第二十五話 鳳凰宮‐皇后‐
それから数日後、再び紅葉が翠玄の宮を訪ねてきた。
曰く、皇后様が翠玄に会いたがっているので、鳳凰宮へ来ていただけないか、とのことだった。皇后様からの直々のお招きということもあり、翠玄は少しだけ緊張が高まったが、それを了承した。
翠玄は身支度を整えて、紅葉とともに皇后様のおられる鳳凰宮を訪れた。
鳳凰宮は後宮において最も位の高い宮である。以前茶会で訪れたことがあるが、なおもその荘厳な雰囲気は見る者を圧倒させた。
金塗りを余すところなく使われた宮殿。瓦屋根の上には二羽の鳳凰が、屋根の両端に向かい合わせで羽を広げている。屋敷にはまた優美で広大な庭園が据えられていた。
趣向を凝らして配された小川の所々に、鮮やかな朱塗りの橋や水亭が据えられている。そしてその端や小川のほとりには、多種多様な樹木や花々が惜しげもなく飾られていた。
まるでこの世の楽園のような、女仙の住まう天界の風景を彷彿とさせる。贅沢の限りを尽くされた光景が広がっていた。
屋敷の応接間に通されると、程なくして皇后様がお成りになった。
以前の茶会で遠目に姿を見たことはあったものの、こうして対面で顔を合わせることはなかったので、翠玄は少し緊張していた。
「この度はお招きいただきありがとうございます。
お初にお目にかかります。翠玄と申します」
翠玄は深く叩頭して挨拶を行う。
皇后はまだあどけない表情の残る若い艶やかな顔の美女であった。翠玄よりも幾分年上であろうか。白い陶器のような肌、淡桃の頬に朱塗りの唇、憂いを帯びた漆黒の瞳は、陛下の寵愛を一心に受けるにふさわしい。
「今日はよく来てくれたわね。先日、この紅葉からあなたに色々とお世話になったことを伺いました。私も会えてとても嬉しいわ」
「恐縮にございます……」
「あなた達が用意してくれた咖喱面包、とても美味しかったわ。
わざわざ文献を調べて、故郷の味を再現してくれたそうですね」
「はい、お口に合いましたでしょうか」
「ええ、とても美味しかったわ」
皇后様は微笑んだ。
「紅葉から聞いているように、私は西方の出身なの。慶州では古くから印国との交易が盛んで、調味料なども異国のものを食することが多かったの。あの独特の香辛料の香りと、刺激のある辛さが忘れられなくて」
「お気に召していただけたようで安心いたしました」
「流石、噂通りの博識の持ち主ね」
皇后様は鈴を転がすような声で笑った。
「あなたの噂はかねがね聞いているのよ。摂政に使わされて、宮廷内の怪異を解いて回っているのだそうですね。聞けば、事件を実際に目にせずとも、話を聞いただけで真実を暴くことができるとか」
「もったいないお言葉でございます」
「聡明な方が後宮におられるのは、とても心強いことだわ。これからも頼りにしているわね」
皇后様は翠玄をねぎらった。
しかし以前に茶会で顔を拝見した時のように、皇后様は依然として以前に比べて顔色が優れない。気丈そうに振る舞ってはいるが、今は少し顔周りが痩せて、やつれているように見える。
「……皇后様。その後、お体のご加減はいかがでしょうか」
思い切って尋ねると、皇后様は少しだけ顔を曇らせる。
「すでに紅葉から聞いていると思うけれど、あまりよくないの。懐妊がわかった先月なのだけれど、以来ずっと体調が優れない日々が続いていて……」
皇后様は急に弱々しい声色になって呟く。
「そうですか……」
「いただいた咖喱面包はなんとか食べられたわ。でも他の食材はあまり受け付けないみたい。以前は好き嫌いせず、食事には困らなかったのに……」
「……悪阻でございますね」
言うと、皇后様は頷いた。
悪阻は妊娠初期(約五週間頃)から、おおよそ四ヶ月目までの安定期までの間に症状が現れることが多い。主な症状は吐き気、嘔吐、食欲不振、特定の食べ物や匂いへの嫌悪感、強い眠気やだるさなど。これらは妊娠による体の変化の影響などが原因と考えられているが、正確なことはわかっていない。
「医官にも度々相談しているのだけれど、自然現象のようなものだからあまり気にすることはないと言われてしまって……」
「それはお辛いですね……」
「悪阻は多くの妊娠初期の女性に現れる症状です。個人差がありますが、無理せずに食べられそうなものから少しずつ、こまめに摂取することで、吐き気や胸焼けを緩和できるそうですよ」
翠玄はそう言って、書庫で得た知識を皇后様へ披露した。




