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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

解き明かすシェリーク

「それは真でございますか?」


 凛とした、しゃんとした、落ち着き払った声が問う。シェリーク・アーサー・ディクシア公爵令嬢は、自らに向く敵意に正面から受けて立った。彼女を見る目は、およそ味方に向けるものではないというのに。


 それを受けて、相手はますます怒りを募らせる。


「この雨の中でわざわざ出向いたのだ! 偽りでなどあるものか! シェリーク、お前がエリーンに行った数々の傷害、窃盗、損害行為の調べはついているのだ! エリーン・レイルダ男爵令嬢への謝罪を要求する!」


 場所は、シェリークの自室。公爵家二階の、最も日当たりの良い場所だが、今日はあいにくの雨である。

 シェリークがお気に入りのテラスでお茶を楽しんでいると、婚約者であるジェファーソン王子が怒鳴り込んできた。その隣に怯えた様子の令嬢を伴い、シェリークがお茶を一杯飲み終えるほどの時間をかけた誹謗中傷をした後、冒頭の言葉へと繋がるのである。


 一応の注釈をするならば、シェリークには全く身に覚えのない話だった。

 しとしとと降る雨を眺めて紅茶を飲む彼女には、王子の来訪自体思ってもみない出来事である。


「具体的には何がございましたの?」

「とぼけても無駄だ! 彼女の私物を噴水に捨てるところを多くの者が見ている!」

(わたくし)がその私物とやらを持っていたとして、なぜそれがエリーン男爵令嬢の物であるとわかるのでしょう?」

「お前が噴水に捨てたところを見ていた者がいて、後にその場所からずぶ濡れの私物が発見されたのだ! 動かぬ証拠であろう!」

「そうでしょうか? ちなみにそれはいつの事ですか?」

「そんな事は関係がないだろう!!」


 シェリークは肩を竦める。


「それだけではない! 彼女のあらぬ噂を広めたのもお前だな!」

「よくわかりませんわ。彼女のどんな噂が広められていますの?」

「娼婦の娘だとか、身を売っているだとか、裏で非合法組織と繋がっているだとか、ともかく耳を塞ぎたくなるほどの事ばかりだ! 当たり前ではあるが、全て事実無根である!」

「なぜ(わたくし)が噂の発信であると?」

「地道な調査の結果だ。我が王家は貴様のような悪辣を許してはおかぬ!」


 シェリークはため息をつく。

 雨音が遠ざかるが、しかしどうにも彼女の気分は落ち込んでいた。


「挙げ句の果てに、貴様は彼女を階段から突き落としたな! 私が受け止めていなければどうなっていたか!」

(わたくし)がその場にいたのなら、なぜその時捕まえませんでしたの?」

「白々しい! まんまと逃げたくせをして! 顔までは見られていないと思っていたのだろうが、私は見逃さなかったのだ!」

「見たのは(わたくし)一人ですの? (わたくし)はいつも使用人のジェーンと一緒にいますけれど、彼女の事は見ませんでしたの?」

「お前一人だった。適当な言い訳をして一時的に一人となったのであろう!」


 シェリークは、今日も部屋の隅に控えているジェーンと顔を見合わせる。


「さあ観念しろ! 貴様がやったという証拠は上がっているのだ!」

「その前に、質問に答えてくださらないと」

「何を図々しい! 貴様は……」

「エリーンさん」

「は、はい!?」


 怯えてジェファーソンの腕にしがみついていたエリーンが、飛び上がらんばかりの勢いで身体を震えさせる。


「貴女は(わたくし)の姿を見ましたか?」

「え?」

「お、おい! 彼女に話すには俺を通してもらおう!」

「答えてくださいな。さっきまでのお話で殿下にいくつかお聞きしたのですが、何も要領の得たお答えがいただけませんでしたの」


 ジェファーソンはエリーンを背後に庇う。腕を引き、強引に。


「怯える彼女を脅すのはやめてもらおう! それとも、俺と話すのは何か不都合があるのか?」

「答えてくださいな。突き落とした(わたくし)を見たのかしら? (わたくし)から噂を直接聞いた相手を見つけたのかしら? 貴女の所持品を持っている(わたくし)がいたのかしら?」

「やめろ! その強引な態度こそが証拠だ! 後ろめたい事があるからそんな事をするのだろう!」

「見てません……」

「え、エリーン!?」


 エリーンは、ジェファーソンの腕を振り解いて前へ出る。


「私はシェリーク様を見ておりません。私が困っていたら殿下が助けてくれて、調べてくれると言って、それでしばらくしたらシェリーク様の仕業だったと伝えてくれただけです」

「その際証拠は?」

「『確かな話だ』とだけ……信頼できる筋からの情報だから間違いないって……」

「あらあら、随分あやふやなのね」

「エリーン! こんな奴の口車に乗ってはダメだ! 君を惑わそうとしている!」


 ジェファーソンはエリーンの腕を再び掴もうとするが、エリーンが身を翻してそれを避ける。そして、彼女はシェリークの元へ駆け寄った。


「……馬車で香木は焚いたかしら?」

「え?」

「この屋敷に来るまでの馬車では、香木を焚いていたの?」

「えっと……いいえ」

「でしょうね。でも、貴女からは香木の香りがしますわ」

「それは、つまり……」

「この香りはアグル。傷をつける事で香りを放つという特殊な原木で、その香りを放つ間だけ水に沈む特性を持っている事から沈香じんこうとも呼ばれています。その中でも油分が多く、色の濃い物はカーラーグルといわれ、この国では王族しか使っていない最高級品ですわ」

「それが何か問題なのか。私も同席していたんだ。香りくらいつくだろう」

「ええ、そうね。こうして身を寄せ合って、長時間過ごしていたならこれだけよく香っても不思議ではありません」


 シェリークは、エリーンを抱き寄せる。ジェファーソンから遠ざけるように。


「なぜ、そんなに身を寄せる必要があるのかしら? (わたくし)の婚約者である殿下にエリーンさんから身を寄せたのだとすれば、それは大変な不敬ですわ。真っ当な淑女がそんな事をなさるかしら? でも、殿下からというのならば、たとえ良識のある淑女でも断れなくて当然でしょう」

「な、何が言いたい!」

(わたくし)の口から聞きたいと仰るのであればご随意に。(わたくし)は、殿下、貴方が彼女に下心を持っているのではないかと疑っておりますの」

「無礼な!」

「無礼? 異な事ですわ。(わたくし)を蔑ろにする貴方の行動こそ、まさしく無礼ではありませんか。王室に抗議させていただきます」


 エリーンは目を丸くする。まさか、王族に対してここまで強い態度を取るとは思わなかったのだ。

 これが、国内有数の高位貴族。ディクシア公爵家の長子である。相手がこの国の元首の血族だろうと……仮に元首自身が相手であろうと、彼女がその誇りを失う事は決してない。


 そして、それは王子にも伝わった。

 悔しそうに舌打ちをした彼は、次にエリーンへと矛先を向けた。


「エリーン貴様! 私を敵にしてただで済むと思うのか!?」

「っ!?」

「私はこの国の第一王子だぞ! 木端貴族の三女風情、私の思い一つでどうとでもできるのだ! レイルダ男爵家の名は、国中で嘲笑の対象となるだろう!」


 エリーンの目に涙が浮かぶ。シェリークの肩越しに、震えが伝わる。

 恐れているのだ。自らのみならず、家の名にまで傷がつくなどあってはならない事だからだ。貴族として、これ以上の苦痛はない。


 果たしてどうしたものだろう。恐れながらに頭を悩ませるエリーンには、どうしても妙案など浮かびようもなかった。


 王子は、その弱気を見逃さなかった。


「そもそも、私が貴様のような小娘に気を許すわけがなかろう! 少し気安く接した程度を勘違いしおって。体を寄せ合っただと? そんな証拠がどこにある!」

「あら、あるでしょう? 証拠くらい」

「……は?」


 エリーンに対し、シェリークはまるで動じていなかった。王子を相手にして。王族を前にして。


「王子殿下。どうやら、右側の裾だけ雨に打たれていないようですね。荷物を抱えているわけでもないのに」

「そ、それがどうしたのだ!」

「エリーンさんは逆に左肩が濡れていないようね。誰かが身を寄せていたみたいに」

「そんな事が証拠になるものか! 貴様のこじつけなど何の意味もない!」

「いいえ、殿下。気が付かないかしら? もう雨は上がっています。きっと、今すぐ見たら残っていると思うわ。馬車から降りた時の足跡がね」

「じょ、女性を雨から守るのは紳士として当然の事だろう!」

「じゃあ、見に行っても問題ありませんね」

「…………っ」


 王子には、何の事か分からない。シェリークが一体何を企んでいるのか、皆目見当もつかないのだ。それはとても不気味に思え、頭ごなしに否定したくなる。


 しかし、それはできない。相手はシェリーク・アーサー・ディクシア公爵令嬢であり、この国でも有数の名家の娘だ。王子の威光のみで握り潰せる小者ではない。


 結局、全員で玄関へと向かう。王子と、エリーンと、シェリークと、数名の使用人をともなって。


「綺麗に残っていますね。これなら(わたくし)のような素人でも誰がどの足かハッキリと分かります」


 屋敷正面。そこには、確かに二対の足跡がある。ただ並んだだけではそうはならないだろう、身を寄せ合った距離を思わせる足跡が。

 馬車の跡から続くそれは、ほんの一歩も変わらずに同じ歩幅、同じ向き、同じ距離を保っている。


「エスコートがなっておりませんね、王子殿下。女性を伴う際はお気をつけ下さい」

「き、貴様に言われるまでもないわ! それよりも、これが何の証拠になるというのだ!」


 声を荒げる王子に対し、シェリークはカラカラと愉快そうに笑った。


「一目瞭然です。皆さん、ここをご覧ください」


 シェリークが指を差すのは、馬車の車輪跡の方。二人の足跡の始まりである。


「左足から足跡が始まっていますね?」

「それがどうしたというのだ!」

「いいですか? 馬車から降りる時の事を想像してください。まず体を起こし、戸を開け、戸に近い方の足を段差に下ろして、地面には反対側の足で降りるでしょう?」

「そ、それがどうした……!」

「お二人とも、左足から降りている。これはつまり、お二人が同じ側の椅子に腰掛けていたという事です。でなくては、足はそれぞれ違う方から降りているはずですもの」

「っ……!!」


 決して広くはない馬車の中。向かい合わせに席を用意されているというのに、わざわざ隣に座っていた。疑惑を向けられるには、充分な事実だ。

 そして、ディクシア公爵家ならば、そのわずかな疑惑だけ抗議に出られる。仮に王族であっても、その言葉を軽んじる事はできないだろう。


「王子殿下。この事は正式に抗議させていただきます。ディクシア公爵家とレイルダ男爵家の連盟で。(わたくし)と、エリーンさんと、ここにいる使用人の皆さんが証人ですわ」


 連盟。すなわち、エリーンのみを相手取るわけにはいかない。レイルダ男爵家を敵にする場合、同じくディクシア公爵家をも敵にしなくてはならなくなったという事だ。


「き、貴様……っ、貴様、ら! この私に……! いずれ王となる私をこんな目に合わせてただで済むと……!!」

「いずれ王に?」


 怒りを露わにする王子に対し、シェリークは落ち着いていた。そのシェリークに抱きすくめられ、エリーンもまた冷静さを失わずにいられる。

 大したものではないと、そう思えるのだ。仮にも一国の王子が。


「私はこの国の第一王子だ! 父王の後は私が継ぐのだ!! 貴様ら、その後の事まで考えての行動なのだろうな!」

「王子殿下。王子殿下。ええ、第一王子殿下。貴方はなぜご自分が王子なのか考えた事はございますか?」

「そんなもの、王の息子だから以外に理由がいるものか!」

「そうですね。たかだか御子息。だから、たかだか王子なのですよ。王太子でなく」

「っ!?」


 王子の顔が引き攣る。

 現在、この国に王子は三人いる。彼の父たる国王は、現在に至るまで世継ぎを誰とするか決めあぐねているのだ。


 分かっていた、目を逸らしていただけで。このままでは、優秀な弟に地位を脅かされる。

 そのための婚姻である。慣例に則って第一王子を王とするのならば、今のままではいけない。名家と名高いディクシア公爵家と縁故となれば、強力な後ろ盾となるだろう。王と、王妃と、宰相が公爵に頭を下げて成した婚約であった。


 だが、王子にとってはこれ以上煩わしいものなどない。

 いわば、自らの実力を疑うがために成された婚約である。強烈な自惚れ屋である王子には、耐え難い状況であった。


 そして、その実力は今日この時に証明された。王と王妃と宰相の見立てに、何ら誤りはなかったのだ。


 ◆


 翌年、第二王子が王太子となった。


 第一王子は、この半年ほど公式の場には姿を現さない。辺境に飛ばされたとか、城の中で飼い殺しにされているとか噂は絶えないが、少なくともシェリークの知るところではなかった。


 シェリークは、その後幸福に生活をしている。領地の経営は上向き、煩わしかった婚約者の相手もしなくて良い。

 ……しかし、たった一つだけ困った事があった。


「あ、あの! シェリーク様! ごきげんよう!」

「あら……ご機嫌よう、レイルダさん」

「いやですわ、エリーンとお呼びください。私を助けてくださった、あの日のように……」

「ん〜……」


 潤んだ瞳。赤らめた頬。

 すり寄る仕草はいかにも艶めかしく、彼女の容姿と合わせれば多くの男性を魅了するだろう。

 目を合わせれば恥ずかしそうに逸らし、しかし目を離せばいつの間にかシェリークを見つめている。いじらしい恋はいつだって、乙女を彩る華に相違なかった。


「シェリーク様、また明日も会いに来てよろしいですか? その次の日も、次の日も、次の次の次の次の日も」

「あー……ええ、もちろんよ。遠慮なくいらっしゃいな」

「ああ、ありがとうございます! 貴女の隣に居られるだけで、私はこれ以上になく幸せです」

「ああ、そう。えっと……よかったわ」


 善人で、誠実で、まっすぐな少女。

 そんなエリーンを邪険にできず、今日も引き気味の笑顔で対応してしまう。

 いやこれどうしよう。とは口にしない。嬉しそうなエリーンに水を差すのは、あまりに気が引けて仕方がないからだ。


 まだしばらくは、このどっち付かずな生活が続くだろう。

 ただ少し、そんな状況が心地よくもあった。


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