第二十九話 現場検証
「犯人について、何か分かることがあるだろうか」
早速、摂政が翠玄に尋ねる。
「はい。これは、明らかに犯人が強い意思を持ってこのような殺し方をしたのだと断言できます。通常の犯罪ではこのような手の込んだ現場を残すことはありえません。
犯人は、いわば熱情とも取れる思いを我々に伝えるために、この幾何学模様の作品を形作ったのです」
「なるほど。では、犯人が伝えたいこととは何なのだろう」
このおぞましい光景を見て、摂政には想像もつかなかった。
「それについては、改めて調べる必要があります。
残念ながら今の私の知識の中に、この文様の意味については、該当するものが無いようです。」
そう言って翠玄は腕を組んで考え込んだ。
「お前の知識を持ってしても、知り得ないこともあるのか
_これは難解だな」
「ええ。書庫にはまだ私が読破していない分野の書物も多くありますから。早速調査に取り掛かりたいとおもいます。」
「では、捜査に協力してくれるのだな」
摂政は期待をこめて言った。
「はい、もちろんです。
むしろ、これは私にとって好敵手でございます。相手に不足はございませんよ」
「それは心強い。発見した役人や周囲の者たちは、きっとこれは昨今宮廷内に蔓延っている悪鬼の仕業ではないかと怯えていたのでな」
「悪鬼。確かに、これは人知を超えた何かの存在を暗示させているとも受け取れますね」
以前に書庫守りの胡湘も言っていた。昨今、宮廷内では恐ろしい悪鬼が蔓延っていているとか_。
「他に、現時点で何か分かっていることはありませんか。
捜査の手掛かりとなる情報について、聞いておきたいです。」
翠玄は、早速捜査に取り掛かった。
摂政様は頷くと、事件の概要を説明し始めた。
「殺害されたのは戸部の役人で、この戸籍庫の管理を任されていた。名を蓮照という。
犯行時間は、昨晩の遅くから翌朝にかけてではないかと言われている。彼は、この倉庫の官吏係として夜通しこの倉庫に籠もることが度々あった。昨晩もその予定だったようだ。」
「なるほど。」
「死因は、後頭部を殴打されたことによるもだろう。
凶器はまだ見つかっていない」
言われて翠玄が、貼り付けにされた被害者の背後に回ると、彼の後頭部には何かで殴られたような跡があった。
「逆さに縛り付けられたために死亡しだのではなく、犯人は彼を殺害した後にこのような磔にしたのですね。」
頷いた後、摂政は更に続けた。
「被害者や犯人の目撃情報については、現在調査中だ。しかし、犯行時間帯が深夜だということを考えると、目撃情報はあまり期待できない可能性がある」
戸部を含めて各官庁では、官吏たちの労働時間は朝八時から夜十八時までと定められている。一部の官吏達は、夜勤などで深夜まで残る者も僅かにいるが、その数は限られる。
「周辺の警備や、外門の門番などにも話を聞いて、不審な人物の目撃がないか確認しているところだ。」
現場は宮廷内。毎日何万という人々が行き来する、政治の中枢地である。深夜とはいえ、使用人たちや見張りの兵士たちも含めると、対象範囲は膨れ上がってしまう。
「犯人はおそらく計画的に今回の殺人に及んだのだと思います。」
このような手の込んだ殺害現場を残すには、事前に緻密な計画を練る必要があった。
「犯人は、被害者が昨晩この倉庫にいたことを、事前に知っていた者の犯行である可能性が高いですね」
「そうだな。まずは範囲を戸部内の役人に絞って捜査を行う予定だと聞いている。」
翠玄は、今度は殺害現場周辺を見渡した。
「遺留品や、その他犯人を特定する手がかりなどは見つかっていますか」
「取り急ぎここにあるもので全てだそうだ
凶器や、犯人のものと思しき痕跡は見つかっていない。」
倉庫内は整然と整理されており、争ったような形跡もない。
殺害現場を覗いては不審なものは無いように見えた。
「ところで、この遺体や現場は、しばらくこのままにされるのですか」
「いや、この後刑部の役人が遺体を回収し、身元や死因などに不審な点がないかを確認するそうだ。いつまでもここに置くわけにはいかぬ」
「わかりました。ではその前に、もう一度現場を隅々まで確認させていただきます。手がかりとなるものを一つも漏らさないように、この目に焼き付けておきたいので」
そう言って、翠玄は、そこからゆっくりと時間をかけて、遺体や倉庫内の周辺を一通り見て回った。一度見たものを細部まで記憶する翠玄には、わざわざ光景を書き留めたりする必要がない。
翠玄はまず、遺体の傷跡や、赤い紐の拘束状態などを念入りに記憶に焼き付けていく。摂政様は遺体や生々しい傷跡などに耐性が無いようで遠巻きにその様子を観察していた。
「犯人は、日頃からこのような束縛方法を行う事に精通していたようですね。」
被害者を磔にしていた紐の巻き付け方、結び目には一切の綻びがない。手慣れた様子であることが伺えた。
「被害者が衣服を着用していないことも、何か意味があるのでしょうか?」
遺体は、なぜか衣服を脱がされて肌着の状態で吊るされていた。遺体のそばには、被害者のものと思しき官吏装束が一式、脱ぎ捨てられていた。
秦国では、役人たちの服装は、その役職や位、所属する部署により細かく決められている。戸籍守をしていた蓮照の常服は青色で、盤領袍(上衣)には松の刺繍が施されている。
翠玄は更に倉庫周辺の現場確認を進める。
「摂政様、被害者の蓮照という男性は、相当に几帳面な性格であったようですね」
「というと?」
翠玄の後をついて回っていた摂政が首を傾げる。
「机の上に蓮照のものである硯と筆が置いてありました。
彼は律儀に自分の道具には全て名前を書いているようです」
翠玄が指差す先には、作業机があり、机の上に筆と硯が整然と並んでいた。翠玄がそのうち片方を持ち上げると、硯の裏に蓮照という名前が刻まれていた。
その後も注意深く現場を視察した後、翠玄は言った。
「ありがとうございます。あらかた見聞は終わりました」
「もう良いのか?」
「はい、必要な光景はこの目に焼き付けました。
これよりは私の方で、この遺体の周りの呪術のような文様、その他事件の手がかりについて整理させていただきます」
「済まないな。期待しているよ」
翠玄の集中した様子を見て、摂政は密かに頼もしいと感じていた。事件を依頼する前までは、この事件は彼女には荷が重すぎるのではないかと心配していた。しかし、その懸念は薄れつつあった。
「何か手がかりを見つけましたらご報告に参りますね」




