第二十七話 賢者の石‐辰砂‐
それから暫くたったある日のこと、翠玄は再び皇后様の下へ呼び出された。
「翠玄、よく来てくれたわ。先日は色々と教えていただきありがとう。おかげで体調は大分よくなりました」
皇后様は応接間に入ってくるなり、そういって微笑んだ。
「お腹の子も順調に成長しているようで、近頃は少しずつお腹の中で動いているのを感じるようになりましたよ」
皇后様は確かに、前回お会いした時よりもふっくらとして、顔にも血色が戻っている。
以前よりもお加減も良さそうだ。それに、お腹周りを見れば、下腹が少しふくよかになってきているような印象を受けた。
「体調が改善したようで安心いたしました。また、お子様も健やかそうで何よりです」
「これも、あなたの言いつけを守ったおかげですね」
この頃になると、皇后様の懐妊の事実は公のものとなっていた。これにともない、鳳凰宮内の警備は以前よりも一層厳重となっていた。
宮内への立ち入りは限られた側近や、身の回りの世話をする侍女たちに限られ、外部との接触は制限されている。
そんな中でも、皇后様は翠玄と会いたいと、わざわざ呼び寄せてくださったのだ。
「気分がよくなったので、こうして以前から贔屓にさせてもらっている方々と顔を合わせているの。相変わらず鳳凰宮に籠もりきりだから、少し気分転換がしたくて」
「そうでしたか。私も皇后様の元気なお姿を拝見できて嬉しく思います」
「これからもいつでも訪ねてきてね。あなたにはお世話になったから。」
あどけない表情で微笑む皇后様をみて、翠玄も嬉しくなった。
「そうそう。お近づきになった印に、今日はあなたに特別なものを見せてあげようと思ったの」
「特別なもの?」
皇后様はそう言って、侍女の一人を呼びつけて、奥の部屋から何やら小さな箱を持ってこさせた。
「これは、私の仲良くしている寵妃の一人から特別にいただいたものなのよ」
そう言って皇后様が箱を開けると、中には鮮やかな赤い宝石の欠片が収められていた。
「これは辰砂というの。別名を賢者の石とも呼ばれているわ」
「辰砂……」
その名を聞いて、翠玄はゾクリと心臓が跳ね上がった。
「隣国では古くから不老不死の妙薬として知られているのだそうよ。私も噂には聞いていたのだけれど、こうして実物を見るのは初めてだわ」
皇后様はそう言って、赤い石の欠片をうっとりと眺める。
「その妃の話では、これを少し削って飲み薬として服用してもよいし、顔料のようにして紅として指してもとても鮮やかな朱色に映えるそうよ」
「_皇后様は、実際にこれをお使いになられたのですか」
翠玄は慎重に尋ねた。
「いえ、まだよ。もったいなくて、こうしてしばらくは眺めているの」
「失礼ですが、すぐにその石を手放した方がよいかと思います」
翠玄は恐る恐る言った。
「えっ……どうして?」
「これは毒物にございます」
翠玄は真剣な表情で続けた。
「礼部の書庫に記録がございました。辰砂は鮮やかな朱色をした一見美しい鉱物ですが、猛毒の硫化水銀が含まれており、非常に危険なものです」
「毒……?」
皇后様は目を見開いた。
「はい。粉末の吸入や、加熱した際に発生する蒸気が特に有毒で、神経系への中毒症状を引き起こし、最悪の場合、死に至る可能性があります」
そう言われて、皇后様はすぐさま持っていた小箱を手放した。
「もしその鉱物が本物の辰砂であれば、非常に危険なものです。すぐに調べさせた方が……」
そう言って、翠玄がその箱に手を伸ばし、問題の鉱物を近くでよく確認しようとしたとき。
不意に横から侍女の一人が進み出てきて、翠玄を遮った。
「お待ちください。」
眼の前に立ちはだかった侍女が金切り声を上げた。
「さっきから聞いていれば、ぬけぬけと戯言を並べ立てて──
あなた、ひょっとしてこの珍しい辰砂に目がくらんで、皇后様を陥れようとなさっているのではありませんか?」
そう言って、侍女は翠玄を睨みつけた。
「そんなつもりはありません。あなたこそ一体何のつもりですか」
「皇后様、この者の言う事を信じないでください。
この辰砂を献上した桜香様がそのような危険なことをするはずがありません。」
聞けば、その侍女は皇后様とこの辰砂を献上した妃嬪・桜香妃を引き合わせた人物だった。
「桜香様は、かつて私が仕えていた妃です。あの方が皇后様を陥れるようなことをするはずがありません。この女は偽りを並べ立てて、貴重な辰砂を盗もうとしているのですわ!」
「そのようなことは_。それに、辰砂が毒物なのは事実です」
翠玄は冷静に反論した。
「確かに、この宝石は古来より不老不死の妙薬として知られています。しかし、最新の書物によれば、辰砂に不老不死を実現させる効果などはなく、逆に人体に有毒になることがわかりました。お疑いなら、専門の役人に知らせて調査していただいても構いません」
「皇后様、この女の言うことに惑わされないでください
私は決してあなたを陥れるようなことはいたしません。」
侍女はそう言って食い下がったが、皇后様は翠玄の申し出を聞き入れて、その石を調査させるよう命じた。しかし、念の為翠玄も参考人として役人に同行することになる。
翠玄は役人に連行された。そして調査が終わるまでの数日間、朝廷内にある刑部の役所内で過ごした。
数日後、調査が完了した。
確かに、辰砂には人体に有毒な成分が含まれていることがわかり、その場で翠玄は解放された。かの侍女と辰砂を献上した妃嬪・桜香妃は、役人に捉えられて取り調べを受けているとのことだった。
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役所に翠玄を見舞いに顔を出していた摂政様が、その後の経過を報告に来てくれた。
「問題の侍女と、桜香妃を尋問をしてみたが、二人ともあれが毒物であるとは知らないと突き通したよ」
摂政様は言った。
「それも無理はないでしょう。
辰砂の毒性については、未だに広く世間に周知されているものではありませんし」
彼女たちは悪意を持って辰砂を持ち込み、皇后様を毒殺しようとしたのか。または本当に善意のつもりであの石を献上したのかは定かではなかった。
「今回は仕方がない。私も辰砂の伝説は知っていたが、毒性があることは初耳だった。
世間にもまだ周知されていない情報のため、今回の件で彼女たちを暗殺者として捉えることはできなかったよ。
だが念のため、桜香妃は妃嬪を降格。そして侍女の女は皇后様付きを外されたそうだ」
「そうでしたか」
翠玄は少し考えてから言った。
確かに、以前に摂政様から聞かされていた通り、皇后様の周りには彼女の命を狙うものの影がつきまとっていた。それがどのような形で襲いかかってくるのかは、予想できない。
世間一般には伝説の重宝として知られているものも、実際には謳われているような効果はなかったり、今回のように逆に重篤な毒性を持つものがある。
大昔、かの石は「朱砂」や「丹砂」と呼ばれ、不老不死の妙薬として崇め建てられていた。歴代の皇帝達はこぞってこれを求め、摂取し続けたことで水銀中毒で死亡したとも言われている。正しい知識を身に着けることができなければ、こうして人知れず命を落とす者もあることを肝に銘じた翠玄であった。




