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冥土駅(不思議系)

佐藤亮介さとう りょうすけ、32歳。

広告代理店に勤める彼は、今日も夜遅くまで残業をしていた。

気づけば日付は変わり、終電の時間が迫っている。


「……間に合った」

駅のホームに滑り込んできた電車に飛び乗り、ほっと息をついた。


だが、座席に腰を下ろしてふと周囲を見渡した瞬間、違和感が全身を覆った。


車内は古びた木目調の内装。

蛍光灯ではなく、裸電球がぶら下がり、揺れるたびにオレンジ色の光が不気味に瞬いている。

窓枠は錆びついており、まるで昭和初期の車両のようだった。


「……なんだ、この電車」


慌ててスマホを取り出すが、画面の隅には「圏外」の表示。

いくら更新しても、電波は一切拾えない。


さらに周囲の乗客に目をやると、誰一人として声を発さない。

みな無表情で、前だけをじっと見つめている。

スーツ姿の男、買い物帰りの主婦らしき女性──そして、この時間にはありえない、小学生くらいの子どもまでが混じって座っていた。


子どもは白い服を着て、膝の上に古いランドセルを抱えている。

目が合った気がした瞬間、佐藤の背中を冷たい汗が伝った。


「……ここ、本当に終電か?」


車輪が軋む音だけが、静まり返った車内に響き続けていた。

ガタン──と車体が揺れ、電車は速度を落としていく。

「次は……めいど、めいど……」

ノイズ混じりのアナウンスが響いた。


「……冥土?」

聞いたことのない駅名に佐藤は眉をひそめたが、周囲の乗客は表情を変えない。

全員が一斉に立ち上がり、まるで糸で操られる人形のように降車口へと向かっていく。


扉が開くと、佐藤も流れに逆らえず、ホームへと足を踏み出した。


駅は異様に静かだった。

改札口には古びた木製の看板が掲げられており、そこには墨字で「冥土」とだけ書かれている。

灯りは薄暗い行灯ひとつきり。


「すみません、ここはどこなんですか?」

隣を歩く老人に声をかける。


だが、返事はなかった。

その目は虚ろで、佐藤の存在に気づいていないかのように改札を通り抜けていく。


「……あの、すみません!」

今度は若い母親らしき女性に呼びかける。だが彼女も無言で歩き去り、子どもすら瞬きひとつしない。


佐藤は焦り、行き交う何人もの肩を叩いた。

しかし、誰一人として振り向かない。まるで自分が存在していないかのように──。


改札を抜けた先の街は、不気味な静けさに包まれていた。

古びた木造家屋が並び、ガス灯のような街灯がぼんやりと光を投げている。


佐藤は恐怖をこらえ、通りを歩く男に声をかけた。

「すみません! ここはどこなんですか!?」


──無反応。


すぐ横をすれ違ったにもかかわらず、男はまるで佐藤が存在していないかのように真っ直ぐ歩いていく。


「聞こえてないのか? おい!」

佐藤は咄嗟に肩をつかんだ。


だが、指先には空気しか触れなかった。

すり抜けるようにして、男はそのまま前へ進んでいく。


「……嘘だろ」


試しに近くにいた女性の腕をつかもうとする。

だがやはり、手は虚空をなぞるだけ。

佐藤の存在そのものが、ここでは“干渉不可能”になっていた。


まるで──幽霊が生きている人間に触れられないのと逆に、

生きている自分が“死者の街”に触れられないのだ。


背筋に氷のような冷たいものが走る。

「ここ……冥土って、そういうことか……?」


街を歩く人々は相変わらず無表情だった。

彼らは誰一人として佐藤の声に反応せず、視線すら合わせない。

ここでは自分は存在しないのだと、嫌でも理解させられる。


「……夢だよな、これ」

佐藤は弱々しく呟きながら、必死に理性を保とうとしていた。


その時だった。


ふと視線の先に、一人の通行人がいた。

やはり顔に表情はない。

けれど──他の者たちとは違う。

何か、説明できない「違和感」があった。


「……すみません!」

思わず声をかけた。


その瞬間、通行人がぴたりと足を止め、ゆっくりと振り向いた。


佐藤の心臓が凍りつく。

「……見えた? 俺が……見えてるのか……?」


無数の人々の中で、たった一人。

こちらの存在を認識しているかのように、確かに目を合わせてきた。


だが、その瞳は──生気を感じさせない、深い闇のような色をしていた。


佐藤が声をかけたのは、二十代半ばほどの若い女性だった。

古風なワンピース姿で、顔には無表情が張り付いている──はずだった。


しかし彼女は、ゆっくりと口を動かした。


「……あなたも、こっちに来てしまったのね」


佐藤は思わず息をのむ。

「えっ……!? 俺の声が……聞こえてるのか……?」


女性は頷いた。

「みんなには届かない。ここにいる人たちは、生きている人間を認識できないの」

「じゃあ……あなたは?」


女性は俯き、かすかに震える声で答えた。

「……私も、死んでいるはずなのに……なぜか、あなたの声だけが届くの」


佐藤の背筋に寒気が走る。

自分はまだ生きている。だが彼女は、この“冥土の住人”。

そのはずなのに、なぜか2人の間だけは交わってしまった。


佐藤は必死に尋ねる。

「ここから……戻る方法はないのか? 俺は帰りたい!」


女性は一瞬考え込み、静かに言った。

「一つだけ……あるかもしれない」


佐藤は縋るように詰め寄った。

「それは……!?」


女性はゆっくりと佐藤を見据える。

「──この電車はね。“自分がここに来た理由”を思い出した人にしか、再び現れないの。だから、私は戻れない」


佐藤は絶句する。

「理由……?」


女性は淡々と続ける。

「みんな自分でも気づかないうちに“ここに来る資格”を得てしまった人たち。だから冥土駅に降ろされる。あなたも、きっとそう」


佐藤の心臓が激しく脈打つ。

思い出せというのか。

自分が“冥土”に呼ばれてしまった理由を──。


佐藤は必死に言葉を絞り出した。

「……じゃあ、この街にいる人たちは? あの電車は? 一体、何なんだ……?」


女性はしばらく黙り、街を見渡した。

無表情な人々が無音の行進を続ける中、彼女はぽつりと口を開いた。


「……あの電車は、境界線を越えるためのもの。

“こっち側”に来てしまった人を運んでくるのよ」


「じゃあ、あの乗客は……?」


「……まだ、自分が死んだことに気づいていない人たち。

だから無表情なの。感情も、声も、置いてきてしまったから」


佐藤は凍りついた。

自分が触れようとしてもすり抜けた理由が、ようやく理解できた。

(……死者だから、か……)


女性はさらに続けた。

「この街で彷徨っている人たちは、思い出せないのよ。

どうして死んだのか、なぜここに来たのか。

だから、ただ歩き続けるだけ」


佐藤は恐怖と混乱で息を荒げながら、縋るように尋ねた。

「……じゃあ、あんたは? どうして俺と話せるんだ?」


女性は微かに笑った。

「……わからない。ただ一つ言えるのは──あなたはまだ“完全には死んでいない”。だから私に見える。あなたが最後の境界にいるから」


佐藤は女性に問いかけた。

「……どうすれば、戻れるんだ? 俺はまだ、生きてるんだろ……?」


女性は静かに頷き、ポケットから一枚の紙を取り出した。

それは黄ばんだ切符だった。墨で「冥土→現世」とだけ記されている。


「これを渡すわ。あなたにはまだ戻る権利がある。……でも、私は違う」


「待て、一緒に……!」

佐藤は思わず彼女の手をつかもうとした。だがやはり、指先は空を掻くだけ。


女性は淡く微笑んだ。

「大丈夫。私はここで過ごす理由があるの。あなたはまだ、帰るべき場所があるでしょう?」


その声はどこか透き通っていて、次の瞬間にはもう群衆の中に溶けて消えていた。


佐藤は切符を胸に握りしめ、足を駅へと向けた。

改札口には、先ほどと同じ木製の札──「冥土」。

薄暗いホームには、無人の電車がひっそりと停まっていた。


佐藤は震える足を動かし、扉を跨いで車内に入る。

誰もいない座席。軋む車輪の音。

やがて視界が揺らぎ、瞼が重くなっていく。


……気づけば、肩を叩かれていた。


「お客さん、終点ですよ」


顔を上げると、そこはいつもの最寄り駅。制服姿の車掌が怪訝そうに見下ろしていた。

慌てて立ち上がった佐藤は、夢だったのかと自分の頬を叩く。


だが──ポケットに手を入れた瞬間、息を呑んだ。

そこには、あの黄ばんだ切符が残っていたのだ。


「冥土→現世」


墨の文字が、今もはっきりとそこに刻まれていた。


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