B-side3
顔を認識するのは難しい。僕には、不可能にも思える作業だ。ある医者は僕のこの症状を、相貌失認と診断した。ただの他人に、あいつは失顔症だと噂されてたことも知ってる。どう言われようと別に構わない。反論するのも説明するのも面倒だから、失顔症だと自称することもある。
でも、僕自身は、そうじゃないと思ってる。僕は人より見え過ぎるだけだ。常に動き、変化し続ける人の顔というものを前にして、同じ人物だと断言できるというのは、僕からすれば魔法みたいなものだ。
表情もそうだ。ただし、顔の各部位に限定して、つぶさに見れば、僕にだって感情の断片が見えそうな瞬間もある。でも、多分だけど、大抵の人の顔は嘘が上手なんだ。だから僕は、顔から意識を離して声に意識を傾ける。そっちの方は、よく分かるからね。
B-side βarrel
長く軍曹と二人でやってきたけど、そのコンビがトリオになるっていうのは全然考えてこなかった。でも、タマちゃんなら楽しそうだ。姿が見えないのは困るけど、顔が見えないっていうのは、とてもいい。表情なんていうものを、一切気にしなくて済む。
「よし!異常ナシだ」
表情を読めない僕でも、軍曹ぐらい分かりやすければ、表情なんて気にならないぐらいに、感情が聞き取れる。初めは僕に気遣って、オーバーに表現してくれているんだと思ってた。でもそれは僕の勘違いで、軍曹は誰に対しても騒がしく、愉快なだけな人物だと、一緒に暮らしている内に気付いた。
「で、ここは一体どこだ?」
「多分、教会」「教会のはずだよ!」
軍曹は、ついさっきまでタマちゃんとお話するのに夢中で、ろくに安全確認すらしていなかった。代わりに僕が色々と調べておいたから、チームとしては何も問題は無い。
「扉は全部でみっつ。小さい扉ふたつは、施錠されてない代わりに、外にも繋がってない。外に出られそうな一番大きな扉は、外側から施錠されてる。朝の早い時間みたいだから、それ自体は不思議じゃない。だけど…」
「なんだ?早速、異常アリかよ?」
僕は異世界には詳しくない。だから、あれが異常かどうかの判断ができない、ということはない。
「まあ、とにかく軍曹も見て?こっちだ」
僕はただ、知りたいだけだ。不安を減らしておきたいだけだ。
小さい扉の内のひとつは、祭壇らしき物の左側にあった。元々は他の所と同じに、垂れ幕で隠されていたけど、それはさっき僕が除去した。正直に言えば、最初に扉を開けた時に、引っかけて破いちゃったんだけどね。
「この壁がなんだよ?落書きでもあんのか?」
「ここだけ布がちぎれてるのが怪しいんじゃなぁい?」
その扉の前まで案内してみたものの、タマちゃんと軍曹は、これが扉だとは思わないらしい。
「周りの壁板とは、色も質感もちょっと違うだろ?隠し扉だ。左側の、丁度手が当たる高さの所なんて、細かい傷がたくさんついてる」
「…俺には違いが分かんねえけどな。隠し扉とは、ワクワクさせてくれるじゃねえか」
軍曹は扉に手を当てると、くっきりと歯を見せた。これはよく知ってる。きっと、半分だけスマイルマンだ。表情が分からなくたって、口や歯ぐらいは僕にも分かる。軍曹がわざわざ僕に視線を固定して、長く歯を噛み締めてみせる。これは、半分だけスマイルマンの時だ。
「ん?どうやって開けるんだ?」
あぁ、そうだった。軍曹は意外に知的なのに、勘働きは良くない。勘が悪いっていうと絶対的な欠点みたいだけど、これは美点でもあると僕は思う。勘が良いつもりでいると、直感に頼り過ぎるし、思い込みも強くなるから。
「押して開いちゃったら丸分かりだから。左の壁板との境目に、爪を引っかける感じで引いてみて。力はいらない」
でもまぁ実際、こういった仕事には役に立つ。これが僕の役割だ。お互いに苦手なことを補うのが僕達だ。
「ほんとに扉?どうして分かったの?」
「俺の相棒は、すげえだろ?まぁ見てな」
自慢気に声を弾ませる軍曹が手を引くと、隠し扉は音もなく開いた。僕はその向こうに何があるかは知ってるけど、それを知らない二人は、どんな声音で驚くんだろう?軍曹のは予想ができる。きっと冗談混じりに、高く、笑い飛ばすんだ。ひねくれた正直者、の声の持ち主だからね。
「へっ!敬虔なこった。この教会は、悪魔の野郎を滅ぼすためなら、手段は選ばねえみたいだな?」
概ね予想通りだ。じゃあ、タマちゃんは?僕は、そっちの情報がどうしても欲しかった。他人の表情が理解できない僕は、声や仕草に敏感になる。惑わされる、と言ってもいい。特に声に対しては、それはもう、過敏なんて言葉じゃ足りないかもしれない。初対面の人物を前にした時、僕は声の持ち主の性質を大別する。最低限、正直者か嘘つきかは判断して、覚悟しておきたい。
姿の見えないタマちゃんの声は、正直者か嘘つきか、どっちだろう?演技派の嘘つき、だけは嫌だな。もしも、その気配があったとしたら。僕は心底、恐怖を覚える。
「ええ?!教会にまで、武器を持ち込むようになっちゃってるんだ…」
嘆声は高く震えて、続く言葉はどんどん沈んで、最後には消え入りそうだ。それに適度に乱れてる。お化け屋敷に入った子供みたいに素直な反応だ。小部屋を埋め尽くす程の刃物や鈍器を前にして、タマちゃんは驚いて、落ち込んだ。凄腕な演技派の嘘つきじゃなければ、正直者の声の持ち主だ。それに、さっきまでのあれは?
「あはは!良かった」
初めのあの下手な演技は、軍曹の真似をしていたのか。
僕の勘は、タマちゃんの出す声を、悪戯な正直者に分類した。一心同体になるだけあって、お似合いの二人だ。
「どこが!?こんなの、全然良くないでしょお?!」
「そんなことはねえ!悪魔が相手かは知らねえが、備えは大事だろうが」
そう。備えは大事だ。
「せっかくだし、もらっておけば?これだけあれば、ひとつやふたつ無くなってもバレないはずだ」
僕の腰のホルダーには、先立って頂戴しておいたナイフがある。僕がそれを覗かせると、半分だけスマイルマンが再び現れた。
「悪党めー!許さないぞー」
「神サマの目前で窃盗たあ、とんでもねえ野郎だ。俺様が引っ捕らえてやる」
本物の神様に悪者認定されるなんて最悪だ。神様を宿す人物に賄賂が通じるとも思えないけど、僕のと同じナイフを軍曹に差し出した。
「頼むから、ばれないように右目を閉じててよ」
「へっ!馬鹿野郎め。さっき言っただろうが。両目を閉じなくっちゃあ、タマちゃんから見えちまうんだよ」
そうか、うっかりしてた。軍曹は両目を瞑ったまま、おろおろと両手を伸ばす。ナイフに鞘は無いし、どう考えても危険だ。仕方なく僕は、さっき破ってしまった布の一部を切り取って、ナイフをぐるぐる巻きにしておいた。
「わ、真っ暗だ!ほんとに見えないー」
そのナイフに加えて、目についた鉄針の束をその手に乗せると、軍曹はそれらをベストの内側へとしまいこんだ。
「痛えな!なんだよ、このチクチクは??」
「投げナイフみたいに使えるかと思って」
まさか先端に毒が塗られている、なんてことはないだろう。ここは教会だ。慈悲深いはずだ。僕が神様にこっそり祈りを捧げていると、大きな扉がガチャガチャと大きな音を立てた。
「中に知らない男が二人もいるんだ。びっくりするだろうな。ここからは、どうするのが正解?」
隠し扉は元通りにしたものの、破れた垂れ幕は元通りになんてできない。
「神サマが味方についてるんだぜ?堂々としてりゃいい」
「そう。じゃあよろしく」
「あ、アタシの声はキミ達以外には聞こえないからね~」
そうなんだ。軍曹は大変だな。
「おい、タマちゃん!大事なことは、もっと早くに言えっ!」
僕は軍曹の言葉に従い、堂々と長椅子の端に腰掛けた。背もたれは肘置き代わりだ。程無くして、蹴り飛ばすような勢いで扉が開かれると、六人ばかりが雪崩れ込んだ。
「どうやって中に入った!何が目的だ?!」
先頭の、鉄鎖を手にした男が一番に声を上げた。それは僕も知りたいところだ。僕の記憶では、地表付近にあった建物の屋根に落下、激突したはずだ。しっかり見てた。それが屋根をすり抜けた上、こんなふうに平気で生きてるんだから驚く他ない。
「それはこっちの台詞だぜ?俺様達をこの世界に喚んだのは、あんた等の方だろ?」
「よんだ?世界?何のことだ」
「…タマちゃんよぉ。願いを叶えてやったって、先方に連絡ぐらい入れとけよな?」
(したくても、できないんだってばー)
鉄鎖が武器でないのなら、丸腰の男達に、乱暴な手段を取る気はないのかもしれない。ただ、両端の二人の姿勢が気に入らない。手の平をこちらに向けるだけの動作が、僕にとって馴染み深いもののように映った。