A-side 6
A-side akagami
今朝も窓辺にワズンの姿は無かった。前の手紙が届いてから、明日でちょうど一週間。こっちの一週間は、ただでさえ長いのに、こんなに長く待っていたら首が長くなっちゃいそう。背が伸びるなら、それは良いこと?ううん。全然良くない。ヴァレンの馬鹿。
ワズンが迷子になったんじゃないか、とか、あの女の子が意地悪してるんじゃ、とか。嫌な想像ばっかり膨れ上がる。でもね、今日の胸のもやもやは、師匠にぶつけられない。あぁ。もう、もやもやする!この気持ちは、どうしたらいいの?!
「今日の獲物は、村から依頼を受けたやつだ。この辺りにいるはずだから、そろそろ気を張っておけよ?」
お稽古中なら、この鬱憤を好きなだけ拳に籠められるのに。そんなの今は無理。わたしにだって、それぐらいの分別はある。
うん。そろそろ現実に目を向けなきゃ。今は、牛狩りに向かっている最中なのだから。
「…はい!」
山道を歩いていれば、当然、息だって切れる。ちょこっとぐらい返事が遅れても、なんら不自然じゃない。
もやもやはさて置き、首都エイトでは、カリマヤ国内にしては珍しいことに街中で暴れ牛が見られない。それは、カリマヤ中央軍による徹底した排除活動があるからだ。首都から一歩外へ出れば、山野のそこかしこで、大きな牛が大きな顔をして歩き回っている。わたしもエイトへ至る道の途中で、何度も遭遇したから知っている。
あの時は、まさか自分がその猛牛を狩りに行くだなんて、想像すらしていなかったけれど。でもでも、今日の予想外はそれだけじゃない。出発するその時まで、わたしは師匠と二人で牛狩りに行くものだと思い込んでいた。
「帰りの荷物持ちぐらいはしてあげるけど、牛を狩るのは、お父さん一人でやってよね」
牛狩りには、もう一人だけ同行者がいた。スイちゃんだ。
スイちゃんがいるおかげで、ここにやって来るまでは、ちょっとした遠足気分だった。しかしそれも、この里山に入る頃には道幅と同じにどんどん小さくなった。
「そりゃあ、牛退治は俺がやるがな、罠の設置ぐらいはお前も手伝えよ?」
「やだ」
「お前なぁ…」
この二人の親子喧嘩は、困ったことに時と場所を選ばない。それもあって、わたしは今ひとつ緊張感を保てない。師匠は前、スイちゃんは後ろと、わたしを挟んで喧嘩をするから逃げ場も無い。こんなに騒いだら牛が逃げちゃうんじゃない?そう思っていたら、わたしの右隣にスイちゃんが並んだ。
「ルフナって、そんな手甲を持ってたのね。こっちに来てから買ったの?」
「ううん。これは、ジュラの国を出る前にね。あと、この帽子も、同じ所で買ったんだ~」
今日のわたしは、勇気の腕輪以外にもたくさんの装備品に守られている。手甲に革の帽子、そして普段着の下には特別製の鱗鎧を着込んである。どれもお気に入り。このコ達を身に付けると、自分が少し強くなったみたいな気がする。
「そうなの?それなら武器は買わなかったの?」
スイちゃんは左手に持っていた弓を構えて、弦を弾いてみせた。矢もつがえていないし、狙いもこっちには向いていない。なのに、わたしの胸には確かに何かが刺さった。遠足気分は、ついに消え失せた。
「旅の間の護身なら、拳法よりも、弓や槍の方が役立ちそうだけれど」
「うん。それは分かるんだけど、まだ決心がつかないっていうか」
「相手を傷付けたりするのが怖い?」
「それは、その…」
そんなの、怖いに決まってる。日々のお稽古で身体は鍛えられても、心は簡単にはいかない。今のままじゃ、来年からの旅でも足手まといになっちゃう。それだけは嫌だ。分かってる。それじゃあ、できるの?
わたしが右手をどんなに握り締めても。なんで?どうして?できる、なんて言い切る気持ちの強さは、わたしの中に無かった。
「そうよね。じゃあ今日は、私が守ってあげるわ」
わたしの心の中は、朝から冷えきったままだった。
「え?」
そのわたしの、どこかにあるはずの勇気は。今は手掛かりすら見出だせない。
「でも…あの…その」
こんな小さな声なんて、誰にも届かない。わたしが押し黙るようにしていると、スイちゃんは山の向こうに燃える目を向けた。 あぁ。スイちゃんもきっと、強い人なんだ。わたしはそれと同じ顔をする人を、もう何度も見てきたような気がした。
「お父さんが失敗するかもしれないし。それでもしも、ルフナが怪我をしちゃったら、ルィーさんに迷惑をかけることになるし」
守られてばかりでいいの?
ヴァレンの次は、スイちゃんと師匠に守ってもらうの?
「そうだな。万が一ってところだが、用心しといてくれ」
師匠の背中には、短槍が2本。どちらも穂先はぴかぴかでも、柄は傷だらけ。一目で使い込まれた物だと分かる。師匠が拳法以外も使えることは、納屋に並んだ武具の多さからも理解していた。
それでも、わたしが。わたし一人でも、拳法だけを学ぼうって決めたのは。
「わ、わたしも」
そこに、攻撃魔法を組み込めないかと思ったからだ。しかしながら。
「お!いたぞ」
わたしの小さな決意は、師匠の発する囁き声にすら勝てなかった。
師匠は姿勢を低くして、高台へと続く道の先を指差している。わたしも同じように地面に伏せると、疎らな木立の奥を見通した。
「大きい…」
あんなものを相手にするの?当然と言えばいいのか、まず、その巨体に目を奪われた。その牛は眠っているのか、洞穴を持つ巨木の前で寝転んだまま動かない。
カリマヤで見られる野生の牛は、そのほとんどが水牛の仲間だ。その中でもとりわけ気性の荒い水牛、それが三叉王だ。三叉王には、その大きさの他にもうひとつ特徴がある。それは角の数だ。
左右の耳に一本ずつ、そして鼻の上にもう一本、太い角を持つ。遠くに見える三叉王の三本目は、他の二本が霞むぐらいに立派なものだった。
わたしの頭には、水牛に代わってサイという名前が浮かんだ。駄目だ駄目だ。こんなの、放っておける訳が無い。
「たまげたな。わざわざ依頼されるわけだ。とんでもなくデカいぞ。しかし、なんだってあんな開けた場所にいやがるんだ?」
人里も近い。こんな生き物が人間に襲いかかったら、どうなるのか。打ち倒せるだけの力がありながら、見て見ぬふりが許されるのか。師匠だって、きっと同じ思いで、牛狩りを生業にしているはずだ。
「あんなの、お父さん一人でどうにかなるの?」
「ま、腕試しってとこだな。一当てして、駄目だと分かったら今日は退く。お前達には、追い立て役でもやってもらうか」
師匠は背嚢から鋼線を取り出しながらも、三叉王から目を離さない。
「お前達は大回りして、あそこの高台まで行け。アイツに見つからんよう、ゆっくりでいい。俺は、そこの谷間に、山ほど罠を仕掛けておく」
そうだ、罠だ。師匠だって、何の策も無しに力勝負を挑むわけじゃないんだ。罠を仕掛けるぐらいなら、わたしにだって手伝える。
「わたしも、師匠のお手伝いをします!」
「…くくり罠なんぞ、やったこともないだろ?下手に仕掛けると、アイツも警戒して、別の方向に逃げちまう」
確かに、そんなの見たこともない。でも本当に、わたしには無理なんだろうか。わたしが後ろを離れないでいると、師匠は三叉王から視線を外し、わたしの左肩をぽんと叩いた。
「追い立て役が大事なんだよ。三叉王はな、あれで案外賢い生き物だ。人の群れの怖さも知っている。だから町には近付かんし、襲われるとなれば迷わず逃げやがる」
その習性については、なんとなく知っている。わたしがこれまで三叉王を目撃したのも、人里から離れた所でだった。
「いいか?スイがあの高台から射掛けると同時に、お前は木の幹を、そこらにある棒で叩きまくれ。アイツは驚いて、そこの谷間へと駆け降りてくる」
そんなに思い通りに動くものなの?師匠は当たり前のことのように言うけれど、他の方向に逃げたりしないんだろうか。怒って矢が飛んできた方向に猛進するなんてことは?
そう考えると、わたしがいるべき場所が分かったような気がした。
「罠で動きを止められれば最良。それは無理でも、足に傷ぐらいは負わせられる。そうなりゃ、俄然有利ってもんだ」
「全部駄目だったら、逃げて下さいね?」
「へいへい。お前達こそ、注意しろよ?追い立てるのは、一番デカい木の上からだ。そっちの準備ができたら、始める前に狼煙で合図をくれ。頼んだぞ」
師匠はわたしの肩から手を離すと、獣が獲物に食らい付くような速さでもって、スイちゃんの頭に手を乗せた。優しく撫でた、んだと思う。それをスイちゃんが振り払おうとした時、そこに師匠の手は既に無く、師匠は背中に花火を咲かせながら谷へと下って行った。
「もう!まだ子供扱いするんだから」
スイちゃんは怒ったふうに言いながらも、しばらくそれを見つめていた。




