手を使うことが正式であり正しいとされてきた。逆に左手を用いる者は「左獅子」と呼ばれ、邪門や不吉の暗示として忌避されている。例え生まれつき左利きの者が現れても、強制的に右手を用いるよう矯正される。一部で極稀に左手を用いる者がいるが、その数は極わずかだった。
「確かに、秦国では、多くの左利きの者は、幼い頃に右利きに矯正されます。なので、傍から見て、犯人を見つけるのは難しいでしょう。」
しかし、と翠玄は続けた。
「普段は右利きとして生活している者でも、ふとした仕草や特徴などでそれらを見分けることができるものなのですよ」
「というと_?」
「例えば、日常的に使用する筆や箸の扱いは右で行うが、今回のように刃物や裁縫、競技などを行う時に左手や左足で行う人が一定数いますね」
箸や筆などの一般的な道具は右手に矯正される事が多い。しかし、そうして矯正された者たちはすべての道具を右手で扱えるようになるわけれはない。一部に左利きの名残が残ってしまうことが多い。
「実は既に、私の方で何度か戸部の役人たちの様子を確認させていただいていました。その中で一人、気になる人物を見つけました。」
翠玄は、この考察を思いついた後、密かに何度か戸部へ足を運び、左利きの特徴がある人物を調査していた。
「その人物は、戸部で土地管理を担当している、”辰羅”という男です。
彼は、私の見立てが正しければ、左利きである可能性が高いです」
「ほう。」摂政は感心した。
「この後辰羅に直接会って話を聞く予定です。
よろしければ、摂政様もご同行をお願いいたします。何か分かることがあるかもしれません」
「わかった」
翠玄が提案すると、摂政はそれを了承した。
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「ところで、被害者の周りに張り巡らされていた、あの異様な蜘蛛の巣状の文様の意味について、何か分かったのか」
戸部に在籍している辰羅の元へ向かう道すがら、摂政が思い出したように尋ねる。
「ああ、あれですね…。」
すると翠玄は急に暗い顔をした。
「それが、あの後私も書庫の隅々までを確認したのですが、呪術やまじない、神話や伝記の類を調べても、全く同じ模様などどこにも見つからないのです」
翠玄はあからさまに肩を落とす。
翠玄自身も信じられないといった様子だった。
あの広大な礼部秘蔵の書庫においてでさえ収蔵されていないという事だ。今まで、このような未知の情報と遭遇することはなかった。
「あの書庫にさえ収蔵されていない情報とすると、かなり手強いな。」
摂政も唸った。
「何か意味のある文様であることは間違いないはずです。
そうでなければ、あのような手の込んだ事をするはずがない。」
犯人は、あそこまでして私たちに何かメッセージを伝えようとしている。
それは、翠玄が読んだ犯罪心理に関する書物から明らかだった。
「被害者が衣服を身につけていなかったことも踏まえると、何か儀式的な意味を感じるな。また、被害者の白い肌着姿は、まるで死に装束のようなものを想像する」
秦国では、死人を埋葬する際に、白い着物を着せて埋葬する習慣がある。
「ひょっとすると、これらはまだ、礼部の書物に記されるほど古いものではない、新しい宗派や呪術ということではないのでしょうか」
横で聞いていた蒼玄が唐突に声を上げた。
「我々が信仰する宗教や呪術というのは通常古来から伝わるものだ。
しかし、新たな宗教や教えの台頭によって、これまでなかった新しい宗教や呪術が生じる可能性がある」
「新興宗教のようなものですね」
翠玄は同意した。
「詳しいことは分からないが。派生となる新たな宗教や教えが密かに台頭していたとすれば、それは未だ礼部の書庫には収蔵されていなくてもおかしくはないだろう?」
確かに、蒼玄の言う通り、何か新手の勢力が台頭していて、それが宮廷に何らかの働きかけをしている可能性があった。
「犯人の目的は定かでは無いが
何にしても、あの様な残虐な行動を行う者を野放しにしてはおけぬ」
「なんとしてでも犯人を見つけ出して、今回の目的が何なのかを突き止める必要がありそうですね」




