第4話
僕、野々原勇気15歳!
困った人を見ると放っておけない、ごく普通の高校生――だったはずなんだけど、ある日突然僕の足が速くなってから、さぁ大変!
引ったくりとか女の子を狙う殺人鬼を何とか捕まえたと思ったら、今度は変なウサギの姿をした自称妖精だって!? しかも僕の体がおかしくなったのはそいつのせいで、しかもこれからその能力を使ってヒーローになれだなんて言い出した!
これから僕、一体どうなっちゃうんだ~!?
暖かな陽気に包まれ、窓から可愛らしい小鳥の囀りが聞こえてくる穏やかな朝。
そんな気持ちの良い雰囲気に包まれながら、ベッドの上で上体を起こす勇気はうんざりした表情を浮かべていた。
そんな彼の視線の先には、絵本の中から飛び出したかのような、球体のウサギに羽根が生えたとしか形容できない謎生物。
「おはよう、勇気! 今日も気持ち良い朝だピョン!」
「……夢じゃなかったかぁ」
「夢じゃないピョン! 現実だピョン!」
* * *
いつものように制服に着替え、いつものように学校指定の鞄を持ち、今日はゴミ拾いの予定も無いので昨日より少し遅い時間に家を出る。川を渡って駅に近づくにつれて周りを歩くサラリーマンや学生の姿も多くなっていき、友人同士で登校する学生達の談笑する声がそこかしこから聞こえてくる。
その光景は間違いなく、昨日までの勇気にとっては見慣れたものであり、
しかし今日の勇気にとっては、決定的に印象の異なるものだった。
「ねぇねぇ、昨日のテレビ観た!?」
「アイの新曲でしょ!? めっちゃアガる曲だったし、アイもめっちゃ可愛かったよねぇ!」
「今度のライブって、確かこの近くにあるアリーナだったよね! チケットの倍率高いんだろうなー」
「この前も結局当たんなかったし、全然当たる気しないわ――」
「あーあ、どっかに良い女いねぇかなー」
「また振られたのかよ。早くね?」
「いやいや、別に振られたとかじゃなくて、よく話し合った結果お互いの将来を考えてその結論に至ったという前向きな――」
「言い訳すんな」
「お、おはよ! 高橋くん……」
「う、うん。おはよ、金城さん……」
「えっと、せっかくだし、一緒に学校行かない……?」
「う、うん、そうだね……。せっかくだし、ね……」
周りを歩く人が多くなるにつれて、というよりも周りで談笑する人の数が多くなるにつれて、1人で黙々と歩く勇気の表情がだんだんと険しくなり、その顔色も悪くなっていく。
「うぅ、気分悪い……」
「勇気、どうしたんだピョン? 風邪でも引いたのかピョン?」
「違うよ。周りの声がうるさくて……というか、僕の耳が良すぎるのか……」
周りの通行人に聞こえない程度に小さな声で勇気はそう返事をして、頭痛を抑えるようにこめかみに手を遣った。
「能力を使い慣れてないからだピョン。その内必要な情報だけ無意識に聞き分けられるようになるピョン」
勇気に話し掛けるのは、背中の羽を一切動かさず勇気の頭上を元気良く飛び回るピョン吉だった。羽の生えた喋るウサギなど見つかれば大騒ぎ間違いなしだが、通行人がそれに気づく気配は微塵も無い。
――誰もコイツに気づいてない……。周りにはコイツが見えてないってのは本当なんだ……。
女児だけを狙う連続殺人犯を捕まえた場面で姿を現した自称妖精、ピョン吉。
彼(性別の概念は無いらしいが名前的にこう呼称する)は地球から遠く離れた惑星からやってきた生命体であり、自分の認めた相手に戦うための“能力”を授けることができる、らしい。日本を含めた世界中で活躍している“ヒーロー”は皆が彼のような妖精から能力を授かり、そして彼らのサポートを受けて日々活動している、らしい。
つまり勇気の足が突然速くなったのも、遠くで助けを求める声が聞こえるほどに耳が良くなったのも、全てはこのピョン吉が能力を与えたからである。本人の許可無く。
「ねぇ。いつまで俺についてくるの?」
「ヒーローになった勇気をサポートするのは、妖精であるボクの役目だピョン!」
「いや、まだなるって決めたわけじゃないから」
そしてピョン吉が勇気に能力を与えたのは、こうして話しているように彼をヒーローにするためだった。どうやら彼はずっと前から彼に目を付けていたらしく、勇気の普段の行動からヒーローの素質があるかどうか見極めていたのだそうだ。本人の許可無く。
「何を迷ってるピョン? 人助けとかゴミ拾いが趣味の勇気なら、二つ返事で引き受けると思ってたピョン」
「別に趣味とかじゃないよ。見て見ぬ振りをするとモヤモヤした気分になるから、自分で片付けてスッキリしたいってだけ。――というか、ヒーローになるかどうかなんて、そんな簡単に決めて良いことじゃないでしょ」
「勇気なら、立派なヒーローになれるピョン! 能力を授かった瞬間に引ったくり犯を捕まえたし、女の子ばかり狙う怪人だってやっつけたピョン!」
「あれは偶々上手くいったってだけで――」
と、発言の途中だったにも拘わらず、勇気が突然口を閉ざして黙り込んだ。ピョン吉が首を傾げるが、すぐに察したようで何も訊かなかった。
勇気の背後からこちらに駆け寄る足音が、徐々に大きくなっていく。
そして勇気まで後1メートルほどのタイミングで、地面を強く蹴って大きくジャンプする音となった。
「よう勇気! おっはよー!」
そしてその勢いのまま、足音の主である清春は挨拶がてら勇気の背中をバンッと強く叩いた。
しかし勇気は突然の大声に驚くことなく、背中を叩かれた衝撃で身じろぎすることも無く、シレッとした表情を清春に向けた。
「おはよ、清春」
「あれっ、全然驚いてない。いつもならめっちゃビクッてなるのに」
「さすがに何回もやられたら慣れるでしょ」
「うーん、そうかなぁ……」
納得いってない様子で首を傾げる清春に、内心ドキドキで身構える勇気。
しかし清春にとっては些細なことだったらしく、すぐさま気を取り直して話題を切り替えた。
「そういや勇気、今朝のニュース観たか?」
「えっと……。どれの話?」
「おいおい、今朝のニュースって言ったら1つしかないだろ」
笑顔でそう言い放つ清春に、勇気は心の中で覚悟を決めた。自分が関わった事件のためできれば話題にしたくなかったが、地元で起こった連続殺人事件が解決した話題にまったく触れないというのも不自然だ。
「確かに、犯人が捕まって良かったよね。この辺に住んでる小学生とかその親も、登下校の度に凄く怖かっただろうし」
「へっ? いやいや、それじゃなくて」
「これじゃないの!?」
思わず威勢の良いツッコミを入れてしまった勇気に、清春はチッチッと人差し指を立てて横に振る。
「今朝のニュースって言ったら、モデルのINAが久し振りにヒーロー活動をしたってヤツに決まってるだろ!」
「……それって、そんなに重要なこと?」
「おいおい、何言ってんだ勇気! INAは現役のヒーローだけどモデルとかの芸能活動が忙しいから、ヒーロー活動に参加するのはかなり珍しいんだぞ! まぁ、今回も他のヒーローが戦ってる間の避難誘導とかだけなんだけど、それだってかなり貴重なんだからな!」
尋常でない熱量を伴って迫り来る清春を、勇気は「分かった分かった!」と言いながらグイッと押しやった。
「この子、ヒーローマニアだピョン? 昨日の事件の犯人が怪人だったって事実は報道されてないから、あんまり興味が無いんだと思うピョン」
頭上をフワフワと漂いながらそう話すピョン吉に、確かにそんなものかと勇気は思った。自分があの事件を強く意識しているのは犯人逮捕という形で事件に関わった当事者だからであり、それまではすぐ近くで起こっていた事件にも拘わらず自分とは遠い世界の出来事のような感覚だったことは否めない。
実際にはその事件によって大切な家族を失った人々がいて、様々な形で傷つけられた人々が多くいるというのに。
「……どうした、勇気? やけに感傷的な顔になって」
「いや、何というか、もう少し真剣に世の中の事に目を向けてみようかなと」
「…………?」
脈絡の無い勇気の言葉に、清春はただ首を傾げるだけだった。
「だから俺は言ってやったわけよ。『おまえそれ、サンフランシスコだったら殺されても文句言えないぞ』ってな」
「日本だったおかげで命拾いしたね、その人」
取り留めの無い会話を交わしている内に、勇気と清春は学校の校門へと辿り着いた。昨日は遅刻ギリギリだったため急いで駆け抜けたこの場所も、今日は他の生徒達と同じようにゆったりとした足取りで向かうことができる。
と、その校門の脇に見知った顔を見つけた勇気の足取りが心持ち早くなった。隣を歩く清春も、自然とそれに釣られる形となる。
「おはようございます、会長」
「あら野々原くん、おはようございます。真田くんも、おはようございます」
「おはようございます」
艶のある長い黒髪に切れ長の目が年齢以上に大人びた印象を与える、如何にも優等生といった出で立ちの女子生徒――遠原和美。
そんな彼女の腕に巻かれた腕章には、勇気の呼び名が示すように“生徒会長”という役職が記されていた。
「野々原くん、今日は会えましたね。昨日もこうして挨拶運動をしていたのに、野々原くんは遅刻ギリギリでしたもんね」
「えっと……、すみません」
「ですが会長、勇気が遅刻ギリギリだったのは、いつものように人助けをしてたからで――」
清春が助け舟を出そうと横から口を挟むと、和美は会話を邪魔されたことに腹を立てる様子も無く、むしろ楽しそうに口元に手を当ててクスリと笑った。
「えぇ、分かってますよ。それに昨日の場合、行きだけでなく帰りにも何やら大活躍だったとか」
「大活躍? えっと――」
「今朝の職員室はそれで持ち切りですよ。引ったくりを捕まえただなんて表彰物ですからね」
一瞬顔を強張らせた勇気だったが、和美の話を聞いてホッと胸を撫で下ろした。その引ったくりの後に起きた方を指してるのかと思ったからである。
「ですが野々原くん。困った人を放っておけないのはあなたの美徳ですが、あまり危険なことに首を突っ込んではいけませんよ。1歩間違えたら大怪我を負ってたかもしれないんですから」
「えっと、そうですね……。昨日、警察の人にも同じことを言われました」
正確には引ったくり犯を捕まえたことに対してではないのだが、言葉が足りないだけで嘘を吐いたわけではない。
「それなら大丈夫です。――ところで話は変わりますが、今度のゴールデンウィークに生徒会でゴミ拾いのボランティアに参加する計画があるのですが、野々原くんも一緒にどうですか?」
「はい、大丈夫ですよ」
「いつもありがとうございます。真田くんも、良かったらどうです?」
「えーっと、まぁ、勇気が参加するって言うなら、俺も付き合いますよ」
「感謝します。詳しい日時は、決まってからまた連絡するということで」
そんな和やかな会話を交わしてから、勇気と清春は校門を通り抜けていった。
勇気の通う学校は駅の近くにあるため、正面の道路も片側2車線で中央分離帯が設置された幅の広いそれとなっている。今は通勤の時間帯でもあるため、勇気達が会話を交わす間も多くの車がエンジン音を鳴らしながら行き交っている。
そんな中、校門から少し離れた場所に路上駐車する1台の乗用車があった。黒塗りのそれは周りの景色が反射するほど丁寧に磨き上げられており、所有者のマメな性格が窺える。
「あの子が例の……。今は声を掛けない方が良いな」
「あまり人目に付かない方が良いですもんね。それにしても、生徒会長にもああして声を掛けられるなんて、模範的な生徒として知られているようですね」
「やはり妖精に目を付けられるだけはある、というところだろうな」
そんな車の中には1人の男性と1人の女性がおり、座席に深く腰掛けた状態で校門の様子を、というよりそこで会話をしていた勇気の様子を眺めていた。
勇気の姿が見えなくなったところで、運転席に座る男性が助手席に座る女性へと呼び掛ける。
「声を掛けるのは放課後にしよう。寄る所もある」
「分かりました」
そんな遣り取りを経て、車はゆっくりと動き出してその場を離れていった。
* * *
そして、放課後。
それぞれの教室でホームルームが終わった途端、生徒達の帰り支度や談笑する声で途端に学校中が騒がしくなった。部活のある者は足早に運動場や部室へと向かい、そうでない者はゆっくりと帰り支度をしながら仲の良い友人達とこの後の予定について話し合ったりするのだろう。
勇気も鞄に教材や文具を詰め込んでいると、一足先に身支度を終えた清春が彼の席へと歩み寄ってきた。
「勇気、帰ろうぜ~」
「ちょっと待ってて」
そう言いながら支度を進める勇気が、ふと一瞬だけ窓の外に目を遣った。その間も手は止まっていないので、特に彼に注目していなかった清春はそのことに気付かない。
「ゴメン清春、用事あるのを思い出したから先に帰っててくれる?」
「用事? 用事って何だよ?」
「ちょっとね」
内容については話さない勇気に、清春は首を傾げるも「まぁ仕方ないか」と特に追及する様子は無かった。
「じゃ、また明日な」
「うん、また明日」
教室を出ていく清春を、勇気は手を振って笑顔で見送った。
そんな2人の遣り取りを、ピョン吉が勇気の頭上辺りをフワフワと漂いながら眺めていた。
当然それを知るのは、彼を見ることのできる勇気だけである。
校門を出た勇気は、普段使っている通学路とは反対方向へと歩き出した。とはいえそちらにもベッドタウンらしくマンションも併設された住宅地が存在し、住民にとっての憩いの場兼いざというときの避難場所としての公園が存在する。
面積も広めで多くの遊具が取り揃えられているそこには、それで遊ぶ子供達だけでなく彼らを連れた親も多く訪れており、公園内は賑やかな子供の声や親達の談笑する声で溢れている。そんな公園に足を踏み入れた勇気は、若干居心地悪そうに身じろぎしながら公園の端にある誰も使っていないベンチへと腰を下ろした。
一息吐くように体の力を抜き、軽く目を閉じる。
そして目を開けると、呼び掛けた。
「僕に何か御用ですか?」
その声に、勇気に歩み寄っていた2人の男女が足を止める。その男女は、朝の校門前で勇気のことを車の中から眺めていたあの2人だった。
しかし2人は驚いた様子も無く、女性の方は人懐っこい笑みで、男性の方は無表情のまま口を開く。
「やっぱり気付いてたかぁ。さすがだね」
「不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」
「不快ではないですけど、気にはなりました。朝も校門の前で僕のことを見てましたよね?」
「ごめんなさい。普段の君の様子を一度見てみたかったから」
「我々のことはピョン吉氏からは?」
普通の人間には見えない存在であるはずの妖精の名前を出してきたことに対して、勇気は特に驚きを見せなかった。やはりそれの関係者か、と心の中で思っただけである。
「いいえ、何も」
「どうせ近い内に来ると思ったから黙ってたピョン!」
むしろ勇気の頭上に姿を現してそんなことを宣うピョン吉の方に、勇気の感情は向けられていた。主に怒りだとか呆れといった感情を。
「ご、ごめんだピョン。ボクだって、まさかこんなに早く来るとは思わなかったんだピョン」
それを察したのかピョン吉が言い訳めいた言葉を並べていると、男性が気を取り直すようにコホンと咳払いをした。
勇気の意識が、ピョン吉から男性の方へと戻される。
「では自己紹介を。我々は“怪人対策局”人事管理課の広瀬です」
「同じく三澤です。よろしくね」
「知ってると思いますけど、野々原勇気です。それで、何の御用ですか?」
勇気の問い掛けに、広瀬と名乗った男性が若干目つきを細くした。
そして、公園の外に停めている黒塗りの車へと視線を向ける。
「その件ですが、場所を移しませんか? 聞かれたくないことも有りますし」
「……えぇ、良いですよ」
広瀬の提案に、勇気も目つきを細くしてそう答えた。